第5話 テイマー学園の生徒たち
玄関ホールには、広げたまま放置された傘が数個。
「あーらら、もう。さすがに忘れて帰らないとは思うけど」
「そう言えば、一昨日に一雨あったなぁ」
「ここで広げて乾かしてもいいよ、って管理人さんが言うから、みんなしてここに置いてたのよね。それで、忘れん坊がまだ置きっぱなし」
「ははは、うちの婆ちゃんがやってる託児所みたいだな」
ホールを抜けると、受付が。バイトが一人、暇そうに座っていた。エリンが父からの封筒を上着の内ポケットから取り出し、チェックインの手続きをゲイルに代わって済ませてくれた。
「あ、いたいた、エリーン! 試験の問題の出し合いしよ~!」
廊下の奥から、エリンと同じ色の制服を着た少女たちが走ってきた。どうやらエリンは勉強ができるらしく、瞬く間に囲まれてしまった。
「ゲイル、これお部屋の鍵よ。一人で行けるかしら」
「ああ、もう大人だから平気だ」
こんなに大きな宿に泊るのは人生初だったが、見知った民宿だと思えば、鍵に付いた木札と部屋番号を合せるゲームのようなものだ。
「え~? 誰あの人、エリンの知り合い?」
「うん、なんでかクレアが警戒しないの。グレートレンから来たんですって」
「へえ!? 一年の半分くらい雪降ってるって言う、あそこ!? 何しに来たの?」
「テイマーの試験を受けに来たのよ。明日、試験会場でも会えるわ」
会話に華を咲かせる、年頃の乙女たち。去ってゆく紺の制服の後ろ姿を眺めながら、ゲイルは頭を掻いた。
(こりゃあ明日には、オラはちょっとした有名人になってそうだな……)
さて自分も指定された部屋で休もうかと振り向いた矢先、クレアに満月のような瞳孔で凝視されていて、面食らった。
「クレアちゃん? どうしたんだべか? エリンちゃんが先さ行っちまうぞ???」
じーっと見つめる目線の先を追うと、ゲイルではなく、その背中のモノだった。
「ああ、これか。そんなに美味かったか」
荷物を廊下の絨毯にどっこいせっと下ろしてから、中をがさがさ。故郷のみんながたくさん作って押し込んできたから、王都で大食いの友達ができたって、こうして分けられる。
こんなに早く頭から背骨までバリボリと食われるとは、想像もしていなかったが。
「へへ、よく食うなぁ。こさえ方はエリンちゃんに教えてあっから、備蓄してくれるようにオラからも頼んでみるよ」
ずぼんに頭を何度もこすりつけて、自身の匂いを付けてくるクレア。ゲイルが片手で尻尾の付け根を撫でてやると、「ニャア」と子猫のような鳴き声が返ってきて、びっくりした。
「可愛い声だなぁ。もっと唸り声みたいな感じかと思ってたや」
クレアは尻尾を立てて、しなやかな足取りで絨毯を踏み踏み、相棒のエリンのかなり後ろを追随していった。
一人、階段を上がって四階へ。廊下に敷かれたダークブラウン色の絨毯がふかふかで、踏み心地が良かった。
「お、あったあった。けっこう奥っ側にある部屋なんだな」
鍵に付いた木札の番号と、部屋の扉に設置されたプレートの番号。ようやく一息つける喜びに、足がじんわり温まった。
鍵穴に差し込んで、ガチャリと回して扉を押し開ける。
「お邪魔しまー……あ、ここはオラの部屋なんだべか。なんか緊張しちまうなぁ」
おそるおそる部屋に踏み込んで、改めてアンバー親子に用意された部屋を観察した。まず目に飛び込んだのが、大きなベッド。マットが分厚くて、掛け布団もふかふかだ。その横にはオシャレな文机があって、大きなランプが火を灯されるのを待っていた。
「さっぱりしてて綺麗な部屋だなぁ。ここでなら、読書でも勉強でも集中できそうだ」
一休みすべく、ゲイルは背中の荷物を床に置いた。着替えやブラシなど、遠出用に用意した道具類をせっせと取り出してゆく。
ふと、ミントグリーンの分厚いカーテンに目が留まり、それがやたらに大きな布面積だったから、それだけでゲイルは大変びっくりした。
「でっけえカーテンだなぁ……壁がまんまカーテンで覆われてるみてえだ」
こんなに大きな布で覆い隠されている窓とは、どんなものかと、ゲイルは荷物整理の手を止めて立ち上がった。どきどきしながら、カーテンに近づいてシャッと開けてみる。昼下がりの青空の下で、人の営みが見下ろせた。まるで自分が空中に浮いていて、誰にも気づかれずに見守っているかのようだった。
「わああ、おっきな窓だ。王都が高い目線で眺められる。なんだか不思議な感覚だべ……」
下ばかり見ていると、今度は上が見たくなった。店や民家の屋根屋根を飛び越えて、背の高い建物が、ここから少々歩く程度の距離に建っているのが見えた。
「試験会場だ。窓から見えるんだなぁ」
カーテンを掴む手に、力がこもる。
「なれるかな、オラも国家テイマーに……」
ベッドに座って、天井を見上げた。階段を上がる途中で、二階に共同のシャワー室があることを確認したから、夜寝る前に、クレアに汚された顔や手足を綺麗にしていこうと思った。
少しぼんやりして、休憩した。
お腹もすいてきたから、一階の食堂に行ってみることにした。
「げえ! 昼間の魚野郎!」
一階まで階段を下りたゲイルは、見覚えのある少年たちに遭遇した。
「ああ、あんたさんらは昼間に会った、伯爵の身内の。こんばんはぁ」
「どうしてここにいるんだよ。うちの学園の生徒だけの貸し切りのはずだぞ」
「え? そうなんだべか。じゃあオラ以外は、みーんな学生さんなんだなぁ」
今夜のお勧めメニューが書かれた小さな看板に、白身魚のムニエルとある。早く食べてみたいゲイルだったが、ここは学生だけの食堂だと言われて通せん坊された。
そこへエリンを中心に、女子生徒が数人、下りてきた。困っているゲイルから、すぐに事情を聞き出すエリン。
「この人はパパから特別に宿泊許可が下りたの。怪しい人じゃないわ」
「はあ!? 怪しいだろ! どう見ても不審者じゃねーか! こんなボロ着てるヤツなんて、路地裏でしか見たことないぞ」
指差されて大声で指摘され、さすがのゲイルも眉毛が吊り上がった。
「ボロじゃねえ! これは婆ちゃんが作ってくれた、特別な服だべや。たしかにボロボロだっちゃけど、これはオラがモンスターの爪に引っかけちまっただけだ」
「ハッ、貧乏人が武勇伝騙りかよ。そんなにでかい穴開けてくる大型モンスターが、お前みたいな鈍臭いヤツ見逃すわけないだろ。とっくに殺されて食われてら。魚臭ぇしな~」
リーダー格の少年が大袈裟に肩をすくめて見せる。ゲイルは信じてくれない彼らに、なおも説明しようと意気込むと、
「待ってゲイル、挑発に乗っちゃダメよ。試験前の学園の生徒に怪我なんてさせたら、あなたの受験資格が剥奪されてしまうわ」
べつに暴力まで振るうつもりではなかったゲイルは、そんなふうに見えたのかとエリンを呆然と見下ろしていた。そんな彼に、「私に任せて」とウインクしてみせる。
何をするのかとゲイルが見守る中、エリンが一人で少年たちの前に出てきた。そして、わざとらしく腕を組んで、思案するような仕草をしてみせる。
「うーん、魚臭いかぁ……そうね、ゲイルはこの中で一番背が高いから、たとえるならクジラかしら」
「はあ?」
「それで、いっつも群れててトイレまで狭くしてくるって評判のお坊ちゃまたちは、さながら小魚の群れかしら」
男子トイレをぎゅうぎゅうに混雑させている姿が、事情をよく知らないゲイルにすら容易に想像できてしまった。
彼らも同じだったようで、何かの野菜みたいに顔を真っ赤にしている。
「無礼だぞ、エリン! 僕の家のほうが身分が上なのを忘れるなよ!」
「この人は今日初めて王都に来たのよ、それを初対面で寄ってたかって、うちの学園の生徒とは思えない品性ね。貴族なら貴族らしく、余裕と気品を持って振舞いなさい! あなたの行いが、そのままあなたのお父様の評判に結び付くのよ? それともここでクジラと乱闘して、お父様のお顔に泥を塗る気なの!?」
「ううううるさい! この平民上がりが!」
「悪口のレパートリーが、家柄のことしかないのかしら。あなたのお父様に、うちのパパがけっこうな額を融資してることを忘れないでちょうだいね、借金まみれの落ちぶれ貴族さん」
今にも少年たちから掴みかかられそうな雰囲気に、ゲイルのほうが大慌てで間に入った。
「ま、まあまあ、落ち着いて。もうオラのことは好きに言ってくれてええからさ」
「寄るな! 魚臭いのが移るだろ」
片手で胸をドンと押されたが、ゲイルが転倒するまでには至らなかった。ぞろぞろと小魚のように去ってゆく男子生徒の背中。ゲイルの故郷では、あのぐらいの年齢層は皆ばらばらに活動し始める頃だった。
エリンが呆れて肩をすくめる。
「うちの学園は暴力禁止なの。どんな理由があれ、乱闘騒ぎは即退学よ」
「厳しいなぁ、理由も聞かねえなんて」
「あら、将来有望なテイマーを育てる由緒正しい学園だもの。言葉のしゃべれないモンスターたちを、暴力で支配させないようにするための、立派な教育方針に基づいた校則だわ。だからケンカになったときは、口達者な生徒が勝つの」
「だったらオラ、ずーっと負けちまうなぁ……はは」
引き攣り笑いしかできないゲイルなのだった。
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