終章

エピローグ

2026年 10月28日 水曜日 10時12分

千葉県千葉市 聖アルサード教会付属医療センター 三階 特別病棟


 作戦終了から二日後、私は千葉県にあるアルサード教会が運営する医療センターへとやって来ていた。あの作戦で気を失った朝霧さんはこの病院に収容されており、今は3階の特別病棟で入院しているとのことだった。


 私は警備員にIDを見せると、簡単なボディチェックの後にセキュリティロックのかかった扉が解錠される。病院の規模も大きいが、セキュリティに関してはかなり力を入れているようだ。風の噂でこの病院は、最近見聞きすることがある民間の軍事会社がその警備を務めているらしい。先ほどの警備員も、恐らく銃を携帯しているようだった。


 特別病棟の奥に、一際厳重そうなドアがある。立派な作りのそのドアの上に、来客確認用のカメラが取り付けられている。


 315号室。入院患者の名前は記載されていない。上條さんから聞いていたとおりだ。


 私はチャイムを鳴らすと、まるで待っていたかのように扉のロックが直ぐに解除された。


「失礼いたします。姫宮です」


 私は室内に入ると、オーソドックスではあるが手土産であるフルーツの盛り合わせをテーブルの上に置いた。


「姫宮さん――ありがとうございます。わざわざ私のために、こんな遠くまで来てくれるなんて……」


 ベットの上で、上半身を起こし外を眺めていたような朝霧さん。窓の外からは大きく荘厳な造りのアルサード教会と、周囲に広がる海が見える。景色がとても素敵な病室だった。

 

「――お体の具合はどうですか? みんなとても心配していました」


 見たところ、大きな外傷は全くないように思える。ただ、彼女の表情は何処となく暗い影を落としているように感じる。


 あのAWの攻撃で……体の内部にダメージを負ってしまったのだろうか――?


「……姫宮さん。誠にお恥ずかしい限りなのですが…………」


 そう言うと彼女は俯き、しばらく沈黙した。


 そして、その重そうな口を開く。


「私は、大半の霊的能力を失ってしまいました…… 自然粒子を思うように吸収することも、霊的な力を自在に操る事も…… 以前のようには出来ません……」


 衝撃的な言葉だった――。


 彼女はそう言うと、その瞳からうっすらと涙を流し始める。


「――今の私は、可愛いAMGEの子達よりも、ずっと弱い存在となってしまいました…… 貴女を守るべき力が無くなった私は、今後どうしていいのか、今は分かりません……」


 彼女は泣きながら、その言葉を続ける。


「……本当に、申し訳ない思いでいっぱいです…… 私は…… 私は……」


 そこまで言うと、彼女は完全に俯いて泣き出してしまった…… 私はそんな彼女の側に座り、そっと肩を抱き寄せる。


「そんなに、泣かないでください。朝霧さんは、今までいっぱい頑張ってきたんです。きっと誰よりも。だから、神様が『少し休みなさい』って――言っているんだと思います」

   

 私に身を寄せて、泣き続ける朝霧さん……


 きっと今まで、一人でずっと孤独を抱えながら戦ってきたのだろう…… アルサードの救世主メシアとして、彼女は崇められ、望まぬ戦いに身を投じてきた。


 彼女はきっと、誰よりも強く優しい。だからこそ、辛い思いを抱え込んでいたのだ……


「わたしは…… 力を失ったわたしは…… もう姫宮さんの側に居る資格が…… 貴女を守ると、心に誓ったのに……」


 泣きながら、必死に言葉を紡ぐ彼女は、その両手で泣き顔を隠すように目元を覆っている……


 私は――そんな彼女に優しく言った。


「朝霧さん。私も心に誓ったんです。貴女の記憶を――絶対に取り戻してみせるって」


 その言葉を聞いた朝霧さんが、目元を覆っていた手を下ろし、涙で崩れた表情のまま私をゆっくりと見つめた。


「だから――わたしはこれからも、朝霧さんの側にいます。失われた記憶を取り戻し、朝霧さんの心の空白が埋まるその時まで。だから、もう側に居る資格がないなんて――言わないでください」


 すすり泣くその声が一瞬だけ止まる。そして朝霧さんは、私の胸元に横顔を埋めた。


「姫宮さん…… ありがとう……」


 彼女は小さな声でそう言うと、再びすすり泣き始めた。胸元に倒れ込んだ朝霧さんを抱き寄せ、その頭を優しく撫でる私。


 彼女の温かな体温ぬくもりを感じる。不思議だ。何故か私の鼓動が、速くなっていくのを感じる。その漂う素敵な香りが、私の心に甘い何かを染み渡らせていく。


「――姫宮さん」


 私に体を預けていた朝霧さんがようやく泣き止んだのか、ゆっくりと顔を上げる。


「――もし、私の記憶が戻ったとしても…… 私は……」

 

 そこまで言うと、彼女は俯いて黙り込んだ……


 その先の言葉は、なんとなくではあるが想像はつく。


 だから私は言った。


「――朝霧さんが望むのなら、私はずっと側に居ます。だから、もう心配しないでください。私にとって貴女は――」


 言葉の途中で、急に抱きついてきた朝霧さん……


 その意外な行動に、わたしは完全に意表を突かれてしまった。 


「――姫宮さん。貴女となら、わたしはもう一度、前を向いて立ち上がれる…… そんな気がしてきました。だからこれからも――ずっと側に居てください」


 本当に救世主のような人――とは、もう言える雰囲気では無い……


 抱きしめられ、彼女の全身から伝わる温もりと甘い香りに、理性が少しずつ薄れていきそうだ。普段の服装からは感じなかったが、想像よりも大きな胸の感触が私の胸に伝わり、考えてはいけない事が頭をよぎり始める。


 とにかく、体を離さなければ――。


「――朝霧さん」


 私は彼女の両肩を優しく持って、その距離を開けた。


「約束です。私はこれからもずっと、望まれる限り貴女の側にいます。だから朝霧さんも、その記憶を取り戻し、辿り着くべき場所へ、必ず――辿り着いてください」


『――私は、アルサードの救世主メシア。たとえそれが仮初めだったとしても、私は彼女達を守りたい。か弱き人々を助けたい。その気持ちには一点の曇りも無い。そしてその先に――私が辿り着くべき場所がある』


 彼女の言葉。それを咄嗟に思い出した。


 失われた彼女の記憶。きっとそれは重大な何かだ。私の直感がそう告げている。


「――分かりました。では――」


 そして朝霧さんが、その細く白い小指を出す。


「――約束の指切りです」


 泣き止んだ顔で、ゆっくりと微笑む彼女……


 そして私は、彼女の可愛らしい小指に、自分の小指を絡ませる。


「嘘をついたら針千本どころか――東京が壊滅しそうですね」


 私の言葉に、小さな声で可愛らしい笑い声を上げた朝霧さん。



 そして私達は、まるで子供のように、互いの約束を誓い合ったのだった。



「それでは――。あまり遅くなると、室長がまた怒り出すので」

 

 その後、買ってきたフルーツを切り、二人で楽しく食べながら談笑をした私達。思ったよりも時間が経ってしまった。また腕立て伏せが待っているかもしれないが、致し方ない。

 

「今日は本当に、ありがとう御座いました。そうだ――最後におまじないをさせてください」


 病室のドアまで来た時に、朝霧さんがそう言った。


「――分かりました。どうしたらいいですか?」


「体をまっすぐにして――静かに目を閉じてください」


 アルサードの魔除けのおまじない。以前、北條さんと初めて会ったときに、彼女もそう言って私におまじないをかけてくれた。


 いつまた彼女達と遭遇するか分からない。朝霧さんが力を失ってしまった今、再び相まみえる事があれば、今度こそ危ないかもしれない。


(!?)


 体が優しく抱き寄せられる。そして優しく温かい感触が、唇に伝わる……


 目を薄らと開けたとき、そこには瞳を同じように閉じた可愛らしい彼女の姿があった。


 ダメだ…… 完全に理性とは裏腹に全身が墜ちていくのが分かる……


 そして私も、彼女の細く華奢な体を優しく抱き寄せ、その唇の甘い感触に、身も心も委ねてしまったのだった……



 高鳴った胸の鼓動を抑えながら、わたしは病室を後にした。今の私の顔は恐らく真っ赤になっているはずだ。警備員やすれ違う人になるべく顔を見られぬよう、俯き加減で早足に病院を出る。


 病院に隣接した立体駐車場は満車だったため、外の駐車エリアに停めた車に向かう私。


 そこで私は、あることに気づいた……


「これは…………」


 外は秋晴れで清々しい雰囲気だった。そして七色に光るたくさんの自然粒子マナが、外いっぱいに広がっていたのだ。


(視える…… 加護が無い状態で…… 来た時には、まるで視えなかったのに……)


 そして私は、静かに目を閉じ右手に神経を集中させる。自然界に漂う自然粒子を吸収するイメージ。


 そして右手が暖かな温もりを感じたかと思うと、わたしはゆっくりと目を開けた。


(吸収している…… 私の右手が、自然粒子マナを……)


 右手に周囲の自然粒子が穏やかに流れ込んでいるのが視える。次第に熱くなる右手の感覚に潜在的な恐怖を感じた私は、流れ込む自然粒子を振りほどくように手を払う。


 一瞬何かエネルギーのような視えない何かが、地面のコンクリートに打ち付けられた気がした……


 まさか…… そして私は、審判の言葉を思い出した。


現代の魔術師アスファルティックウィザードとなるのに、恐れることは何もない…… お前はただ横たわり、その愛撫を心から受け入れるだけで良い…… 私の魔力をその口づけで優しく全身に注ぎ込む。その快楽に身を任せるだけで良いのだ…… 目が覚めたとき、お前は新たな力と共に、新たな世界を知ることになる』


 朝霧さんとの口づけで…… 私に霊力を操る才能が開花したのか――?


 つまり、AWに選ばれた人間が現代の魔術師アスファルティックウィザードと成る方法。それは……


 わたしは車に乗り込み、捜査基地へ戻る。車から眺める海沿いの景色。海の方は明らかに自然粒子が濃い事が手に取るように分かる。


 不思議と、意識を切り替えるだけで自然粒子は視えなくもなり、視えるようにもなる。つまり、視ようと思えばその視界に映るのだ。


 朝霧さんが力を失ってしまった今、今度は私が彼女を守らなくてはならない。もっとも自然粒子を吸収できるようになったからと言って、強力な魔術が扱えるようになったわけでは無い。いずれまた審判達は現れる。彼女達の狙いは私と北條さんだ。その魔術の才がある者を積極的に仲間に引き入れようとしている。


 彼女達の計画…… その手始めとなる世界人口の削減……


 彼女達の行動理念からして、世界中で同時多発テロを起こすことも容易に想像できるが、そのような直接的手段に果たして出るだろうか――?


 いや――違う。世界中で白骨化事件を起こしているのはAWになり損ねた者達の仕業…… 審判はそう言っていた。そしていずれは裁かなければならない。そうも言っていたはずだ。私の直感が正しければ、審判のような強力なAWは極僅かの筈。大アルカナの名を授けられた者もまだ数名しか確認できていない。


 もっとも――日本に限って言えばの話だ。


 いずれにせよ、近いうちに大規模な脅威が起こる事は間違いない。勝算はあえて考えない事にする。事が起これば全力で解決に挑む。只――それだけだ。


 最悪の事態を想定しなければならない。基地へ戻り次第、対応を皆で考えた方が良いだろう。


 その時、車載電話のコール音が鳴る。哲也からだった。


『麻美。作戦が終わったばかりで忙しいところを申し訳ないが、今夜あたりどうだ? 神蔵は大丈夫だと言っている。今夜は久しぶりに3人で帰還の祝杯をあげよう。19時にセーフハウスだ』


「――なんかもう決めてるような言い方だけど、行かないとお高いお酒が無くなりそうだから――行くわ。ちゃんとお酒に負けないおつまみも用意しててね」


『大丈夫だ。抜かりはない。きっと麻美の上品な舌にあう筈だ。今夜を楽しみにしている』


 そう言って笑いながら通話を切る哲也。


 3人でお酒を飲むなんて、大学以来だ。今日は少しばかり――お洒落をしていきたい。


 いずれこの平和は崩れ去るだろう。だが私は大切な人達のために、か弱き人達のために、この壊れかけた世界を守りたい。


 幼き日に見た、同時多発テロ事件……


 幾多の人々が無残にも命を落とした地獄とも言うべき光景……


 それが…… 今も目に焼き付いている……


 もうあんな事は起こしては成らない。どんな理想を掲げても、幾多の罪無き命を奪うことが許されてはならない。


 それを許しては成らないのだと、私はあの幼き日に――誓ったのだ。


 そして私は目に映る七色の光を眺めながら、もう後戻りはできない事を確信した。現実の向こう側へ、私は歩み出してしまったのだ……


 米国特殊捜査機関UCIA。日本支部特別捜査官――姫宮麻美。それが……私の名前だ。

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