第4話   アンバー家が経営する宿泊所

「エリン、こんな所にいたのか」


 スーツ姿の初老の男性が、ニスでつやっつやにした大きな杖を突きながら歩いてきた。肩には三つ目の、オウムに似た大きなモンスターを乗せており、厳つい男性二人がその後に続く。護衛を兼ねて連れているのだろうかと、ゲイルはぽかーんとしていた。伯爵もお忍びで出かける際には、すぐに身元がばれるほど護衛を付けて歩いている。


(エリンちゃんのお知り合いかな。座りっぱなしじゃ失礼だよな)


 慌ててゲイルも立ち上がるが、娘の安否しか目に入っていない男性からは見向きもされなかった。


「待ち合わせの時間になっても、約束していた場所にいないから、心配したぞ」


「もう、パパったら。あの喫茶店からそんなに離れてないじゃない。心配性なんだから」


 エリンが笑いながら指で示したお店は、本当にすぐそこであった。辺りをきょろきょろすれば、エリンも店も簡単に視界に入る。しかし、こんなに綺麗な年若い娘を持つ父親からしてみれば、指定した場所にいない、というだけで頭が真っ白になり、何か事件に巻き込まれたのではないかと視野が狭くなり、やっと見つけた宝物がのんきにベンチに座っていたとしたら、小言の一つも言いたくなるのだろう……まだゲイルに子供はおらずとも、なんとなくそんな想像をしてしまうのだった。


 娘を見守る優しい眼差しが、ふと、ぼーっと突っ立っている野暮ったい風体の男を捉えて、とたんに怪訝なものに変わった。


「なんだね、君は。娘に何か?」


「ふふ、そんなに警戒しないでよ。迷惑かけちゃったのは、こっちなの」


 エリンが簡易に話をまとめて、父親に事の経緯を話して聞かせた。初めは眉根を険しく盛り上げていたエリンの父だったが、元気いっぱいなモンスターに体当たりされたあげく青年の衣服が汚れ、そのことについて青年が全く気にしていないと言う姿に、目を丸くした。さらに青年が娘と同じく国家テイマーを目指しており、辺境の地より馬車でやってきたと聞き、その件について詳しく説明を求めた。


 エーゲルン辺境伯は、元気にしているか――エリンの父は、彼の古い友人なのだと言う。


「これも何かの縁だ。うちの経営する宿に泊っていきなさい」


「ええ? そんな、王都のお宿なんておっかなくて、入れねえです。それにオラ、手持ちが、あんまし~……」


「君から巻き上げようなんて思っていないよ。試験日まで、タダで休んでいきなさい。人気の宿だから、あまり長くはもてなしてやれないがね。朝も娘と一緒に、試験会場へ向かうといい」


「ええんですか? そんな、タダだなんて」


「なーに、服を汚してしまった詫びだよ」


 この程度の汚れでお詫びするなんて、王都の住民はよほどの潔癖症なのかと、驚くゲイル青年であった。



(今日だけで、伯爵様の知り合いや身内に、いっぺえ会ったな〜。もしかして伯爵様、王都でも人気者で、ここで会う人み〜んなお知り合いとかかな〜。だったら、なんだか自分のことのように嬉しくなっちまうべや)


 エリンに案内されて、地図が役に立たなくなるほど右に左に歩かされて、ようやくたどり着いた先には、そのまま槍として使用できそうなほど鋭利な先端が空を向く、背の高ーい柵に囲まれた、巨大な建物だった。


「ほえええ!? お城じゃねえか!」


「ええ? ふふ、そんなに感動しながら褒められると照れちゃうわね」


 彼女の父が設計に大きく携わったそうで、大型のモンスター専用の部屋と、そのテイマー用に隣室を備えた特別な部屋もあるそうだ。防音、防臭、壁も窓ガラスも分厚く強固に。まだまだ未熟なテイマーが、万が一モンスターを暴走させたときの、緊急用のシャッターまで搭載済みなのだと言う。ゲイルに宿の強みを語るエリンは誇らしげで、嬉しそうで、輝いて見えた。


(いかんいかん、こげに年の離れた、良い家柄のお嬢さんに……)


 わかってはいるけど、こうも楽しそうに笑ってくれていると、ゲイルも照れてしまう。


 宿の管理人である妙齢の女性が、春風にエプロンを揺らしながら、箒で玄関を掃いていた。二人に気が付くと、「あら……」と不安そうな顔になる。


「エリンちゃん、その人はどなたなの?」


「パパの紹介付きで、一日だけこの宿に泊まることになったの。明日の試験の受験生よ」


「まあ、その人も国家テイマーを目指すのね。がんばってくださいね」


 にっこりと目を細められて、「へへ」とゲイルは照れ笑い。王都でこんなにも親切な出会いを重ねてしまうなんて、夢にも思っていなくて、浮かれてしまいそうになる。


(いかんなぁ、どうにもべっぴんさんばっかりで……王都に出稼ぎに行ったきり、帰ってこなくなっちまったヤツらの気持ちが、わかった気がする)


 若者の地元離れは、どこの地方でも悩みの種なのだった。


 立派な石造の玄関アーチをくぐろうとしたそのとき、ふとゲイルは、柱の陰に誰かが立っているのを見つけて、エリンに小声で伝えた。何やら、雰囲気が他の者と大きく違うのである。


 エリンも気が付いて、管理人にこっそり「あの人、だれ?」と尋ねた。すると、


「ああ、あの人は明日の試験官よ。ああして未来のテイマーさんたちを、ただ見上げているだけ。毎年この時期になると、よくああして立ってるのよ」


 へえ、とエリンは返事して、試験官だという謎の女性を、もう一度観察した。


 腰まで届く艶やかな黒髪は、まるで濡れ鴉のよう。黒い革の防具だけを身に着けているという、露出の激しい格好をしており、なぜ彼女が人目を惹かないのか不思議なほど白い肌が見えていた。


 ふと、エリンはゲイルを見上げた。彼の髪も、金色が多いこの土地では珍しい黒色だ。急にエリンに振り向かれて、きょとんとしている。


「どうしたんだべか?」


「あの人、ゲイルと同じ出身地かも。髪の色が似てるわ」


「そうだべか? 黒い髪の人さ、王都でも何人か見かけたべ」


「あら、そう……」


 チャリ、と音が鳴った。エリンがギョッとして再度試験官のほうを振り向くと、彼女は吊り上がった妖艶な双眸を細めて、黒い口紅に彩られた口角でニヤリとしていた。


 思わずゲイルの後ろに隠れるエリン。その傍らでは、クレアが大あくびして伸び~と背筋を伸ばしていた。


 試験官の女性は、何を言うでもなくふらりと柱の後ろに移動して、姿が見えなくなった。ゲイルの腕を引っ張りながらエリンが柱の裏側をのぞくと、誰の姿もなかった……。


「いやあああ! おばけだわー!」


「え? さっきの人なら、あそこにいるべ」


 ゲイルが指差した先には、黒のヒールで石畳の上を颯爽と歩き去ってゆく女性の、後ろ姿があった。


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