第3話   エリンちゃんっていうのか

 腹這いで地べたに押さえつけられていたせいで、立ち上がったときに衣服に細かい砂利が、大量にパラパラとこぼれ落ちた。慌てた少女が手で払ってくれようとするので、気恥ずかしくなった青年は、へーきへーきと繰り返しながら、とりあえず最寄りのベンチに座らないかと誘ってみた。平謝りしている少女を落ち着かせたいのと、地図で現在地を把握したいのと、この珍しいネコ科モンスターについて、詳しく聞きたかったから。


 金属の留め具が使われた木製のベンチは、噴水をちょうど良い距離で眺められる位置に五つほど、等間隔を空けて設置されており、そのうちの一つに少女と座った。


 クレアはあれから干物三つを、背骨ごとバリボリと噛み砕きゴクン。満足するとまた水辺に戻ってガブ飲みし、現在は少女の足元で丸くなっている。ときおり長い尻尾で石畳を叩いている他は、特に目立った動きは見せていない。


 道行く人は慣れているのか、誰も気に留めることなく、各々歩いている。


「お洋服、汚してしまって本当にごめんなさい。あ、私はエリン・アンバーです。テイマー育成専門学校の在学生です」


「ああ、学生さんなのか。じゃあソレは、制服ってヤツだべか?」


 なにを当たり前のことを、と言わんばかりの不思議そうな顔をされた。柔らかな春風に、胸の前の白い大きなリボンが揺れる。


「はい。一年生は赤、二年生は紺色、三年生は深緑色の制服なんです」


「じゃあお嬢ちゃんは、二年生さんなんだな。どうりで、しっかりしてるっぺ」


「お嬢ちゃんだなんて。そんなに歳は変わらないように見えますけど」


「ん?」


「お幾つなんですか? 五歳も離れてなければ、敬語は辞めにしましょう」


 なぜかキラキラした期待のこもった目で見つめられて、青年は苦笑しながら、片頬を掻いた。


「ああ、えっとー……二十三です」


「……」


 少女が微妙に口角を下げてしまった。


「あ~、その~、誕生日まだだから、二十二ですだ」


「そうなの! それじゃあ約束通り、敬語はナシで!」


 うふふ、と嬉しそうに足を揺らす少女エリンに、青年もよくわからないままに、とりあえず微笑んでいることにした。


「そうだった、お兄さんの名前は? なんて呼んでほしい?」


「呼び名だべか? みんなからは、ゲイルって呼ばれてるだ」


「そうなの、じゃあ私もゲイルって呼ぶわね。ゲイルはクレアを見ても怖がらないのね。おやつまでくれて。クレアと初対面で仲良くしてくれて、私すごく嬉しかった! 滅多に人に懐かない子なの。友達もいなくて、私すごく心配してたんだ」


 それから、彼女のクレア自慢が延々と続いた。おしゃべりな子だなぁと青年は気が遠くなりつつも、モンスターの生態を知るのは大好きだったから、春の暖かさの中で睡魔と闘いながら、熱心に耳を傾けていた。


(そっかぁ、クレアちゃんはこの地域でも、かなり珍しいモンスターなんだな。と言うより、ネコ科が珍しいんだよな。それでみんな、ネコ科のモンスターを手探りで調べてる最中なんだ。オラも初めて遭遇したしなぁ……)


 貴重な情報交換の一時であった。



 曲線をつけて製造された石畳が、噴水を中心にして円を描くように並べられている光景は、一種の芸術作品だと思った。


「あの魚のミイラなんだけど、あれはなんだったの?」


「ミ? ああ、アレはオラんちのとこの名物で――」


 干物と、その作り方と、保存食作りで命を繋いできた極寒の地が存在することを、簡潔にまとめてエリンに教えると、目を輝かせて熱心に聞いていた。


「そう、伝統的な保存食だったのね。そういうの、遠征に行く兵隊しか持たないのかと思ってた。初めて見たわ」


「遠征に行く人しか、魚さ食えねえのかい?」


「そもそも王都は、滅多に雪が降らなくて、年中食べ物が溢れてるから、保存して備蓄する人のほうが珍しいんじゃないかしら。お腹が空いたら、その辺りの屋台で買って食べるか、材料を買って家で調理するわ」


「へ~、豊かなんだなぁ。オラんところは、真冬は保存食を備蓄して、家族で分け合って食べるんだ。倉庫さ食べ物でぱんぱんにしてさ、いっつもこれで足りるかなぁって、心配しながら過ごすのが真冬の醍醐味だべ」


「そ、そうなのね。食料支援とか、受けられないの?」


 眉根を寄せて心配そうにするエリンに、ゲイルはきょとんとゲジ眉を跳ね上げる。


「伯爵が来てからは、支援が届くようになっただよ。それ以前は、無かったんじゃないかなぁ。真冬の吹雪の中で、外さ移動してよそ様ん家を訪ねてくれる人、いなかったんじゃないかなぁ。下手すりゃ自分が遭難しちまう」


「伯爵? ごめん、あなたの出身地、もう一回教えて?」


 王都から大きな山を五つ超えた先、一年の大半が吹雪に荒れ狂い、寒さを耐え抜いた動植物たちは生命力と厚い脂肪をたっぷりと蓄えて、濃厚で美味。数多の美食家が訪れては、グルメを堪能し風邪を引いて即帰るという、魅惑と極限の混ざり合う土地。その名も「グレートレン地方」であった。


「そうだったの。あの人、追放されたって聞いてたけど、そんな大変な場所でがんばってたのね」


 エリンも伯爵を知っているようだった。王都で、連続して伯爵の知人に会えるなんて、きっと運命か何かの歯車が回りだしているんだと、青年は思ってみたりした。


「いい人でしょ? あの人」


 エリンに同意を求められて、ゲイルもうなずいた。


「うん! みんなの自慢の伯爵様だべ!」


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