第12話   伯爵に会えた日

 伯爵の城へ初めて入った日。山岳に居を構える伯爵のもとへ向かうためには、小さなピンキードラゴンの中でも、比較的体の大きなオスの背中に乗っての移動が早い。しかしゲイルは、歩いて伺った。自分が重い自覚があるのと、ピンキードラゴンの翼には神経がたくさん通っているから、あんまり触ると嫌がって、ストレスが溜まって鱗を自傷したり、振り落とされる危険性があったから。


 だから、どんなに「この個体は大丈夫だよ」と紹介されても、ゲイルは絶対に乗らなかった。かわいそうだと思ったから。


(これは、夢か……? 懐かしいなぁ)


 腰まで届く分厚い新雪に覆われて、一歩一歩、しっかり進みながら。朝早く出発したのに、到着する頃には日がすっかり昇っていた。


 城が隣国との国境の代わりに建築されている、辺境伯の住居。しかし、過酷な環境下で隣国の民が攻め入ってきた歴史は皆無であり、見張りの任だけならばこれほど楽な仕事はないだろう。ではなぜここに城があり、物資の調達にも難儀しそうな扱いを受けてまで住まわねばならないのか。これはもう、国王に逆らった貴族の留置所と言っても過言ではなかった。


 灰色の石材の上に、こんもりと白い雪が積もって、遠目から見るとまるで雪で造られたかのようだった。正面玄関前のアーチ状の柵も、雪で覆われて、元々の素材がなんだったのか、わからなくなっている。


 出迎えの者も、誰も立っていない。伯爵が辺境へ飛ばされた際に一緒に付いてきた従者は十人もおらず、グレートレンで雇った者を合わせても、大変な人手不足であった。


 それを補っているのが、伯爵が連れてきた大量のピンキードラゴン。


「キュウエエ?」


 子馬程度の大きさの、灰色の石のごとき堅い鱗に覆われたイモリみたいな見た目のモンスターが、小首を傾げながら近づいてくる。普段は四足歩行だが、何かあるとすぐに後ろ足だけで立ち上がり、臆病だけどもとりあえず様子見に近づいてくる。そして、安心できる相手だと知ったときは、すぐさままとわりついて甘えてくるため、ちゃんと見張りに立ち続けていられるのか心配になってしまう。


「ごめんな、今日は遊びに来たわけじゃねえんだ。おめえさん、いつもオラたちの村に支援物資さ運んでくれてる子だろ? いつもありがとうな、また暇になったら牧場さ寄ってくんろ」


 石のような鱗を、手袋越しの手で撫でると、キュルキュルとノドを鳴らして喜んだ。可愛いけれど、心を鬼にしてその場に置いていき、玄関の大扉の前へ。来客を告げるベルも見当たらないため、直接ドンドンと叩いてみた。


「すみません、麓の村に住むゲイルってもんです。前回いただいたお手紙に、今日会わないかと伯爵様からお誘いをいただきまして、馳せ参じました。……あのー、どなたかいらっしゃいませんかー?」


 返事がない。勝手に入れと言うことかと、ゲイルはドアノブに手をかけたが、びくともしない。


「ん〜? 鍵さ掛かってるのか? どうしよ……」


 立ち往生していると、さっきのピンキードラゴンがのしのしと近づいてきて、扉に両手をつけるとゴリゴリと押し開けてしまった。


「へえ、そうやって開けるのか。これは簡単に侵入できそうもねえな」


 お礼を言って玄関をくぐると、後ろからゴリゴリと扉が元の位置に戻されていく音が。まるで何事もなかったかのように、完全に元の位置に戻されていた。


「偉いなぁ」


 ピンキードラゴンに細かな指示を与えて実行させることができるのは、この古城に住まうカイリ・エーゲルンしか、ゲイルは知らない。テイマーとして、また人として大変優れている伯爵に今日会えることを、ゲイルは半年も前からずっとずっと楽しみにしていた。


 老朽化が進んだ古い建物だから、所々大きく崩れている壁や柱があり、ただでさえだだっ広く間取りが作られているのに、さらに広くなっていた。


 誰もいない玄関ホール、そして大きな廊下に移動していくゲイルに付き人はおらず、足音ばかりが大きく寂しく響いた。


(おっかしいべな〜、今日オラが来るってことを、忘れちまったんだべか? 招待された証拠品として、手紙さ持ってきたけど、それでも不法侵入だとかで捕まったりしないだべか。心配だなぁ……)


 ふと、物音がした。前方に、地道に壁の穴の修理を試みる二人の男性がいる。ゲイルが話しかけてみると、彼らはゲイルが来訪することをちゃんと知っており、伯爵なら二階のバルコニーで外を眺めているのではないかと教えてくれた。よくあそこで、ぼんやりと外を眺めるのがお好きなのだと言う。


「ありがとうごぜえやす、行ってみますね」


 ぺこぺことお辞儀しながら、階段を目指す。石材剥き出しの階段に分厚い絨毯が、一段ずつ丁寧に敷かれており、踊り場には、女性の肖像画が飾られていた。


 豊かな長い黒髪に、青空のような色の毛色が所々混ざっており、物静かに目を伏せて、穏やかに微笑んでいた。青色のドレスを上品に着こなし、ふっくらと女性らしいボディラインが腰のあたりでちょうど額縁に切断されていた。この肖像画を見上げた男性陣の中には、ぜひ直接彼女に会い、その額縁の下の続きを見たいと願う者がいそうだとゲイルは予想した。


(この娘っこは……けっきょく誰だったんかな。伯爵にはかなり歳の離れた妹がいるって噂だったけど、その子かな。それとも、故郷に娘さんがいたんかなぁ)


 何も語ってくれない伯爵。聞いても話してくれない性格らしく、村の者は世話になっている伯爵のことを何も知らないでいた。そしてゲイルは、そのことを大変気持ち悪く思っていた。いろいろと話したら、伯爵だって心が楽になると思うし、自分たち地元住民も、伯爵の人となりがはっきりとわかって、安心するというものだ。


 夢の中のゲイルは、当時の自分の言動を忠実に再現していた。二階廊下奥の突き当たりに、広いバルコニーがあり、伯爵の全然振り向く気配がない後ろ姿が見えた。バルコニーにたどり着くまでの時間が、ゲイルにはとてもとても長く感じた。


(いつお声をかけていいもんやら、当時のオラは迷ってたんだよな。そのうち伯爵のほうから気付いてくれるかと、安気に考えて進んでたんだ)


 これ以上無言で近づいては失礼に当たる距離の、ぎりぎりまでゲイルが来ても伯爵が振り向かないので、さすがに声をかけた。


「あの……こんにちは」


「ん?」


 山から見下ろせる広大な景色を一望していた伯爵が、ゆっくりと振り向いた。四十代前半くらいの、痩せた男性だった。ベストにジャケットと、上物だが年季が入っており、その色合いが彼にとてもよく似合っていた。


 高台にある城だから、髪が崩れるほど突風が強い。湿度が高く、ほんの少しだがこの時間帯でも霧がかかっていて、ゲイルはふと、伯爵が「誰かと熱心に会話していた」ことに気がついて、霧に映った大きな影が去っていくのを見送った。


(あれは結局、なんだったんだべか……。大きな翼が生えていて、大きな鍵爪が生えていて、大きなしっぽが生えていて……オラにはそれぐらいしか見えなかったけれど、きっとあれはモンスターだ。伯爵様は、あの大きなモンスターをテイムしてたのかな? オラがビビらねえように先に帰したのか、それともモンスターが自分で判断して去っていったのか、今となってはもう、わかんねえなぁ。オラも空気を読んで、気づかないふりをしちまったから)


 ゲイルはペコリとお辞儀した。


「すいません、いつお声掛けしたらいいか、わかんなくて。オラは麓の村のゲイルです。先月、伯爵様から招待いただいて、馳せ参じました」


 不審者だと疑われないように、ゲイルは懐からガサガサと招待状の入った封筒を取り出した。


 封筒の封蝋を確認した伯爵が、ゲイルの顔をまじまじと見つめ、そして苦笑を浮かべた。


「やあ、ゲイル君。こうして会うのは初めてだね」


 多忙な伯爵は、庶民と語らう時間がほとんど取れない。手紙の返答も、決して早い方ではなかった。


「すまないね、今日もあまり時間が取れず、長く話すことができないけれど、存分に休んでいきなさい。君の働きには大変感謝している。私のピンキードラゴンたちが、みんな君に懐いているのは奇跡だ。これからも可愛がってやってくれね」


「はい」


「もしも私に何かあったら、この子達を引き継いでくれるのは、君しかいないね」


「えー? 縁起でもねえこと言わねえでくだせえよ。まだまだ現役じゃねえですか。未熟もんのオラには、荷が重すぎますです」


 バルコニーからの景色は、本当に最高だった。伯爵はよく、ゲイルたちの牧場をここから眺めているのだと言う。自分を含めて村を見守ってくれていたんだと、なんだか嬉しくなったのをゲイルは覚えている。


 その後、客間で暖かなお茶をいただきながら、時間の許す限り、伯爵と話した。


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