第32話   腹さくくれ!

「ちょっと待ってくだせえ! グリマスさん暴れないでくだせえよ!」


 ゲイルも負けじとグリマスを鎧ごと押し返す。顔すれすれに剣が触れ、ほっぺたが薄く切れた。


「ゲイル!」


「こンの、クソバカタレが!」


 ゲイルが思いっきり頭突きした。相手は兜を被っているから痛いのはゲイルだけだったが、その衝撃で一瞬グリマスがひるんだのを、ゲイルは見逃さなかった。がしりと頭部を掴んで、声をひそめる。


「グリマスさん、男らしく腹をくくってください。ダラダラと彼女に付きまとって文句ばかり言い、百年間彼女を失うことになるか、それとも、彼女と一緒に力を合わせて、ダンジョンの最奥まで辿り着き、宝物を二人で得るか、今ここで決めてくだせえ!!」


「……」


「地上に戻れば、あなたは騎士団の偉い人で、怪しい女性と恋愛している時間も余裕もねえんでしょう。ならば今ここがあなたとあの女性の、唯一ありのままでいられる世界です。この絶好の機会に、一生に一度の大勝負さ出ろ!」


「……」


 目玉が出んばかりに目をかっぴらいて、ゲイルを凝視していたグリマス。やがて怒りに凝り固まった筋肉をほどき、ゆっくりと後退りして、ゲイルから離れた。


 そして、ジト目で事の成り行きを眺めていた女性に、振り返る。


「スカルアリア」


 そっぽを向かれたがグリマスは続けた。


「俺と一緒に、ダンジョンの最奥まで来てくれ。そうしたら、俺はもうお前を見かけても声はかけん。近づきもせん。お前が誰と何をしようが、その生活範囲には生涯近づかないと誓おう」


「どうした、急に。そのへんの岩で頭でも打ったのか」


 岩ではなく、ゲイルの頭突きを喰らっていた。そしてグリマスは兜を被っているから、なんのダメージも入っていなかった。


「なぜダンジョンの奥なんだ」


「行けばわかる」


「……ハァ、本当にわけのわからん男だな。だが、その約束は違えるなよ。スカルドラゴンの牙に貴様の利き腕がぶら下がることになるぞ」


 グリマスは手にしていた剣を、丁寧に腰の鞘にしまった。


「それで構わん」


 あんなに綺麗だった薔薇の花束は、ゲイルと取っ組み合いになった際に、地面に落ちてしまっていた。花もかなり散ってしまっている。グリマスはそれをもう一度拾い上げ、じっと見つめていた。


「グリマスさんが、剣を鞘に納めたわ……。すごいわゲイル!」


「いんや、まだ始まったばかりだ。おめでとうは、まだ先だよ」


 薄く切られた頬の傷が痒くて、掻こうとしたらエリンに止められた。代わりに、応急処置だと言ってピンクの絆創膏をポケットから取り出し、ゲイルのほっぺたに貼った。


「これで傷口を爪で掻いちゃうことはないでしょ。街に戻ったら、患部を水で洗って清潔にしてね。これぐらいなら、きっとすぐに治るわ」


「おお、痒みが少しマシになった気がするな。ありがとう、エリンちゃん」


 ゲイルは苦笑した。


「本当にあんたは良い子だな。ここまで心配して来てくれて、本当にありがとう。オラはもう大丈夫だよ。あの二人がダンジョンの最奥まで行くのを、見届けるだけだから」


「え?」


「エリンちゃんだけ、地上さ戻るんだ。スカルドラゴンなんて得体の知れねえモンスターだっているし、スカルアリアさんがこれ以上暴れないんなら、エリンちゃんが出動する必要もなくなっただよ」


「私だけ帰るの?」


「ああ。ここでエリンちゃんが頑張っても、偉い人から評価されるわけでもなし、本当にただオラたちの後ろをついて行くだけになるから、エリンちゃんにとっては退屈なだけだべ」


 エリンの顔がみるみる泣きそうになった。そんな反応をされるとは思わず、ゲイルは大慌てした。


「エ、エリーー」


「イヤ! 私もがんばる! だから一緒にいさせて? お願いお願い!」


 なぜか駄々をこねだすエリンに、ゲイルは驚いてしまった。ここでがんばりたい理由なんて、手柄を欲しがるエリンには、もうないはずだと……。


(あ、そう言えばエリンちゃんは、オラがバイトする姿を見たいって言ってたな。え〜、それを今叶えるつもりなのけ。マイペースな娘っこだな〜。オラが思っているよりも、きっと大物さなっちまうかもな)


 ゲイルは呆れていた。本音を言えば、エリンには安全な地上へ戻っていてほしかった。けれど、完全に二人の世界になっているグリマスとスカルアリアが、スタスタとダンジョンの奥へ歩いて行くものだから、このままでは置いていかれてしまうと慌てた。今のところ仲直りしてるように見える二人だけど、またいつグリマスが無礼を働くかわからない。フォローする人が必要だ。


「……わかったよ、エリンちゃん。今回だけ、オラたちもダンジョンの最奥を目指そう」


「うん! ついでに宝箱も開けちゃいましょう」


「え? 宝箱の中には、結婚届の紙が入ってるだけで、何も面白いもんはないだよ? 記念に持って帰るなら、止めないけど」


「じゃあ、持って帰っちゃうわ。私の宝物にするの!」


 何かの記念品感覚なのだろうかと思ったゲイルは、特に深く尋ねなかった。


「そっか、それじゃあがんばろうな」


「うん!」


 目に涙が浮いたまま、エリンが嬉しそうにうなずいた。


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