第8話 エピローグ③
◇◇◇
フランチェスカがライノに嫁いでから、ちょうど十年が経とうとしていた。二人の仲睦まじい姿は国内のみならず諸外国でも話題の的となり、愛にあふれる国の象徴であるとされていた。
また二人の間に子供は男女一人ずつ生まれた。まだ長男は七つであるが、フランチェスカ嬢の血を継いだからか優秀さの片鱗を見せており、将来は安泰とされている。
それよりも、フランチェスカとライノの二人である。
ライノは優秀であったが、それでも未だに精力的に活躍する王の下につき、将来のために勉強させられていた。妻であるフランチェスカも同様に王妃を補佐する形で様々なことを学んでいた。要するに二人ともまだまだ学習中ということだった。
さてそんな中、二番目の王子であった彼───エドガーが久しぶりに王宮へと顔を見せた。数年前に王都から少し離れた公爵家へと婿入した彼は、仕事でもない限り王宮へと顔を見せることがなかった。王妃と側妃の仲も悪くなく、エドガーもライノやリュドと同様に父や母から愛されていた。なので、
「仕事がもう少ししたら終わる。だから帰らずに待っておけ。久しぶりに親子水入らずでグラスでも傾けよう」
意識的に極力顔を会わせないようにしていた父に、呼び止められたことも不思議ではなかった。
◇◇◇
王のプライベートルームに呼ばれたエドガーであったが、初めは緊張していたものの、ワインが進むに連れ、父に対し、かつてのように振る舞うことが出来た。
「ほぉー、それは大変だのー」
などと相槌を打つ父へと、嫁の愚痴や、取引先の商会や、関わりのある貴族などの愚痴をこれでもかとこぼしたのだった。
それもさもありなん。彼は公爵家では、常に品行方正に振る舞うように心掛けており、いつだって気を張り続けていたのだから。
「ああ見えてな、あやつは怒るとバチクソ恐いんだわ……それももうもう手がつけられんほどでな」
父の、母に対する愚痴なども飛び出し、エドガーは中々に楽しい時間を過ごすことが出来た。
しかしそろそろ帰らねばならない時間が近づきつつあった───というのが態度に出たからだろうか。
その瞬間、彼の父も、先程までの和やかな表情ではなく、どこか真剣味を帯びた、どこか悲哀のある表情を浮かべたのだった。
「帰るには良い時間となったな。けれど、最後に聞いて欲しいことがある」
「なんでしょうか?」
尋ねたエドガーはなぜだか嫌な予感と共に、胸の辺りにもやもやとするものを感じた。
「フランチェスカ嬢のことだ」
エドガーはその単語を耳にしただけで息が詰まるような思いがした。
「あの頃の私達はな、リュドが駄目なことを知っておった」
私達───というのは父と母だろう。
「そうですか」
エドガーにも兄が王の器でないことはわかっていた。
「今でも一つ疑問が残っておる」
「何でしょうか?」
「お前は【王家の影】の存在を知っておった。それにフランチェスカ嬢がリュドの言うようなバカな女性でないことも知っておった。それもそのはず、リュドを除けば彼女に一番懇意にしておったのはお前なのだから」
エドガーは王の言葉に、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
そうだ。フランチェスカが兄であるリュドの婚約者なのだと、だからもっと距離を置けと両親に注意されようとも、エドガーにはフランチェスカから離れるという考えはなかった。
「お前がフランチェスカ嬢に懸想していたことも知っている」
エドガーは面を下げた。肌が粟立ち、変な汗が流れるのを感じた。彼には墓場まで誰にも告げずに持って行くべき秘密があった。それらが今、暴かれようとしているように思えてならなかった。
「なのになぜ、夜会までに問題の解決を図らなかったのだ? お前なら簡単に出来ただろうに。少なくとも、フランチェスカ嬢が婚約破棄を告げられたとき、ライノではなく彼女と最も親しかったお前が、あのときのライノの働きをするべきではなかったか?」
父の声音からは嘘やお為ごかしを許さない響きがした。
いや、もしかすると……父は既に、かつてのエドガーの心根を推し量っているのかもしれなかった。
「わ、わたしは……」
これまで意図してか無意識か、ずっと目を逸らし続けてきた卑小な自分を見つめ直すように強いられ、それを父へと詳らかにしなければならない状況に
けれど、それこそが、あのときに
「当然ながら、フランチェスカ様がリュド兄様や、グランジェ令嬢が言ったような狼藉を働いていないと知っておりました」
一つずつ言葉を選ぶように、エドガーは語った。
「【王家の影】の存在も知っており、それを使えば、リュド兄様の言っておられたような事実は存在しないことを簡単に証明出来ることも、私には、わかっておりました」
彼の父は静かに話を待った。
「先程仰ったように、私はフランチェスカ嬢に懸想しておりました。だからこそ、私は彼女と、兄との間に生じた問題を解消するようには動きませんでした。フランチェスカ嬢が独り身に戻れば、自分が彼女と婚姻を結べる可能性が高いと考えていたからです」
「エドガーよ、そうは言うものの、リュドには、フランチェスカに対する気持ちは微塵もなかった。だからあの当時、お前が動き、あの夜会までに問題を解決していたとしても、二人の婚約を破棄させることは難しくなかったろう?」
ついにこのときがきた。
ここから先は、言いたくないことだ。
過去を消せるなら消してしまいたい。
エドガーは神に願った。
それでも、言わないわけにはいかなかった。
「私は本当に浅ましい人間でした。
フランチェスカ嬢が、あの大勢がいる場で婚約を破棄され、傷物になれば、その後に彼女を娶りたいという貴族家はいなかったでしょう」
この場はもはや、懺悔の場であった。
「つまり、お前は自分が彼女を娶りたいがために、あえて積極的に問題の解決に動かなかったわけか?」
それだけではなかった。
決してそれだけではなかった。
だから───
「それだけではありません」
これまでエドガーが誰にも話すことなく石をくくりつけるようにして、心の奥底に沈めた苦い記憶が、感情が、その全てが、まるでダムが決壊したかのように、こぼれだして言葉となるのを感じた。
「単純な恋の駆け引きでした。フランチェスカ様が愚かな兄に婚約破棄され、グランジェ令嬢に自尊心を傷つけられ、多くの人に蔑まれ、その美しい心に癒えることのない傷を負い、独り身になってくれさえすれば、私は彼女と婚姻を結び夫婦という肩書を得るだけでなく、彼女の気持ちすらも己のものに出来ると考えたのです」
エドガーはいつの間にか涙を流していた。
「もう、やめよ。よいよい。すまなんだ」
彼の父が、王でなく、父としての表情を浮かべた。
「ただな。お前は本当に優秀であった。リュドとは到底比べ物にならんほどにな。それに思慮深く、他者に対する思い遣りもあった。だから私達は、お前こそが次代の王に相応しいとすら考えていたのだ」
それに、と王が続けた。
「フランは知っておったよ。そなたなら当時の自分の惨状を救えると。それでも彼女はそなたに助けを求めなかった。フランは優秀だ。それだけでなく本当に気高い女性だった。想像してみよ。王太子を敵に回しての、たった一人での戦いだった。辛かったろうに。だから私は、この国の王として、彼女のことを心より誇りに思う」
エドガーが深奥をつかれたように肩を震わせた。
「お前が先んじてフランチェスカ嬢を助けていれば、フランチェスカ嬢は王となったお前の最愛のパートナーとなり、今でもお前の側で微笑んでくれていたのではないかな」
王の声にはやるせなさから来る疲れの色があった。
その瞬間に、エドガーは恥も外聞も全てをかなぐり捨て、脇目もふらずに大声で泣いた。今はもうどうやっても取り返しのつかない、あり得たはずのフランチェスカとの未来に思いを馳せ、泣き続けた。彼女と毎日を過ごし、子を儲け、二人が老いてから死ぬまで側にいるはずであった───しかしそのような未来は、己の矮小な打算のせいで、二度と訪れることはない。
彼の長い長い後悔と慟哭の涙が終わるまで、彼の父は息子の側にい続けたのだった。
[了]
──────
これにて閉幕となります。
お付き合いありがとうこざいました。
夜会にて婚約破棄を言い渡された私のために、彼の弟がその場に飛び込んでくれました 麒麟堂 あみだ @kirin-san
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