第17話   あの女性

「おい」


 粗野そうな女性の声が降ってきた。ゲイルは居てはいけない場所に座ってしまってたかと思い、慌てて立ち上がると、目の前に堂々と立っていたのは、あの革の防具一丁の女性であった。初めて会ったときに身に付けていた防具とは少しデザインが変わっているけれども、相変わらずすごい露出である。


 ほとんど裸のような格好した美女が、目の前に立っているのだから、いろんな意味で心臓に悪く、ゲイルはもう一度尻餅をつきかけて、何とか踏ん張った。


「あぁ、えーっと、こんにちは……」


「お前、なんで試験の途中で抜けた」


「お姉さんも、あの騎士団長と同じ試験官なんですよね。でも、あの、会場に、いませんでしたよね」


「いいや、いたぞ。急に抜け出したお前を、わざわざ追いかけてきてやった」


 ええ、とゲイルは目を丸くした。追ってくる者なんて、いないものだと思っていた。だってあの試験官たちは、自分らの意にそぐわない者は容赦なく切り落としていたから。試験を途中で棄権した者など、歯牙にもかけないと思っていた。


「なして、オラのことを……あ、やっぱり、途中で抜けたから怒ってるんですか?」


「別に。私は試験官という立場を国王からもらっただけで、今後どのような人間どもがドラゴンたちを扱うのかを、なんとなく把握するために会場にいただけだ」


「どこにいたんですか?」


「お前たちの後ろ側にいたのだぞ。壁にもたれて、ずっと眺めていた」


 あの広い試験会場の壁際にいたと言う。それならば誰からも気づかれないのは、仕方のないことだった。


(ドラゴンを扱う人間たちを、なんとなく把握するため……? 国家テイマーじゃなくて、ドラゴンを扱う人間たち全般を? なら、地元でピンキードラゴンの牧場してるオラも数に入るな。だけんど、それが理由でオラを追ってきたんなら、この人にとって国家テイマーの試験って、何なんだ?)


 考えれば考えるほど、わからなくなる。国王直々に指名された試験官のくせに、試験に関心がなさそうだ。服装で人を判断したくないゲイルだったが、やはり彼女は他の試験官と比べて浮きまくっている。


「あのー、オラに何の用でしょうか? もしかして、試験を取りやめるには、それ用の手続きがいるんでしょうか? 心配しなくても、オラは誰にも試験の内容は話しません。言っても誰も信じてくれねえと思うし」


「手続きか。そういうのがあるのかもしれないが、私は知らないな。私は私の基準で、物事を判断している。私はお前を合格とみなすぞ」


「へえ? オラを合格? 王様から直々に指名された試験官のお姉さんだから、合否を決められるんだべか? それだったら受かったことになるかもしれねえけど、やっぱり、ちゃんと試験受けてないのに、こんなこと……。理由が知りたいです、なんでオラなんですか?」


 女性がその問いに答える事はなかった。ふと空を見上げて、身体ごと明後日の方角へ向いてしまったから。


 人と話してる途中に、急に無言で空を見上げた女性に、ゲイルもつられて、空に何かあるのかと探した。


 すると、


「ピキュイー!」


 ゲイル達めがけて、一直線に降りてくる小さなモンスターが見えた。それはみるみる輪郭をはっきりとさせ、太い首に太い革ベルトを首輪がわりに巻いてもらった、大きな瞳に涙をいっぱいに浮かべた、ピンキードラゴンだった。


 大勢の注目を浴びようが、なんのその。急降下して、ゲイルたちの目の前に着地するなり、ピィピィ大泣きしながらゲイルにしがみついた。


「お前は、オラんとこの牧場にいたチビ助か!? 何してるだよ、こんなところで! よくオラがここにいるって分かったな、こげに人っこさいっぺえいる中で」


「ゲイリャー!」


 ゲイルの名前を呼んだように聞こえる、独特な鳴き声を上げるピンキードラゴン。頑張れば、もしかしたら人語を話せるようにもなるのかもしれない、そう思わせてくれるほど、牧場で管理している伯爵のドラゴンは賢くて可愛らしかった。いつでも一所懸命で、仕事も大真面目にこなしてくれる。


 ゲイルと取っ組み合いするような勢いで、がっしりと抱き合う一人と一匹。


「うんうん、怖かった怖かった。偉かったなぁ。でも困ったなぁ、今頃うちの牧場さ大騒ぎだぞ。だって、うちで預かってるピンキードラゴンは、全部伯爵様が連れてきたもんだからな」


 とりあえず、涙を流して大泣きしている小さなピンキードラゴンを両腕に抱きしめて、よしよしとなだめた。


 それを眺めていた女性が、ゆっくりと頷き、目を細めた。かなり長く引いた黒のアイラインが、人間の目とは違った形に見せている。


「私の下した合否程度では、お前を国家テイマーに押し上げてやる事はできない。だが、いずれ役に立とう。何かあれば私の名前を出し、その名のもとに合格判定をもらったのだと、言えばいい」


「言えばいいって、例えば、どなたにですか? って言うか、お姉さんの名前は――」


 女性の口がゆっくりと開き、何か言っていたのだが、ちょうど付近を通り過ぎた若い女性達の黄色い声に、ものの見事にかき消されてしまった。どうやら王都で人気の俳優がたまたま近所を歩いていたらしく、彼女たちはその追っかけのようだった。そして、ほんのわずかにゲイルがピンキードラゴンに視線を落とした、そのわずかな隙に、あの女性の姿は、どこにも見当たらなくなってしまった。


「ええ……? なんだったんだ、今のは。オラ、余計にどうしたらええんか、わかんなくなっちまっただよ」


 なにやら意味深なことをたくさん言われたが、やはり試験を途中で棄権したという負い目があるゲイルには、合格だなんて納得いかないことだった。


(あの女の人は、別に姿が消えるわけじゃねえんだし、まだどこかにいるんだろ。追いかけて、もっと詳しく聞いたほうがいいんだべか……いいや、伯爵様から預かった大事なピンキードラゴンが、寂しがってオラんとこに来ちまったんだもんな、まずは牧場まで返しに行かなきゃ。うん、オラはグレートレンに帰らなきゃならねえ)


 急に団体が前を横切って、ゲイルは一瞬だけもみくちゃにされた。その際、ズボンの辺りに複数の手が伸びて、ぞっとする悪意がポケット付近にまとわりついた。すぐにゲイルは人混みから離れ、同じくもみくちゃにされている相棒を引っ張り寄せて、大慌てて自身のポケットをまさぐった。


「げえええ! 無い!! 財布さスられちまっただ!!」


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