第18話   プロポーズ……?

 違う違う違う、落としたんだ、きっとどこかに落ちている。そう、すぐそこに……。だけど、一瞬だけ腰元に伸ばされ、財布を入れていた巾着がズボンから引き抜かれた、あの感触、消えた小銭たちの重たさ、とても気のせいとは思えず、ゲイルはまたまた頭を抱えた。


 それでも、もしかしたらぽろっと、その辺に落としているかもしれない……一抹の望みをかけて、辺りを歩いてみたけれど、人通りが多くて、地面が満足に見えない。鞄から地図を引っ張り出して、この辺を確認しても、交番らしきものはなかった。ではこのような場合、どこに相談したら良いのか、初めてグレートレンから出てきたゲイルには、わからない。


「キュウ……」


 ゲイルの焦りが伝わってしまったか、ピンキードラゴンも前足で顔を押さえている。ゲイルの真似をしているようだ。


 こういう時は地元住民に聞くのが良い、と言う祖母の言葉を思い出したゲイルは、近くの屋台やお店の店員に尋ねてみたけれど、王都では地面に何かを落としたら、もう二度と戻ってこないだろうと言われてしまった。交番らしき場所は無いことはないのだが、この近所には一軒もないので、やはり望みは薄いと言われてしまった。


 旅費が入った財布がなければ、ゲイルは故郷に帰りたくても帰れない。牧場から寂しさのあまりゲイルのもとへ飛んできてしまった、このピンキードラゴンは、とても小さな個体であり、ゲイルを乗せてひとっ飛びは不可能であった。


「お兄さんお兄さん」


 誰かに呼び止められている声がする。自分じゃないだろうと思ったゲイルが、一瞥もよそ見せずに通り過ぎようとすると、


「おーい、そこの青い髪が一房だけ生えてるお兄さん」


「ん?」


 さすがに自分のことかと立ち止まり、声のほうを振り向くと、ばっちり目が合った。どうやら、最初からゲイルに声をかけていたらしい、買い物帰りなのか手提げ鞄に根野菜を突っ込んでいる、アンバー家の宿にいた受付のバイト君だった。


「ああ、エリンちゃんちの受付の人。オラに何か用ですけ?」


「あんた、グレートレンんとこのテイマーなんだろ? 管理人さんが話してたの聞いたんだ」


「へえ、まあ、ちょっと特殊な牧場を運営してるってだけですが、運搬用のモンスターを専門に扱ってます」


「過酷な土地でテイマーやってるんだから、あんたぁ強いと見た。なあ、あの女の人が困ってるみたいだから、助けてやってくれねえかな。俺は買い物が遅れるとクビになっちゃうから、もう行かなきゃ」


「女の人ぉ?」


 もう少し詳しく聞きたいのに、バイト君は颯爽と歩き去っていった。


「あ、ちょっと! ……あーあ、行っちまっただ、足早えな。丸投げにもほどがあるべ。女の人って、どの人のこと言ってんだか、王都は人っこさ多いんだから、もちっと特徴なり教えてくれりょー」


 ずっとうつむきがちだったゲイルが、しぶしぶ顔を上げると、噴水がある広場へ続く道の、その少し手前が、とんでもなく混雑していた。ゲイルがこのままうつむいて歩いていたら、たくさんの背中に頭突きしたり、もみくちゃにされてから人だかりに気がついていただろう。


「あげに人っこが集まって……どうしたんだべか」


 人だかりができて騒がしくなっているのに、かなり気落ちしていたゲイルの視界には何も入っていなかったのである。背が高いゲイルがひょいと爪先立ちすると、見覚えのある甲冑姿が十人ほど、一カ所に集まっているのが見えた。


 エリンに絡んでいた男子生徒たちも群れていて、なんとなくゲイルは嫌な予感がした。


「えっとー、バイト君が言ってた女の人っていうのは……ええ?」


 騎士団に取り囲まれていたのは、さっき話していたあの試験官の女性だった。バイト君いわく女性は困っているようなので、助太刀するべく人混みを掻き分けて「すいません、すいません通ります」とぺこぺこしながら、なんとか最前列まで移動することができた。途中、数人から肘で小突かれたような気がしたが、祖母特製の革の防具がその衝撃を和らげてくれた。


 ゲイルは話の前後もわからなければ、なぜ昨日の試験官の一人である騎士団長と似たような格好をした男性が、こんなに喚いているのかもわからない。取り巻きの騎士が、「もう行きましょうよ」と諫めている様子から、どうやら国益の足しにもならない無謀な争いのようだった。


 女性は人だかりができていたって、恥じらう様子も、他人の視線を疎ましそうにする素振りもない。しらけた様子で、男性を見上げている。


 王都にはこんなに人がいるというのに、誰も止める様子がない。ゲイルの故郷では、こうはいかない。年若い女性が人だかりができるほど大声でなじられていたら、止める人が絶対に現れる。


(なーにを怒っとんのか、あの男は)


 顔を耳まで真っ赤にして、騎士団長に似た格好をしている男性が一所懸命に訴えているのは「毎年毎年、なんだその格好は! どうにかしろ!」だった。それをあらゆる言い回しで、かなり強い口調で咎めている。見苦しいだの、寒々しいだの、娼婦よりもひどい、だの。


(なんだべ、今更。毎年同じ試験官さん達なら、毎年変な格好しとっても見慣れるもんだべや。それをこんな人目の多いとこで、変だ変だと、わざわざ……かわいそうだ)


 ゲイルが片手を挙げて、すたすたと間に入った。


「あのー、すんません、話なら俺が聞きますんで、ひとまずこの女の人を解放してやってくだせえ」


「ぬ!? なんだなんだ貴様は!」


 ずいずいと前に出てくるゲイル。しかし、鍛え上げた肉体を誇る戦士を押しのけることはできなかった。全く同じ姿勢で、向こうも押し返してくる。


「貴様は、たしか一昨日の筆記試験のときに見かけたぞ! 落選した恨みでも果たしに来たか!」


「はあ? 違うべよ。落ちたのはオラが自分の考えを曲げられなかったからだ。あんたのせいじゃねえ」


「だったらなんだ! ハッ!? まさか貴様! その女となにか関係してるのか!?」


「へえ? こげな昼間っから、酔っぱらってんだべか? オラはただ、女の人一人に寄ってたかって、一丁前の男どもがなーにやっとんだって聞いてるんだべ、ここまで説明しないとわかんねえかな」


「公共の場で着ていい格好ではないと注意して、何が悪い! 我らは国王陛下直々に使命された試験官なのだ、それ相応の服装というものがあってだな!」


 ビシッと女性に向かって指をさす男性。ゲイルは、なんだかこの男性の声に聞き覚えが出てきた。筆記試験のときに「従え」と繰り返していた、試験官の声だった。これは服装だけでなく、いろいろと派閥やらルールやら規則やら、もろもろがありそうだとゲイルが思った、そのとき。


「日頃から何に金を使っているか知らんが、金の管理が苦手ならば、他の誰か、たとえば俺などに任せれば今よりかはマシな格好ができるはずだぞ、この痴女が!」


 ん? とゲイルの目が点になる。


「そもそも貴様は自分自身を大事にしなさ過ぎるのだ! どれほど多くの者が貴様のなげやりな肌の露出っぷりに迷惑していると思っている! こんな人通りの多い場所に昼間っから、は、破廉恥にも程がある!」


 女性を指さし続けるその腕が、ぷるぷる震えてきた。


 全く動じず、しらけた顔で腕を組んでいる女性との対比が、ゲイルには少々哀れに見えてきた。


「そ、そそそそんなに派手な服装を好むのならば、室内でとか、その、アレだ、好きな場所を貸し切ってやるから、そこで好きなだけ楽しめばいいだろう! 貴様の悪趣味に理解を示す稀有な者など、まずおらん! だが、頼まれれば俺が手を貸してやらんこともないぞ! どうだ、魔女め、この俺の用件を飲むと言うのならば、今後不要な苦労など一生させん!」


「……私を金で買うと言うのか、小僧」


 ここで初めて女性が不愉快そうに鼻にしわを寄せた。そして、ゲイルにも押せなかった屈強な胸板を、細い両手を突き出してドーンと押し倒した。甲冑が石畳に騒音を立てる。


「フン、出直せ」


 女性は黒髪を揺らしながら、颯爽と野次馬の中に消えていった。


 ゲイルは事態がよくよく読み込めず、倒れて呻いている男性を、とりあえず腕を引っ張って起こしてやった。


「あの、それじゃオラも失礼します……」


 物陰からこっそりとゲイルの様子を見ていたピンキードラゴンを連れて、そそくさと退場した。


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