第31話   ダンジョン探索

「私、初めて入ったわ。ゲイル、こんな薄暗いところで毎日働いてるの? ちょっと心配だわ。肺にキノコとか生えちゃいそう」


「怖えこと言うなよ、たしかにじめじめしてっけど」


 専門家も交えて、頻繁に人の手入れが入っているとはいえ、事情を知らない者が見たら建物の下に天然の大穴が空いているようにしか見えない。湿った風が、奥から吹いてくる。


「ねえ、風が吹いてくるってことは、どこかに隙間があるか、それかあったかい空気が入ってきてるの?」


「ああ。お客さんが酸欠にならねえように、地上に届く管がたくさん入ってるだよ。バックヤードとか倉庫も、関係者以外立ち入り禁止の部屋の奥にちゃんとあるし、気分が悪くなったときに運び出すタンカーとかも常備されてるだよ」


「へえ、見た目によらず、近代的なことになってるのね~」


 クレアが二人を守るように、前を歩いている。その足取りがはたと止まり、気づいたエリンがハッとゲイルを制した。


「気を付けて、ゲイル。奥に何かいるわ」


「え? スカルアリアさんかな、大変だ、グリマスさんがずっと先を歩いてるのに。おーいグリマスさーん! なんか奥にいるらしいから、戻ってきてくんろー!」


 無論、グリマスが従う性格でないのはゲイルにもわかりきっているから、駆け寄って説得することにした。


「グリマスさんってば……ん?」


 無言で停止したグリマスの視線の先に、生白い背中と、それを覆う黒髪があった。生足に黒いヒールという、土だらけのダンジョンでは非常に歩きにくそうな装備である。


「あ、いた……。スカルアリアさーん、うちのスタッフから話さ聞いたべよ。なーにしてんだ、こんな所でモンスターなんか暴れさせて。営業妨害になるからやめつくんろ、こんなこと」


 スカルアリアが、黒髪を揺らして振り向いた。かなり怒った顔をしている……。


 エリンが眉をひそめて、女性の服装を観察していた。今日はまた一段と白い肌をバッサリ出している。遠目から見ると、ほとんど裸だ。


 だんだんエリンが赤面してきた。


「ねえ、ちょっと! いくらなんでも、あれはないんじゃない!? 私が着てる下着よりも薄着よ!?」


「ハハハ……どんな格好しようが、特にこの国に決まりとかねえから、自由だべよ」


 色っぽいと言うよりも、野性的に見えた。太古の昔に、人が自然と一体化して生きていた時代が本当にあったのならば、彼女の姿は神秘に溢れた信仰対象となっていたかもしれない。そして、どこか畏怖の念も抱かれていたのかもしれないと、ゲイルは思った。なぜか、この時、そう感じたのだ。


「やはり来たな、グリマス」


 彼女の怒りにつり上がった目は、目の前の騎士に向いていた。


「長年、貴様の無礼千万な態度には目を瞑っていたが、もう許さんぞ! チビ助のときから何も変わらず、そのまま成人しおって。なんと愚かな男だ。恥というものを知らんのならば、ここで朽ち果てて消えてしまえ」


 小さいときから何も変わっていないらしい。いったいいつからグリマスは彼女に付きまとっていたんだろうか。


(たしか、グリマスさんは五歳のときからスカルアリアさんが好きだって言ってたな。じゃああれから二十年くらい、ずっとスカルアリアさんから大目に見られていたってことけ? そりゃあそろそろ殺されるべよ……)


 もはや自業自得以外の言葉が見つからないゲイルだった。スカルアリアの周りは蠟燭の火が全部消えており、その背後はほとんど暗くて何も見えなかったが、何かが、地響きとともに蠢いた。


(!? うちで管理しとるモンスターに、あげな重量のある子はいねえはずだぞ!)


「出てこい、我が相棒よ」


 はたして、スカルアリアに呼応して現れたモンスターは……いったい、どうやって人目を忍んでダンジョンまで連れてきたのだろうか、こんなに恐ろしい外見的特徴を持ったドラゴンは、ゲイルは初めて見た。


「私のダンジョンを人間の血で穢すのは忍びないが、こんなに腹立たしい人間の血肉ならば、むしろ歓迎するぞ」


 何やら大型動物の白骨化したような、謎の物体。まるで内臓や筋肉があるように、しなやかに動いている。何の動物の骨なのか、ゲイルには全くわからなかった。その重さはゲイルの腹にも振動が響くほどだった。重たいのだ。骨密度が高いと言うレベルではない。それどころか、明らかに普通の動物の骨ではない。


 しかもダンジョンすれすれまで届くほど大きい。本当に、いったいどうやってここまで連れてきたのだろうかと、さすがに王都で騒ぎになっていないのがおかしいと感じるほどの、骨だけで動いているドラゴンだった。


「でっけえ! しかも、かっけーな!」


「スカルドラゴンだ。これでも縮めた方なのだぞ、本来はもっと骨が多かったのだ」


「へえ、本当はもっとでっけえモンスターなんですね。スカルアリアさん、グリマスさんに腹が立つのはわかったけど、なしてうちのダンジョンさ殺人現場にしたいだよ。マリンさんもオラも困っちまうだ」


「仕方がないだろう? 王都で派手に暴れるのは、この国の王から止められているのだし、大勢いる人間どもを巻き込んでしまうかもしれんからなぁ。この場所ほど適した場所が思いつかなんだ」


 ゲイルに説明するときだけは、いつもの不敵な顔に戻っていたスカルアリア。だがグリマスに向き合うなり、また機嫌が悪くなった。


「私を毛嫌いしているお前ならば、絶対に来ると思っていたぞ。ここをお前の墓場にしてやる」


 グリマスも音高く銀の剣を引き抜き、胸の前に垂直に構えた。


「よかろう! 受けて立つ!」


 よくない。婚活会場でもあるダンジョンで痴情のもつれによる流血沙汰と死傷者が出ては、マリッジ・アリアに客が来なくなる。最悪、店が潰れる。


 エリンがハァ〜と、ため息をついた。


「ほら〜、グリマスさんが乙女心をちっともわかってあげないから、こんなことになっちゃうのよ」


「乙女心とか、そういう規模の問題なんだべか? エリンちゃんはケンカした相手に、クレアちゃんさ、けしかけないだろ」


「あら、今度ゲイルが勝手にいなくなっちゃったら、そうしちゃおうかしら」


 目の前でガチガチと乱杭の牙を打ち鳴らすスカルドラゴンを目の前に、恐ろしい冗談だった。


(クレアちゃんに追いかけられたら、干物さあげて買収しよう……)


 ここでグリマスを止めなかったら、きっと一生後悔する事態になる。片手に薔薇の花束を、そして利き手に剣を携えるという、この矛盾の塊のような男性に、ゲイルはすたすたと歩み寄らなければならなかった。スカルドラゴンの、何も入っていない眼窩がゲイルを凝視している。


(大丈夫だ、オラは食われねえはずだ。スカルアリアさんは他のお客さんさ逃がしてくれたもん、その辺の分別は持ってる)


 冷や汗が流れそうになり、足が恐怖で止まりそうになる自分に猛烈に鞭打って、グリマスの横に並ぶと声をひそめた。


「グリマスさん、剣を納めてくだせえ。そんなんじゃ誰が見たって、結婚願望がある人には見えませんよ」


「何度も言わせるな! 他人の色恋に口を挟むんじゃない!」


「いいえ、挟まざるをえませんよ。このままだと、あんた、彼女の連れてるスカルドラゴンに殺されますよ」


 わりと本気で忠告してやると、意外なことに、グリマスは怯まなかった。


「構わない。そうなってしまうのならば、それが俺の運命だ」


「いや、何をかっこいいふうなこと言ってるんですか。あんたが変な口の効き方さえしなければ、っていうか普通に接していれば、そんな運命を受け入れなくて済むべよ? なして彼女を魔女だの化け物だの言うんですか。誰だって怒りますよ」


 説得を試みたものの、埒が明かない返答ばかりでグリマスが剣をしまおうとしない。ならば、ゲイルにも考えがあった。


「スカルアリアさん、聞いてくださーい。あなたが大っ嫌いなグリマスさんの、弱点を教えますよー」


「なんだ」


 即、食いついてきた。


「グリマスさんはですねー、あなたを始終罵っていないと生きていけないんですよ。だからですね、それを逆手にとって、あなたがこれから百年ほど王都を離れるんです。長生きしているあなたなら、百年なんてお昼寝してたら過ぎるでしょ。その間にグリマスさんは、老衰で死亡します。これならあなたがダンジョンで人殺しをしなくても済むし、ダンジョンが人の血で汚れることもなくなるし、グリマスさんに嫌な思いをさせて仕返しだってできる。あなたにとって、得だらけですよ」


「ふむ、百年か。譲歩してやる。ざまぁみろ、小僧」


 スカルアリアが、にんまりと笑った。暴れたかったと言うよりは、グリマスに我慢がならなくなっただけだったようだ。これでダンジョンも殺人も何の問題も起きなくなったと、ゲイルが安心していたら、銀色の篭手に覆われた腕に胸倉を掴まれた。


「なんてことを言うんだ! このエセ婚活スタッフが! お前を今すぐこの剣のサビにしてくれる!」


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