第19話   なぞの店『マリッジ・アリア』

 次第に野次馬がばらけていき、何事もなかったかのように歩きだす通行人が、ゲイルを追い越してゆく。


「毎年毎年、グリマス様はよくやるわよねぇ。せっかくイケメンに生まれて、若くして副団長にも選ばれた人なのに、いつもいつもあの女の人のお尻ばっかり追いかけて、どうして素直に好きだって言えないのかしらね」


「職場恋愛が、固く禁じられているのかもしれないなぁ。うちの国の国家公務員って、どんなことしてるのか俺たち庶民には全然わかんないんだよなぁ。でもきっと、いろんな規則が厳しいんだよ。あのお姉さんだけ、いつもすごい格好してて自由に生きてる感じがするけど」


 先程の男性は、グリマスというらしい。毎年のように、意中の女性に、あんな感じでプロポーズしているようだ。そして今日、盛大にフラれるところをゲイルは最前列で目撃してしまった。


(たぶん、直球に好きだって言わないと、あのお姉さんには伝わらないんだろなぁ。どうして、素直に言えねえんだ? 自分の体裁と組織の規則に、日常生活まで縛られてるんか? 都会の大きな組織っつーのは、おっかねえところだなぁ。牧場の動物たちよりも、厳しく管理されてるのかもな)


 ふと、自由奔放で天真爛漫なエリンが、果たしてそのような組織で苦痛を感じずに自分らしく働けるだろうかと、他人事ながらとても心配になった。


「ん? あれ? たしかここにキラキラしたのを売ってた人たちが、いたんだけどなぁ」


 先ほどの露天商が、商品を片づけて去っていた。不自然に穴があいたかのように寂しくなっているその場所に、看板が立っている。露天の扱う商品がキラキラと人目を引くあまり、この看板が目立たなかったらしい。


「ゲイリャ」


「ん? どした、チラシさ珍しいのけ?」


 相棒が前足をがんばって伸ばし、チラシを指さし続けている。


「んん?」


 よく見ると、看板に張られたチラシの端っこに、ピンキードラゴンのように見えなくもないイラストが描かれている。それも、とっても可愛く。


「ん~~~……? 『モンスターと戦いながら、運命の人を見つけよう』『マリッジ・アリア』……? なんだべか、コレ。文字は読めるのに意味がよくわからねえだよ」


 可愛い丸文字で住所も記されている。スタッフ募集、モンスターの管理ができる人という文字も読める。


「ええ? あ、お客さんと求人を一枚のチラシで呼び込んでるのか。へえ……」


 デフォルメされたピンキードラゴンに、妙に惹かれたゲイルは、明日の宿のアテもないし、財布も無いし、この先どうすればいいのかも思いつかないしで、これも何かの縁かもしれないと、書かれた住所を目指して歩いた。たくさんの人に道を聞きながら。



 後に、一種の気の迷いだったと、ゲイルは反省する羽目になるのだった。



 お店を目指して歩みを進めているうちに、やっぱり怪しい商売をしている危ない店なのではないかと、冷静になってきた。


「なにやってんだ、オラは」


 引き返そう、グレートレンに帰るための手段が他にないか探さなければ……それが今自分のすべきことだと、我に返ったゲイルだったが、


「ちょっと! あたしは半年前からずーっと予約すら入れられず待たされてるのよ!? いつになったら、お店に入れてくれるのよ!」


 女性のヒステリーな声に驚いて、ハッと顔を上げた。相棒がゲイルの後ろにサッと隠れるが、少しはみ出している。


 声の上がった方角を見やると、軒下に提げた「マリッジ・アリア」と彫られた可愛らしい木製の看板が目印の、これまた砂糖菓子に色づけして組み立てたような、ファンシーな見た目の建物があった。


(げええ……あれがマリッジ・アリアぁ? 入るの恥ずかしいべよ)


 ともすれば子供用の遊び場のような、少なくとも大の大人が大声を上げて騒いでいい雰囲気には見えない、本当に可愛らしい店だった。三角屋根に刺さった煙突まで、食べられそうな見た目をしている。


 あんな所で働くなんて、恥ずかしくて無理というのがゲイルの率直な感想だった。可愛い生き物を愛でる気持ちはあるのだが、自分がファンシーな色にどっぷり染まりたいという趣味はない。デカイクジラだのガタイがいいだの言われた自分が、砂糖菓子の扉を元気に開けて登場しては、お客さんをいろんな意味でびっくりさせかねない。


(オラには無理だ……)


 背を向けて歩き去ろうとしたが、その背中に女性のキンキンに高まった声が響く。


「ここで手続きしてダンジョンって所に行けば、すぐに結婚できるって聞いたのに! ぐずぐずしてないでさっさと店を回しなさいよ、そんなに狭いダンジョンなの!?」


「申し訳ありません、なにぶん、数名だけで営んでいる小さな店でして」


 三十代くらいの小柄な女性が、大弱りでぺこぺこと謝罪していた。ふんわりしている雰囲気と顔立ち……黒髪にところどころ青が差している。


(ん? ……あの女の人、どこかで……)


 女性客の怒りは治まらない。


「商売に支障が出るくらい人手不足なら、とっとと大勢雇いなさいよ! あたしが行き遅れたら、あんたのせいだからね!」


 予約できても嫁の貰い手がないんじゃないかと思うゲイルだったが、女性がぐるりときびすを返して歩いてきたから、ギョッとした。


「どいてよ、デカブツ! 道の真ん中で突っ立ってんじゃないわよ!」


 女性が振り回したバッグの角が、ゲイルの側頭部を直撃した。


「痛え! 何すんだべや!」


 抗議するゲイルの声も聞こえていないのか、女性は鞄をぶんぶん振り回してギャーギャーと独りで喚いていた。


「なーにがマリッジ・アリアよ! 兄妹揃ってあこぎな商売してるから、グレートレンなんかに飛ばされるのよ!」


「……え? 兄妹? グレートレン……?」


 もっと詳しく聞きたかったが、さすがに後ろから追いかけて質問責めにする勇気はなかった。即刻、憲兵を呼ばれかねない。


(だけど、めちゃくちゃ気になる言葉ばっかり、あんなに並べ立てられたらなぁ……)


 おそるおそる、女性店員のほうを振り向いてみると、気の毒なほど小さく背中を丸めて、しょんぼりしていた。ハァ、とため息一つ落として、とぼとぼと店の中へ戻ってゆく――


「あ、あの!」


 気づけばゲイルは声をかけていた。


 女性が、はい、と小声で返事しながら、振り向いた。


 その微妙に斜めな立ち位置から生みだされた顔の角度で、ゲイルは確信した。伯爵の城の階段の踊り場に飾られた、あの大きな肖像画の女性であった。ドレスではなく、空色のふっくらしたワンピースの上から、白いエプロンを身に着けている。


「何か、ご用でしょうか?」


 無言でたたずんでいるゲイルに、女性が困った顔になっていた。


「あああすみません、オラ、ゲイルって言います。あの、看板を見て来ました。あ、利用客としてではなくて、従業員として、何か手伝わせてもらえないかと……」


 女性店員は、ぽかーんとしていた。


 すぐに反応してくれない女性に、ゲイルは不安になってくる。あのチラシは、まさか彼女の預かり知らぬ、ただのイタズラだった可能性まで出てきた。


「オラ、もしかして何か勘違いして来ちまった、とかですかね?」


「……ああ! はいはい、思い出しました、はい、たしかに募集をかけておりました。ごめんなさいね、私ったら、いつもうっかりしてしまって」


 白い頬を染めて、恥ずかしそうに身じろぐ女性。自分の出した募集を忘れるとは、いつどんな人が尋ねてくるかわからないのに、経営者として少々不用心ではないかとゲイルは心配した。


「それではゲイルさん、お話は中でうかがいますので、今からお時間よろしいかしら?」


「あ、はい、時間ならたくさんありますんで」


「それは良かった。男手が足りない職場でね、とても困っていたの。さ、中へ入って。そこの翼の生えたお友達も、一緒にね」


 なんだか半ば就職が決まりそうな雰囲気で、ゲイルはおろおろと中へ招かれた。自分がくぐっても良いのだろうかと戸惑うほどのファンシーな扉を通過すると、中には大きなテーブルを囲うように、イスがたくさん置かれていた。イスの種類はさまざまで、ゆったり座れる高級そうなのもあれば、赤ちゃんが座るようなものや、ゲイルも欲しく思うほどクールなデザインのもの、お花にお尻をうずめて座るようなデザイン、事務仕事にも使えそうなイス、バーにありそうなもの、あとは普通のイスが五つほど。


「お好きなイスに座ってくださいな」


「あ……はい」


 ゲイルは普通のイスを選んで座った。相棒は、おっかなびっくり、あちこちに鼻先を向けて匂いを嗅いでいる。


 女性がお茶を用意すると言ってバックヤードへ引っ込んでしまい、ゲイルと一匹は改めて店内を見回した。


(はわ〜、天井も壁も床の色までファンシーだべや。一面ごとに、それぞれ色が違うべ。なしてこげな色にしようと思ったんだべか……オラには到底考えつかねえよ)


 大自然からやってきたゲイルには、異世界のように映った。


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