第29話   ダンジョンへ出動よ!

「お待たせしちゃったわね。今朝焼いたお菓子もあるのよ、好きなだけ食べていってね」


 マリンが茶器をテーブルに並べるのを、ゲイルも席を立って手伝った。その様子を、エリンが無言で凝視している。


 何か様子がおかしいエリン。ゲイルはどんなふうに言葉を選んで体調を気遣えば良いやらわからなくて、何も聞けないでいた。そうこうしているうちに、エリンは表情こそなくても普通にお茶を飲み、焼き菓子を食べ、そして、育ちの良さがうかがい知れる丁寧な言葉で、感想と感謝を述べた。


 マリンが片頬に手を当てて喜んでいる。


「うちのハーブティーを気に入ってくれて嬉しいわ。量は少ないけれど、店頭で販売もしようと思ってるの。エリンちゃんのお墨付きなら、自信が持てるわ」


 ゲイルは頃合いを見計らって、エリンもダンジョン探索に参加させてほしいと伝えた。マリンは二つ返事で了承してくれた。ただし条件があり、ゲイルの言うことをよく聞くこと。このたった一つの条件だけで、エリンの参加を許したのだった。


「ええ? いや、あの、オラなんかが案内しても、きっと楽しくないですよ。ベテランのマリンさんの方が、女性同士ですし、いろいろ話しやすいかと……」


 しどろもどろで辞退しようとするゲイルに、エリンがドスンと肘鉄。


「もうゲイルってば、私の話聞いてなかったの? 私はあなたのバイトしてる姿が見たいって言ったのよ?」


「そだっけかな~」


 とぼけているゲイル。しかしマリンからの「ごめんなさいね、私も忙しくて」という魔法の言葉に負けて、この前と同じく地下一階をエリンと一緒に周ることになってしまった。


(ほへ〜……でもまあ、前回よりは大丈夫な気がするべな。グリマスさんもスカルアリアさんも、クセが強くて閉口したから、その二人と比べたら、エリンちゃんなんておしとやかすぎて、もはや空気だよ)


(マリンさんって、誰? どんな人なの? もっと知りたいわ。それにゲイルが私とじゃなくて他の女の人と長く過ごしてて、楽しそうにしてるの、なんだかすごくムカムカしちゃう。私どうしちゃったのかしら。すっごくイヤな子になっちゃってるわ)


 エリンがムッと口角を下げた。本当に今日のエリンはどうしたんだろうかと、ゲイルが気がかりに思って声をかけようとした、その時――


 表玄関から、顔まで泥だらけになったスタッフが転がり込んできた。


「マリンさん! 大変です!」


「どうしたの?」


「あ、今ご商談中でしたか、失礼しました。でも、ほんとに大変なんです!! すみませんが話を切り上げて、外に――」


「商談中じゃないわ。ちょっと休憩していただけよ。でも、ここじゃまずい話みたいね。わかったわ、外に出るわね」


 ただならぬ雰囲気。ゲイルはバイトだけれど、とても対岸の火事のようには思えなくて、マリンに続いて外に出てしまった。そして、自分の背中にぴったりついているエリンとクレアに、全く気がつけなかった。


 大慌てしているスタッフも、マリンも、大きな体のゲイルの後ろに、小柄な少女と細身のモンスターが隠れていることに気がついていなかった。声を潜めて、ひそひそと緊急事態について話している。


「ほんとに大変なんです。いつぞやに、すごい格好したきれいな黒髪の女の人がいたでしょう? あの人が、狂暴なモンスターを連れてダンジョンに入ってしまったんです! もう俺たちじゃ歯が立たなくて、お客さんを撤退させて、今は皆で試験会場の一階に避難しています」


 マリンの顔が険しくなった。


「その女性、ご予約のお客様というわけでは無いわね」


「ええ、我々に無断で侵入しています。もしかしたら試験官の仕事の一環として、偵察に来た可能性も考えまして、さっきスタッフ数名で、試験会場の人たちに話を伺ったのですが、だれもそんな指示も許可も出していないと」


「それじゃあ彼女が無断で、狂暴なモンスターを連れてダンジョンに侵入してきたのね。以前から風変わりな人だとは思っていたけれど、とんでもないことをしでかしてくれたわね。今、ダンジョン内にいるスタッフは何名いるの?」


「誰もいません、全員避難させました」


「ありがとう、良い判断よ」


 マリンの口調は落ち着いていたが、スタッフとの間には緊迫した空気が漂っていた。


 スタッフの話によると、今朝自分と担当数名のスタッフが、ダンジョン内の最終安全チェックに入った時は、何の異常もなく、予約していたお客様を五名、最奥まで案内したと言う。しかし、昼過ぎから中に入るとモンスターたちの姿が消えてしまって、お客さんもモンスターとのバトルを楽しみにしていたから残念がり、いったい何が起きたのかとスタッフたちも困惑していると、いきなり奥から、スカルアリアが見たこともないモンスターを従えて、追いかけてきたのだと言う。


「どんなモンスターだべか!?」


 つい口を挟んでしまったゲイル。


 しかし、どのスタッフもお客さんを連れて逃げることに必死で、ほとんどモンスターの姿は見ていないとのことだった。それでも「見たことがない」容姿のモンスターだと言い切れるのは、そのモンスターが骨のみの外骨格を振り回して、皮膚も筋肉もない喉のどこから鳴き声を生成しているのやら、恐ろしい雄叫びを上げながら、どこまでも追いかけてきたからだそうだ。


「ダンジョンは薄暗くて、はっきりと姿は見えませんでした。けれど、それでもはっきりと断言できます、あれは骨でした! 骨のみで動いていたんです! それはもう恐ろしくて、お客様の中には腰を抜かして上手く走れない人までいました」


「誰も怪我しなかったべか!?」


「はい。たぶん、モンスターのテイマーが手加減するように指示していたんだと思います……」


 このスタッフがわかっているのは、以上だった。これ以上は実際に現場へ赴かないと、確認しようがない。


(スカルアリアさんが、凶暴なモンスターとともにダンジョンの奥で、人を追いかけただ? グリマスさんの付き纏いと、ひどい態度に激昂して、憂さ晴らしにダンジョン内のモンスターを倒しに来たのかな。なんとしてでも止めてえけど、オラの相棒のピンキードラゴンは怖がりで、戦闘には向かねえし、なんなら今、二階の仮眠室で昼寝してるし……)


 ゲイルの服の袖が、ちょいちょいと引かれた。振り向いたゲイルは、ようやくエリンが真後ろに隠れていることに気がついて仰天した。


「エリンちゃん! クレアちゃんまで!」


「ねえ、そのダンジョンって、このお店で使ってる婚活の場所よね。実技試験会場の、真下にあるって噂の」


 エリンはついさっきマリンからこの店のポリシーを聞いたばかりだった。


「私、このお店に入るまで、ダンジョンがあるって噂でしか知らなかったんだけど、国の施設の一つとして、すごく重要な場所なんだって、パパから聞いたことがあるの。パパも実際には入ったことがないから、どんな感じなのかは聞けなかったけど。そこに怪しい女性とモンスターが入り込んじゃったんでしょ? とんでもなくヤバい事態になってるみたいね」


 エリンがわくわくと体を揺らしていた。


「私が解決してあげる! クレアは強いのよ〜。いつも私と丈夫なロープで、引っ張り合いっこしてるんだから!」


 クレアもフンっと胸を張った。なんとも可愛い戦闘訓練である。


「ダメだエリンちゃん、危ないだよ」


「そう? でも暴れてるのは女の人じゃなくて、モンスターなんでしょう? ゲイルも私もテイマーよ。もしかしたら応援が来るまでの時間稼ぎくらい、できるかもしれないじゃない? それに私、何かお仕事がしたくてずーっとうずうずしてたの! 試験会場の真下にある特別なダンジョンなんて、まるで王様からもらったお仕事みたい! 私がんばるわ! 大活躍して、パパと王様の両方から、たくさん褒められて評価を上げちゃうんだから!」


「何かあったら、みんなから責められるのはマリンさんだべよ。バイトと子供は、おとなしく引っ込んどこう」


「聞き捨てならんぞ貴様! あの日、俺とあの女の仲を取り持つようなことを散々言っていたじゃないか! あれは嘘だったのか!?」


 突然怒鳴られてびっくりした。なんと、甲冑姿で見回りの仕事中のグリマスが、大勢の部下を連れて、走って来るではないか。


「グリマスさん!?」


 ああもう、めちゃくちゃだべよ、とゲイルは呟き、頭を抱えた。


「この店では客に心にもないことをほざけと教育しているのか!?」


「そんなわけねえじゃねえですか! 店の前でやめてくだせえよ! 声でけえな!」


「声もでかくなって当然だろう! 今俺とあの女は、史上最大の大ピンチを迎えようとしているんだぞ! 貴様も大口を叩いた手前、責任を取って俺に加勢しろ!」


「オラは婚活を応援するスタッフであって、戦闘面で誰かを補佐するサービスは請け負ってねえんです! そもそもオラはモンスターの牧場を経営しているテイマーですから、戦闘面は本当に経験がねえんです。意地悪で言ってるんじゃなくて、あなたの足を引っ張りかねないから参加することができねえんです」


「だったら私が行くわ! お兄さんは、ダンジョンで問題を起こしてる女性テイマーさんのことが気になってるんでしょ? もしかしたら、あなたの声に応えておとなしく降参してくれるかもしれないわ。婚活の舞台になってるダンジョンだもの、きっと素敵なことが起きるわよ」


 ことの重大さがわかっていない、天真爛漫な少女。そして、すっかり恋愛事に頭がのぼせ上がり、すべては自分とスカルアリアが結ばれるための壮大な伏線としか思っていないグリマスがタックを組んでしまい、がっつりと握手。


「よくぞ言ってくれた娘よ! それでこそ未来ある国家テイマーだ!」


「あら? 私のこと知ってたの? 私もあなたのこと、ちょっとだけど知ってるわ。テイマー騎士団の副団長さんなのよね? つまり私の上司ってことね。だったらなおさら、上司のピンチに私も大慌てしなくっちゃ! ダンジョンへ駆けつけましょう!」


 二人してダンジョンめがけて走っていってしまった。グリマスの大声のせいで、通行人が警戒して立ち止まっており、だれも二人を止める者はいなかった。


 マリンとゲイルは大慌てである。


「ゲイル君お願い! あの二人を止めてきて! せめてエリンちゃんだけでも連れ戻してちょうだい。何かあったら大変だわ!」


「任せてください!」


 こうなったのはゲイルにも責任の一端がある。不可抗力とはいえ、エリンを止めるためにゲイルも走ったのだ。


(もう背中さ見えねえぞ! 足早えな、あの二人!)


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