【KAC2024⑤】貝瀬学院大学学生食堂の7人のおばちゃん

宇部 松清

第1話

「しら、恭太さん、離さないでくださいね」

「もちろんだよマチコさん」


 皆さんこんにちは、貝瀬学院大学学生食堂早番パート、『山山コンビ』の片割れ、山田やまだ加世子かよこよ。今日は娘夫婦に頼まれて孫ちゃんと一緒にスケートをしに来たの。実はあたし若い頃、スケートやってたのよ。県の代表に選ばれたことだってあるんだから。


 というわけで、孫の美羽みはねにスケートの基礎を教えてるってわけ。あたしの若い頃の写真を見た美羽が「わたしもやってみたい!」って駄々をこねたみたいなの。じゃあもうバーバが一肌脱ぐしかないじゃない?


 で、市内にある『UBEアイススケートリンク』に来たのよね。そしたらなんかどこかで見たことのある二人がいたのよ。

 

 もうおわかりよね?

 白南風しらはえ君とマチコちゃんよ。

 お付き合いしてるんだし、一緒にいること自体は全然おかしくないんだけど、でもまさかこの二人がここでデートするなんて思わないじゃない? 特にマチコちゃんなんて、あたしが前に職場でスケートの経験があるって話をした時、「すごいですね、山田さん。私、運動は全く駄目で」なんてもじもじ話してたんですもの。


 意外だわ、マチコちゃん。

 恋って人を変えるのね……。


「ひっ、ひええ、す、滑る……! わわわ、あわわわ」

「マチコさん、大丈夫? ほらもっとぎゅって俺にしがみついて良いから」

「だ、駄目です! 白は――恭太さんも共倒れにな、ひゃああ! 共倒れになりますぅっ!」

「倒れる時は一緒だよ。一蓮托生だ、マチコさん」


 サッとマチコちゃんの腰に手を回して、彼女を支えながら余裕たっぷりの王子スマイルである。さすがは白南風君ね。何? スケートも出来るの? あのイケメンは。イケメンってこういう能力まで標準装備なの?! 並の女ならコロッと落ちるイケメンムーブだけど、マチコちゃんは――、


「ひゃああああ! だ、駄目です駄目です! 変なところ触らないでください! ば、ばばばばバランスが!」


 腰に回された方の手を振り払い、その反動でか、足が産まれたての小鹿みたいなことになっている。だけど、もう片方の手はしっかりと白南風君と繋がれたままだ。白南風君のイケメンムーブが完全に仇となった形である。


 あー、どうしよ。颯爽と登場して助けてあげたいけど、あたしもあたしで美羽の面倒を見なきゃだし。


「暴れないでマチコさん! 落ち着いて!」

「お、おおおおお落ち着いてられませんんん!」


 そもそも何でここをデート先に選んだの、この二人?!


「は、離さないでくださいいいいい、白南風さんんん」

「うおおおおおお、離すもんかああああ」


 何がどうなってこうなったのか、両足を大きく開き、腰を九十度前傾させて両手をめいっぱい伸ばした状態のマチコちゃんをどうにか立て直そうと、白南風君も必死だ。だけど、ここは氷上。いくら白南風君がある程度スケートが出来るといっても、パートナーがアレでは、容易なことではない。白南風君の方でもバランスを崩し始めている。


 いやもう、一旦離した方が良くない?

 マチコちゃんもその体勢なら手をつけるだろうし、何よりもサポートする側の白南風君がまず立て直さないとでしょ。このままじゃほんとに共倒れよ?


「や、やっぱり手を離してください、白南風さん!」


 マチコちゃんの必死度合いが呼び方にも表れている。『白南風さん』呼びに戻っちゃってるもの。そんで白南風君の方でもそれを指摘する余裕がなさそう。


 余裕がなさそう、というか。


「駄目だ! 離すもんか!」

「でも、このままでは白南風さんまで」

「一蓮托生だ、マチコさん!」

「で、でも私はもう大丈夫ですから」

「大丈夫なわけない! 君には俺が必要なはずだ!」

「必要ですけど、あの」

「そして俺にも君が必要なんだ、マチコさぁぁん!」


 何か別のものが始まろうとしている。

 さすがにリンクの中央ではなく、端っこの方ではあるけれど。何だろう、あそこにだけスポットライトが当たっている気さえする。

 

 えっ、ここ、スケートリンクよね? あれ? 今日ってもしかして貸し切りだった? ミュージカルか何か始まる感じ?!


 あたしを含め、ちらほらいた利用客は二人に釘付けだ。


「でも、私もう、膝ついたので、大丈夫ですから」


 既にマチコちゃんは氷上にぺたりと膝をついている。


「諦めるな! マチコさぁん! さぁ、俺の手を取って」

「ええと、手はずっと繋いでますけども」

「離さないで、マチコさぁぁぁん!」

「落ちついてください、白南風さん。繋いでます。手は離してません」


 形勢逆転である。

 膝をついたことで落ち着きを取り戻したマチコちゃんに、依然として何らかのスイッチが入りっぱなしの白南風君。どうしちゃったの、このイケメンは。


「あっ、ほんとだ」


 それでもやっとマチコちゃんが座り込んでいることに気付いたらしい。あとは他の利用客の邪魔にならないよう、移動すれば良い。さっきのなんやかんやで出入り口から離れてしまっているけど、壁を伝っていけばいいし、まぁ白南風君が正気に戻ればマチコちゃんをうまく引っ張っていってくれるだろう。


「マチコさんの身体が冷えたら大変だ。さぁ、立って。立てる?」


 ああ良かった。どうやら彼も落ち着いたらしい。いつもの白南風君だ。いつもよりちょっと優しめの声でマチコちゃんの手を引く。やや危なげではあったけど、マチコちゃんも何とか膝をがくがくさせながら立ち上がった。あとはこのままリンクを出るだけだ。何の気の迷いかわからないけど、君達にスケートデートは早かったんじゃないかしら。これに懲りたら大人しく公園辺りでデートしたら良いのよ。


 そう思って、あっという間にコツをつかんだらしい美羽の滑りに目を細めていると――、


「わぁぁぁ、手、手を! 手を離さないでください、白南風さん!」

「もちろんだよマチコさん! 一生離すもんか!」


 また始まった。

 まーた始まってた。

 リンクを出ようとほんの少し移動しただけで既にピンチに陥っている。マチコちゃんの運動神経にびっくりよ。まさかこれほどとは。もう白南風君お姫様抱っこしてあげたら? いや、さすがに無理か、それは。


「ねぇおばあちゃん、あの人達何してるのかな? もしかして、テレビの撮影とか? 男の人、すっごくカッコいいし!」

「うーん、そうかもね。ちょっとバーバにはわかんないなー。でも、学校のお友達には話さないでね」

「わかった!」


 まぁ口止めする必要はないんだけど。

 とりあえず、あたしも職場でこの話題を出すのはやめよう。マチコちゃんも恥ずかしいだろうし、いろんな意味で。

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