第22話 初仕事をもらえたと思ったのに
それからゲイルは、仕事を一所懸命に覚えた。マニュアル本を何度も読み返し、人工ダンジョンを自分の庭のように歩き回り、その仕掛けを目をつむってでも解けるようになり、登場するモンスターたちも自分になつかせることに成功して、ますますここでやっていける自信が身に付いたのだった。
だがしかし、ゲイルはまだ研修中の身。本物のお客さんを相手に、ダンジョンを案内したことがなかった。
(研修中も、お給金がもらえるけれど、本格的に仕事さもらえれば、もうちょっとお金が増えるだよ。そんなに高い賃金はいらねえ。なんとか故郷に帰れるだけの運賃になればいいだけだ)
よくよく考えれば、研修がいらない肉体労働などで、短時間で稼いだほうが、よっぽど早く帰ることができると、後から気づいたのだが、もう遅かった。
この仕事を、任されてみたい、やってみたいという思いが、胸に宿ってしまったから。
「ゲイル君、とても頑張ってるわね。もうそろそろ、あなた一人でお客さん達をダンジョンに案内してもいい頃合いだと思うわ」
「本当ですか? やった」
「それじゃあ、次のお客さんの予約が入ってるから、ゲイル君が担当してみる?」
ついに、初仕事をもらえた。
カップルを三組ほど成立させれば、旅費に充分な金額が手に入るかもしれない。マリンからそう聞いて、ゲイルはとても張り切っていた。……のだが、どの組も「マリンさんがいい」と名指しで指名されてしまい、ゲイルの初仕事の予定は、未定に逆戻りしてしまった。
本当は今日が初仕事で、ゲイルにとってこの仕事に慣れるための大事な第一歩でも、本気で出会いを求めている人たちにとっては、どの機会も大事にしたい「本番」であり、不慣れな人材の練習台になど、誰もなりたくないことは、ゲイルにもわかってはいるけど、自分でも驚くほど落ち込んでしまった。
毎日ピンキードラゴンのために、買い出しも兼ねて一緒に街中を歩く。運搬用のモンスターだから、たいていの荷物は軽々と運んでくれる。お客さんを相手にした接客の仕事がもらえなければ、こうしてマリッジ・アリアでの雑用をこなしながら稼ぐしかないなぁ、などとゲイルがしょんぼりしていると、
「おい」
いつぞやの、粗野そうな女性の声が。
正直、ゲイルは振り向きたくなかったけれど、もしかしたら、お客様の遠い親戚の人かもしれないし、と思い直して振り向いてみた。
いた……。相変わらず面積の少ない、革の防具一丁という激しく目立つ格好をしている。ゲイルより小柄なのだが、堂々と腕を組んで見上げているその姿は、なぜか誰よりも貫禄があって見えた。
「また会ったな。お前、故郷に逃げ帰ったんじゃなかったのか?」
「う……お姉さん、意地悪だなぁ」
「そう落ち込むこともないだろう。失格者は毎年何人も出る。お前もそのうちの一人だった、ということだ。で、なぜまだこの人だかりの都にいる。帰り道がわからなくなったか?」
素でこうなのか煽っているのか、読めない人物であった。声に嫌みったらしい響きがなく、淡々と、ともすれば耳に心地よいくらいなのに、話している内容はどこか厳しい。
「オラ、しばらく王都で働いてみることにしたんです」
「んん? 牧場は?」
「え? なしてオラが牧場の管理しとるのを知って……まあ、ええです。牧場は祖母と、大勢の従業員で回してくれてると思います。もともと国家テイマーになったら、しばらく王都に留まるかもって言ってありましたもんで」
「そうか。ならば、誰も寂しがらないな」
女性がクツクツと薄ら笑った。美人なのに不気味な笑い方するもんだと、ゲイルは内心でがっかりしてしまった。
「それでお前の傷心を癒してくれる、物好きな職場はどこなんだ? 案内してみろ」
「ええ……?」
女性は腕を組んでニヤニヤと犬歯を見せている。嫌な予感がしたゲイルは断りたかったけれど、すぐさまでまかせを作り出すのが間に合わなくて、しぶしぶ許諾した。
(こんな異様な圧を放ちまくっとるお姉さんと接してて、怖がりなピンキードラゴンさ縮み上がってないかな)
心配で相棒の方を確認すると、意外なことに、女性の方を向いたままキョトンとしていた。まるで、そこに女性がいるのが、普通のことのように。風景の一つのように。風が吹いて頬が涼しくなるのが、当然であるかのように。寂しがってゲイルの傍から、片時も離れようとしない、甘えん坊で、怖がりなこの個体が。相棒の初めての反応に、ゲイルの方がビビって戸惑ってしまった。
「そ、それじゃあ、ついてきてくだせえ。どのみち買い出しも終わりましたし、店に戻るつもりでしたんで」
女性をしぶしぶ案内していて気がついたのだが、今日はあのグリマスとかいう男は絡んでこないのだろうかと、ゲイルは辺りを警戒した。大きな体を利用して、いろんな人たちの喧嘩を止めてきたゲイルだけども、何もそれが好きなわけではない。みんな仲良く、朗らかに暮らせるのならば、それに越した事はないと思っている。だからゲイルは喧嘩を止めるのだ。他人の茶々が入ったせいで、余計に拍車がかかってしまったこともあったけれど、やはり女の人が理不尽に周りから責められているのは、見るに耐えなかった。
伯爵のもとでメイドとして城に入っていたゲイルの母も、長らく伯爵と過ごすうちに仲良くなり、本当に自然にカップルが寄り添って結婚したかのような、暖かさがあったと言う。ゲイルの地元では、そこまで嫌悪感を抱かれる恋愛事情ではなかったのだが……グレートレンの外から伯爵の様子を見に、否、見張りの目を光らせに訪れた役人から、ゲイルの母は殺されるのではないかと、危機感を抱いたほど激しく攻められたのだと言う。
赤ん坊だったゲイルは何も覚えていないが、分別がつくような歳になった頃に、祖母や周りの老人から、自分の生い立ちを教えてもらった。
伯爵は母を解雇しなかったが、周りからの声があまりにも厳しく、お産を控えていた母は養生するために、山の麓の祖母の家に下りていった。しばらくは、赤ちゃんゲイルと幸せに過ごしていたのだが、またも他所から来た役人から、母の行為がどれだけ浅はかだったのかとか、生まれた子供が大変都合の悪い存在であるとか、伯爵の今後の人生の足かせになるだとか、産後で情緒が不安定になっている母を追い詰めることばかり、それも連日責め立ててきたそうで、祖母含め周りは母を守ろうとしていたそうなのだが……それも間に合わず、日に日に母は衰弱し、なんてこともない風邪をひき、それがみるみる悪化してしまい、幼いゲイルを残して、入院先の病院で帰らぬ人となった。
その時に、幼いゲイルは小さな木炭を持って、初めて伯爵にお手紙を書いた。恨み節などではなく、こんにちは、とか、おげんきですか、とか。幼いゲイルには、母と伯爵と自分がどのような関係なのか、把握しきれていなかった。ただ、伯爵も悲しんでいるかもしれないと思い、手紙を送ったのだった。
そこから、伯爵との手紙のやりとりが始まった。ずっと手紙を届けてくれていたのは、ピンキードラゴンだった
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