第6話   部屋にエリンちゃんが〜

 魚のムニエルが食べたかったのに、「お兄さんガタイいいんだから肉にしな」とハンバーグが出てきた。ここの学食のおばちゃんには誰も逆らえないらしい。


「まあ、どえれえ美味かったから、良しとするか」


 部屋で一人、参考書をめくって眺める。ゲイルではない書き込みが、どのページにもびっしりと。


 部屋の扉がノックされた。


「ほえ? 誰だべ、こんな時間に」


 先の喧騒もあって、ゲイルは少々警戒しながらドアスコープに片目を付けた。廊下に立っていたのは、なんだかモコモコしたラフな上着姿のエリンだった。髪も無造作に肩から下りている。


「エリンちゃん? どしたんだべか」


 扉を開けると、入ってもいいかと尋ねられた。


「えっと、オラは別に構わねえけど、こんな時間に若え娘さんが、周りから悪く言われるど」


「四階に泊まってる子は、私の友達ばっかりよ」


 そういう問題じゃ、と言い淀むゲイルの横から、するりと入ってゆくエリン。


「あら、あんまり荷物を広げてないのね」


「そんなに荷物がなくてな」


 エリンの視線が、文机の上の付箋だらけの参考書に留まった。


「ねえゲイル、私さっきまで友達にクレアのこと教えてたのよ」


「へえ」


「クレアのこと、絶対に試験に出るような気がするの。私の山勘って、かなり当たるのよ。昼間にベンチで、私と話したこと覚えてる?」


「あ、うん、クレアちゃんのこと、いっぺえ教えてくれたな」


「そう! その内容、覚えててくれてる? 私も興奮気味で話しちゃったから、わかりにくかったかも。クレアのことで気になる点があったら、なんでも聞いてね」


 自信満々な笑みを浮かべて、腰に手を当てて胸を張るエリン。ボタンの留め方が心許なく、やたら揺れる。よく見ると、服が若干だが湿っていて体の形がくっきりと浮き出ており、なんだか髪と肌も少ししっとりしていた。


(シャ、シャワー上がりだ〜!! エリンちゃん、下着とかちゃんと付けてるんだべか!? そのボタンの留め方、オラから注意していいもんだべか、セクハラっちゅうもんに当てはまったら、オラどうすりゃええんじゃ〜)


 指摘する勇気も出ず、凝視してしまうのも気まずい。これは何かの試練だと思って、胸に視線がいかないように踏ん張るしかなかった。


(王都の若え子は、みんなこげに無防備なんだべか……。オラに娘さできたら、ぜってえ薄着の谷間さ揺らして男の部屋さ行くなって育てねえと、赤子さ孕まされちまうぞ)


 一人用の部屋に、二人並んで座れる場所が他になく、並んでベッドに腰掛けているという、またもゲイルが小言を言いたくなってしまう状況に。


(こげにええ部屋を無償で貸してくれた相手に、あんまり説教臭くなるのもなぁ……)


 悩ましくも黙っていることにした。隣りで延々とクレアについて話すエリンが、ふとゲイルを真顔で見上げた。


「ねえゲイルって、結婚してるの?」


「え? いんや、まだだけど」


「それじゃあ、結婚したら子供欲しい?」


 裾の緩い短パンから伸びる生脚をぶらぶら揺らしながら、エリンが大きな瞳でゲイルを見つめていた。


 どこを見て話せばいいのやら、ゲイルは迷った末うつむいてしまった。


「な、なして、そげなことを」


「えー、理由? なんとなく。ゲイルって、将来的にどんなことを考えてるのかなーって思って」


「え? あ、ああ! そういうことだべか。そら、親に孫の顔さ見せられるもんだったら、見せてやりてえけどなぁ。でも、別に結婚とか子供にこだわってるわけでもねえだよ。独り身なら独り身で、最後まで丁寧に仕事しながら、納得できる生き方がしてえな」


「ゲイルの仕事って、どんなのなの?」


 明日は試験なのだし、早く寝たほうが〜と思わないでもないゲイルだったが、曇りなき眼で見つめられてしまい、つい話してしまった。


 伯爵の城には、ピンキードラゴンなるトカゲ科の大型モンスターが大量に保護されており、それらは吹雪であろうが台風だろうが、風切って目的地まで飛んでいける、強靭かつ繊細な翼の持ち主である。一年の半分が豪雪という過酷な環境のグレートレンでは、食糧などの支援物資を配達するのが、彼らピンキードラゴンなのであった。


 ゲイルは彼らを、山の麓の牧場で管理する仕事に就いている。山の上の伯爵の城から下りてきたピンキードラゴンを、麓で休ませてから、また山の上まで飛んでもらうのだ。


「へえ〜、伯爵様の補佐みたいなお仕事なのね」


 目を細めて微笑むエリンの、金色の睫毛がとても長くて美しかった。補佐だと言われたのは初めてで、ゲイルは自分の仕事が伯爵の役に立っていると評価されたことが、ちょっと嬉しかった。手紙でやり取りしていても、その文章は仰々しい他人行儀で、身分差もあってか、一度も気さくなやり取りはなかった。伯爵からも、どう思われているのか正確なところはわからない。ただの牧場の管理人、手紙は最低限の指示出しに便利だから……それだけなのかもしれなかった。


(う、ジュース飲みすぎたかな。珍しい果物が使われてたから、飲んだことねえヤツ全部頼んだのがまずかったかな)


 ゲイルはお手洗いへ向かった。部屋に戻ってくると、なんとエリンがベッドにコテンと倒れてすやすやしていた。


「エリンちゃん!? ダメだって、今日会ったばかりの男の部屋で」


「え……? あら、寝ちゃってた?」


 むっくり起き上がって、大あくびを片手で隠しながら、涙の浮いた目をこする。


「不思議。なんだかすっごく落ち着いて眠れちゃった。そうだ、今日一緒に寝よう!」


「ええ!?」


「すごくぐっすり眠れたの! これなら、試験前で緊張して寝不足ってパターンが防げるわ! ね、お願いお願い! なんでも言うこと聞くから」


「そ、そげなこと娘っ子が簡単に口にしちゃあかんべよ。エリンちゃん、オラのこと信頼してくれて、すごく嬉しいべ、けど、知り合って間もない男と並んで朝なんか迎えちゃダメなんだ」


「ゲイル、私のこと襲うの?」


「いや、襲わねえけども!」


「ならいいじゃない。一緒に寝ましょ」


 何が良いのやら、ゲイルは混乱した。これはあまりにも距離感がおかしい。ご自分の部屋に帰ってくれと訴えたが、エリンはまたも枕を占拠してしまった。


 ……不慣れな事続きで、ゲイルも疲れてきた。もうヤケで、洗面台で顔を洗うと、明かりを消して隣りに並んだ。


 エリンが抱き枕みたいに腕にしがみついてきた。


「オラよりも、クレアちゃんに抱き着いて寝ればいいだよ」


「クレアは夜行性なの。夜は部屋中をうろうろしちゃって、布団にも飛び乗ってきて起こされちゃうから、夜だけは夜行性専門のテイマーさんに預けてるの。そのテイマーさんと、ゲイルだけよ、クレアが突進しないのは」


「突進すんのか、おっかねえ」


 そのうちエリンから嫌気が差して、部屋を出るものだと思っていたゲイルは、エリンが掛け布団の下で動かなくなってしまった気配に、まさか、と視線が暗闇を彷徨った。


「お友達に、悪い子だって噂されちまうぞ。ええんか?」


「……」


「寝たんか、はええな」


 じゃあ自分がベッドから出るしかないかと、起きあがろうとしたら、


「どこ行くの?」


 腕を引っ張り返された。


「一緒に寝てくれないと、ゲイルに襲われたって、周りに言いふらしちゃうから」


「オラが脅される側なのか!?」


「ごめんね。私、本当に緊張して眠れなくて。どうしても万全な状態で、明日に臨みたいの」


 エリンはとにかく睡眠を取りたがった。聞けば、もう数週間もぐっすり眠れていないのだと言う。


「明日は筆記試験、それに合格すれば明後日には実技試験よ。二つとも合格すれば、パパと私を見る周りの目だって、きっと変わるわ」


 だからお願い、と胴体にしがみつかれて、ゲイルは本格的に動けなくなってしまう。ここで強固に「ダメだ、自分の部屋で寝なさい」と突っぱねることだって、ゲイルの体力ならば可能だった。


 ……エリンの寝顔を見るまでは。


「エリンちゃん」


「うゆゆ……」


 赤い唇が、うっすら半開きになっている。


「……本格的に寝ちまっただよ。よっぽど疲れてたんだな」


 もうゲイルもあきらめて、枕無しでベッドに沈んだ。隣りからすぅすぅと穏やかな寝息が聞こえる。ゲイルは夕飯前の、威勢の良い彼女の姿を思い出した。平民上がりだの、身分が下だの、やたら貴賤の格差を言われていたが、最近貴族になった商人なのではないかと考えた。


(この子も、いろいろあんだべな。お母さんの話が出てこねえけど、お父さんと二人だけで、生きてきたんかな……)


 ゲイルも目を閉じた。暗闇の中、となりの穏やかな呼吸音と、あったかくて柔らかな感触がずっと腕に触れていて、おまけにボディソープだろうか良い匂いまでしている。


(オラが緊張して眠れねえよ……)


 最初は不満だったけど、やがて気疲れもあって爆睡してしまった。


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