第16話   ぶらぶらと

 実技試験会場の屋上から、たくさんの階段を降りて、ゲイルは徒歩で宿に帰ってきた。そして、宿の管理人とよくよく話し合って、その日のうちにアンバー家の宿を出た。


 とてもエリンに会えなかった。きっと彼女の顔を見たら、自分は自分を抑えきれる自信がなかったから。今すぐにでも国家テイマーになる夢をあきらめるように、説得してしまうだろうから。


(そんなこと、しちゃだめだ……。エリンちゃんの夢を、こんなポッと出の変な男が全否定して、台無しにしちゃだめだ。エリンちゃんが今後どうするかは、エリンちゃんが全てを知って、把握して、それから悩んで決めることだ。オラはあの子がどんな選択をしようが、応援してやるって決めたんだ。だから……余計に会えないだよ。会ったら絶対、応援なんてできなくなっちまうからさ……)


 あてもなく、大荷物を背負って道を歩く。ここ数日は、当たり前のように彼女が隣りにいて、あれやこれやと世話を焼いてくれたから、今一人なのが、すごく静かに感じる。王都は変わらず人でごった返し、こんなにも騒がしいのに。


 静かだった。しかし頭の中では、様々な疑問が雑音を伴って渦巻いている。


「あーあ、国家テイマーになれば、何かわかるかと思ったんだけどなー……」


 ハァ、と空に向かってため息。


(伯爵様も国家テイマーになれって、期待されたことが、あったんだべかな。あんな才能をお持ちなんだしな……。そげな人が、何があってあったけえ王都から寒いグレートレンに飛ばされちまったんだ……おかげで、オラが産まれたんだけどな。だーれもオラが伯爵の子だなんて、知らねえと思っとった。なして気付かれたんだろうか……)


 目を細めて、大空を舞う大きな鳥型モンスターを想像した。何度も何度も、青い空高く弧を描く。


「……あーあ。これから、どうすっかなー。来年もこんな実技試験さ待っとるんなら、オラ永遠に受かる気しないだよ……」


 どのみち試験期間が終わったから、アンバー家の経営する宿には、もう戻れない。ならば地元に戻るしかないのだが、こんな形で夢破れた自分を、周りはどんな顔して迎えてくれるだろうかと、想像するだけで気が滅入ってしまう。


 また来年、受ければいいじゃないか。きっと、そう言われる。また受けに行ったって、あんな試験が待っていては、ゲイルは受かっても苦悩し続ける日々に苛まれることになる。


 昨日までは、街で見かける物全てが珍しくて、輝いていて、ゲイルはただただ感嘆の声を漏らす観客でいられた。今は世界の裏側を知ってしまって……平和と美しさを支えるためには、様々な犠牲を強いられるのだと知ってしまって、そして――けっきょく父が辺境の地へ飛ばされた理由を、知ることができなくなってしまった。


(もしも受かってたら、エーゲルン伯爵が王都に戻れる身分に戻してくださいって、王様にお願いして……とか、いろいろ考えてたんだけどな)


 ゲイルが試験を受けると聞いた伯爵が、ピンキードラゴンの両手に参考書を何冊も持たせて届けてくれた。早朝の寒い窓を開けて、迎え入れたのを昨日のように思い出す。応援してもらって、とても嬉しかった。


 山の上の城に住む伯爵と、麓の村にいる自分。一度しか会ったことはないが、たまに手紙をやり取りしていた。


(……あの試験、伯爵様なら、どうしてたべな。王家と国を支えることが忠義の証である貴族が、国のためにモンスターを使い潰すことができないって、断っちまってたらさ、そら飛ばされて済んだだけ、温情だ)


 階段を延々と下りていった影響が、今になって足に響いてきた。心身ともにとてつもなく疲れてしまったゲイルは、道の端っこで、何かの店の壁にもたれて、ズルズルと座り込んでしまった。


「オラは……どうしたらいいんだろう……」


 か弱いピンキードラゴンを保護している父が、彼らを道具のように使うことができない性分なのは、なんとなくゲイルにもわかっていた。国のためにドラゴンを使えない伯爵が、過酷な地に、従者数名のみで追いやられた理由も、しっかりとした確証がなくとも、なんとなく。


 だけど、確証を得ることは大事だ。そして、しっかりと試験で権利を取得し、目上の人々に父のことをお願いしたかった。


 それが、ゲイルの夢であり、目標だった。


 今の自分では、力不足であると思い知らされた。信じて進んでた道は、今やどこに向かえばいいのかわからない、暗いだけの獣道。ここから先、何をしたら誰のためになるのか、もうわからなかった。


 ふと、顔を上げると、屋根屋根の隙間から、あの建物が見えた。今頃エリンは唯一の合格者として、表彰されているのだろうか……。あの甲冑に覆われた騎士団長が、気安く彼女の手を取って、祝いの言葉を送っているのだろうか。想像するだけで胸がムカついた。


(エリンちゃん……。君は、有事の際にはクレアちゃんを、戦場に向かわせられるんか? お父さんと、家のために……君はどこまでやっちまえる? 案外、出世のためになんでも利用する、ものすごい性格してるのかもしれねえけど……)


 エリンのことがわからなくなって、もやもやするゲイルの脳裏に、彼女と過ごした明るい日々が、呼び起こされてゆく。


『言葉のしゃべれないモンスターたちを、暴力で支配させないようにするための、立派な教育方針に基づいた校則だわ』


 エリンが愛くるしくウィンクしてみせたのが、ついさっきの出来事のようで。


『私に任せて』


 違う。


 彼女は、相棒たちを遣い潰すような人じゃない。


 これまでの思い出が、ゲイルをもう一度エリンに会わせようとしてくる。だがしかし、彼女に背を向け、彼女にとって意味不明な態度を取ってまで離れた自分が、会いたいからと言って会いに行くなんて、そんなドン引きするほど身勝手なこと、とてもできなかった。


「オラは……どうすればええんだ……」


 しばらく頭を抱えて、苦悩していた。



 手作りのコサージュやビーズアクセサリーを売る露天商が、道の脇に並んでいる。日の光を浴びてキラキラ輝くそれらを眺めて、女性客が話しているのが、たまたまゲイルの耳に入ってきた。


「アンバー家の娘さん、エリンちゃんだっけ? 今回の試験、女の子がたった一人だけ受かったそうよ。すごいわねえ、あのお年でもうお城で働けるなんて」


「これからアンバーさんちも大変よね。貴族の方々から婚約の話も持ち上がるでしょう。今度のお祭りの司会も、きっとエリンちゃんが任せられるわ」


「うちの娘なんて、試験どころか勉強嫌いでイスにすら座らないのに。どうしてこうも差があるのかしら、うちの娘と取り替えてもらいたいわ〜」


 誰もが羨む、エリンの未来と可能性。アンバー家の体裁を気にしていたエリンが目指していただけあって、その影響は絶大だ。まさか、とゲイルが耳を傾けてみると、あちこちで合格者の話題が上っていた。


(……今日の試験の結果、もうこんな所にまで広まってるのか。オラが思ってたよりも、一大イベントだったんだな)


 エリンは、国のために父のために、クレアやピンキードラゴンに劇薬を注射してまで敵国と戦うのだろうか。大勢から羨まれ、尊敬され、国のスターとして持ち上げられて、この立場を永遠に手放してなるものかと、エリンがムキになってがむしゃらにがんばる姿を、応援できる気がしなかった。


 そもそも、エリンはまだ何も知らないままだ。アンバー家かクレアの犠牲か、どちらかをあっさり選べる性格では、ないような気がする。苦悩しないで選べる子ではない気がする。


 変わらずにいればエリンは苦しむ。変わってしまったら、ゲイルはエリンを応援できない。どうしたらエリンと普通に話せるのか、もうわからない。


「わかってるよ、なんもせず帰るしかねえ……オラは伯爵様じゃねえし、エリンちゃんは親戚でもなんでもねえだ……オラは、ただの他人だ……」


 立ち上がって、ここを去るのが最適解だと、わかっている。けれど、まだ動けなかった。目標や夢を失っただけで、こんなにも体に力が入らなくなるだなんて、ゲイルは知りたくなかった。


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