第15話 涙
ミーナは、目を覚ました。
まず最初に思ったのは、見慣れた天井であるということ。
子供の頃からよく知っている、城の中にあるミーナの自室の天井だ。
「……私の部屋?」
ミーナは、慌てて体を起こした。
すぐに背中に鋭い痛みが走り、思わず顔をしかめた。
だがそこは紛れもなくミーナの自室だった。
「私……生きてるの?」
ミーナは自分の両手を見た。
最後の記憶にあるのは、セイをかばって背中を切り裂かれたこと。血がドクドクと流れ、目の前が暗くなり、意識が遠のいていったこと。
あの時、ミーナは確かに死を感じた。
だが……生き残ってしまったようだ。
背中を触ってみると、包帯が巻かれていることがわかった。誰かが手当をしてくれたようだ。
「……目を覚ましたのか」
気がつくと、セイが部屋に入ってきていた。
セイはミーナを気遣う様子を見せながら、ベッドの前に座った。
「セイ様、あの……」
ミーナは、あれからどうなったのかを聞いた。
「戦いは終わった。奴らは、全員が死んだ」
セイは短く答えた。
「セイ様が、倒したのですか」
ミーナの記憶にあるのは、追い詰められたセイだった。あそこからどうやって戦況を覆したのだろうか。
「そうといえばそうだが、違うといえば違う」
セイは曖昧にうなずいた。
「あの男……モーゼズはどうなったのですか。あの男も死んだのですか」
「奴はまだ生きている。クルスに捕まり、今はここの地下に入れられている」
「地下に……」
ミーナはすぐに察した。
捕らえられ地下にいるということは、そういうことなのだろう。
ミーナが意識を失ってからのことは、おおよそわかった。それでもやはり疑問は残る。
一番不思議なのは、なぜミーナが助けられたのかということだ。
(クルス兄さまが私を許した? そんなはずがない……)
ミーナの考えていることが、セイにも分かったのだろう。
「……クルスについては、じきに分かる」
セイはそれだけをいうと、口をつぐんだ。
クルスが呼んでいると兵士が伝えにきたのは、それから少したってからのことだ。
兵士に連れられ、セイとミーナは、クルスの執務室に向かった。
二人が部屋に入ると、兵士が外から扉を閉めた。
クルスは、執務室に一人でいた。
奥の椅子に座り、机に両肘を立てていた。
ミーナが部屋に入っても、クルスは顔をあげようともしなかった。
「クルス兄さま、あの……」
「――まず最初にいっておくぞ、ヴィルヘルミナ」
ミーナをさえぎるように、クルスがいった。
「俺はお前を許していない。金輪際許すつもりもない。まず、それだけは覚えておけ」
「……はい」
ミーナは冷や水を浴びせられた恰好となった。
「お前をここに呼んだのは、処分を言い渡すためだ。これはすでに決定したことであり、お前の言い分を聞くつもりはない。本当はお前の顔など見たくないし、話したくもない。だが俺はベルクの領主であり、ベルメール家の家長でもある。だから仕方なくお前と会ってやっている。分かっているな」
「……はい」
ミーナは重々しくうなずいた。
クルスはミーナの顔をちらりと見ると、深いため息のようなものを吐き、そしていった。
「ヴィルヘルミナ。お前を、このベルクから追放処分とする」
「……追放、ですか」
ミーナは、にわかに戸惑いを覚えた。予想外だったのだ。
クルスはどこか感情を押し殺した声でいった。
「理由は、お前も分かっている通りだ。お前はモーゼズの危険性を知りながら、そのイストリム人を連れて逃げた。結果、多くの人間が死んだ。お前は我々を裏切り、そして見殺しにしたのだ。そんなお前を、俺は許すことができない。俺だけじゃない。この城の者も、民も、決してお前を許すことはない。この街に、お前の居場所はもうないということだ」
ミーナは、黙って聞いている。
クルスは続ける。
「お前は一族の面汚しだ。俺はこれまでお前を一族の中に入り込んだ異物だと思っていた。だがお前はそんな生易しいものじゃない。お前は毒だ。近づく者すべてを不幸にする疫病神だ。今日をもって、お前からベルメールの名を剥奪する。金輪際、一族の名をかたることは俺が許さん。お前はもう身内ではなく、赤の他人なのだ。そんなお前を、この城においておくことはできない。分かったら、さっさとこの街を出ていくがいい。話は以上だ」
クルスはそれだけをいうと、もうミーナの顔は見たくないとでもいうように背を向けてしまった。
すぐに兵士が部屋へと入ってきて、ミーナを連れ出そうとした。
「クルス兄さま、待ってください」
ミーナがいった。
その処分を重いと思ったのではない。
むしろ逆――あまりにも軽すぎたのだ。
ミーナは、罰して欲しかった。殺された人々のためにも、罪を償わせて欲しかった。もしクルスが処刑するというのであれば、ミーナは何もいわず受け入れるつもりでいた。それだけのことを、ミーナはしてしまったのだ。
だがクルスが下したのは、家名の剥奪と、街からの追放。
言いかえればそれは、おとがめなしと同じだった。
「……先ほども言ったはずだ。お前の言い分は聞かないと。これはすでに決まったことだ。お前と話すことは、もう何もない」
クルスは背を向けたままいった。
「クルス兄さま!」
ミーナはもう一度クルスの名を呼んだが、クルスは聞こうとしなかった。
そしてミーナは部屋から追い出された。
後に残ったのは、クルスと、そしてセイだけ。
しばらくすると、クルスがいった。
「……これで満足か。イストリム人」
「ああ、十分だ」
セイはうなずいた。
あの戦いが終わった後、ミーナは早急に治療する必要があった。
だがクルスは治療を拒んだ。
――死ぬなら勝手に死ねばいい。
そういってのけたのだ。
だからセイは、取引を持ちかけた。
「……約束しよう。あんたがモーゼズを手にかけたことは、誰にもしゃべらない」
「……当然だ。そのためにヴィルヘルミナを助けてやったんだからな」
クルスはセイに向き直ると、苦々しい顔でいった。
「貴様は、本当に不愉快な男だ。もとはといえば、貴様がザシャを殺したのがいけなかった。それさえなければ、モーゼズはここに来なかったのだ。すべての元凶は貴様にあったといえる。にも関わらず、貴様は図々しくも頼みごとをしてきた。その神経が俺には理解できん」
「だが、あんたは断らなかった」
「断ったら、貴様はどうしていた。あっさりと引き下がったのか。俺がヴィルヘルミナを処刑するといったら、貴様は受け入れていたのか。違うだろう」
「……そうだな。俺にとってのミーナの命は、あんたたちの
それはつまり、ミーナを殺そうというのであれば、全力をもって阻止するということであった。
「貴様は、モーゼズと同じだ。力があれば何だって許されると思っている。俺たち弱者のことなど考えもしないのだろう。俺はな、普通なんだよ。貴様たちのような化け物とは違う。人が死ぬのを見るだけで胸が締めつけられるんだ。貴様には分からない感覚だろうな」
クルスは吐き捨てるようにいった。
確かに、その通りだろう。
セイは守るものとそうでないものの線引きがはっきりしている。守るべきもののためなら命もかけるが、それ以外のものはどうなろうと知ったことじゃない。
無論、クルスたちこのベルクの人間は、セイにとって守るべき対象ではない。
クルスの第一印象は、冷酷な男といったところだった。
だが、今は少し違う。
この男は、本当に普通なのだ。
おそらくだが、セイが取引をもちかけなくても、クルスはミーナを助けていたように思う。そして重い罰を与えたとしても、命までは取らなかったように思う。
正確には、できなかったと思うのだ。
クルスは、まともだ。どんなに憎んでいても、身内に手をかけることはできない。ましてやミーナは、エリアスが最後まで守ろうとした妹なのだから。
セイは、クルスが嫌いではなかった。
クルス、エリアス、ミーナ。ベルクの三兄妹。
まるで似ていないと思った三人だが、こうしてみると、実はよく似ていた。
「……話は終わりだな。俺もそろそろ街を出ることにしよう。もう一つの約束だが、それもきちんと守らせてもらう。俺は二度とこの街には近づかない」
それも取引でだした条件だった。もとよりセイは、二度とベルクに来るつもりなどなかったが。
「ああ、さっさとそうしてくれ。俺も貴様の顔を見るのはもうたくさんだ」
クルスは手で追い払うようにする。
すぐにでも消えてほしいというのが本音だろう。
そうして去りかけたセイだが、ふと思い出したように、足を止めた。
「……クルス」
「何だ」
クルスはただセイが出ていくのを見ていた。
「……悪かったな。あんたには、迷惑をかけた」
それは、セイの本心だった。セイとて、その気持ちがなかったわけではない。
クルスは、心底嫌そうな顔をした。
「いらん言葉だ。それよりもさっさと出ていってくれ。貴様らイストリム人と関わるのは、もうこりごりなんだ」
「そうか……そうだな」
セイはそのまま部屋を後にした。
ミーナは城門の前に連れてこられた。
「さあ、どこへでも行くんだ。あんたは自由だ」
兵士がいった。
「自由……」
ミーナは、どうしたらいいのか分からなかった。
生まれてからずっとこの城で暮らしてきた。外の世界のことなど考えたこともなかった。
それでも、ミーナは進むしかなかった。
もう、この街にはいられないのだから。
ミーナは、おそるおそる一歩を踏み出した。
城門の先は、あの広場になっていた。
そこには、大勢の民がいた。
広場にはまだ戦いの跡が残っており、民たちは瓦礫を回収したり、亡くなった者を弔ったりしていた。
民たちは、城から出てきたミーナを、見ていた。
「何であの女が出てきたんだ。処刑されるんじゃなかったのか」
「クルス様が許したということだろう」
「許した? ふざけるな、あの女が何をしたのか分かっているのか」
それは、隠すことない憎悪の視線だった。
クルスは事実上、ミーナを許した。
だが民はミーナを許していなかった。
ミーナの中で、民たちに嬲り殺しにされそうになったあの記憶がよみがえる。
足が、震えてきた。
それでもミーナは進むしかなかった。
「裏切者」
「汚らしい女」
「自分だけのうのうと生きていくのか。みんな死んだのに」
歩き出したミーナに、次々と残酷な言葉が投げかけられる。
男も、女も、若者も老人も、誰もがミーナを憎んでいた。
ベルクから出るには、この広場とその先の大通りを抜けるしかなかった。
ミーナにはそこまでの道のりが果てしなく遠く感じた。
「クソ女め。エリアス様を返せ!」
誰かが手にしていたゴミをミーナに投げつけた。
それはミーナの頭に当たり、赤い血がつたった。
思わず体を縮こませたミーナを見て、笑い声があがった。
「いいぞ!」
「もっとやれ!」
城門の前にはまだ兵士がいた。だが兵士は見て見ぬふりをし、助けようとしなかった。
ミーナの目に涙がたまった。
何となく、こうなる予感がしていた。
こんなことなら、あの時に死んでいたほうがよかった。
そうすれば、もう辛い思いをしなくて済んだのに……。
「くたばれ! 疫病神め!」
再びミーナに向かってゴミが投げつけられた。
だがそれはミーナに当たる前に切って落とされた。
ミーナの隣には、いつの間にかセイが立っていた。
セイの手には漆黒の刀が握られていた。
セイは、民たちを睥睨した。
ミーナを傷つける者は容赦しないと、その目が語っていた。
民たちは、セイを恐れた。
あの者たちを殺したのがセイであると、誰もがわかっていた。
もう、ミーナに手を出そうとする者はいなかった。
かわりにシュプレヒコールが巻き起こっていた。
「イストリム人はこの街から出ていけ!」
それは二人が街の外に出るまで続いた。
二人は、ベルクを出た。
目の前には、広大な平原地帯が広がっていた。
もう民たちのシュプレヒコールも聞こえなくなっていた。
ミーナが、顔を伏せたままいった。
「セイ様……ありがとうございます。もう……ここで大丈夫です」
セイは、ミーナのことが心配だった。
とりあえず命は救った。だがこの娘は、これからどうやって生きていくのだろう。
「どこかに宛てはあるのか」
ミーナは、そっと首を振った。
「……どこにも。私には、あの街しかありませんでしたから。でも、私なら大丈夫です。きっと……一人でも生きていけます」
ミーナはセイのことを見ようともせず、そのまま歩きだそうとする。
あたりは平原地帯。
一番近くの街までも、かなりの距離がある。
着の身着のまま追い出されたミーナには、あまりにも過酷に思えた。
「行く宛てがないのなら、俺と一緒に行くか」
セイは、ミーナの後ろ姿に聞いた。
このまま一人にしてはいけないような気がしていた。
だがミーナは首を振った。
「私は……一緒には行けません。私はきっと、セイ様の足手まといになります。だから、大丈夫です。私のことは……どうか気にしないでください」
ミーナは、気丈なように見えた。
だがその足取りはおぼつかない。
当然だろう。
手当をしたといっても、ミーナは大怪我を負っていたのだから。
セイは、ミーナを追いかけようとした。
だがその前にミーナがいった。
「私は……疫病神です。私は、不幸を呼ぶ女なんです。私といれば、きっとセイ様に良くないことが起こります。私のことは心配いりません。だからどうか……私のことは放っておいてください」
ミーナの肩は、小刻みに震えていた。
セイは、ようやく気づいた。
どうしてミーナが、かたくなにセイのほうを見ようとしなかったのかを。
セイはミーナに歩み寄ると、その頭に手をやった。
「俺と一緒に来い、ミーナ。俺がそばにいてやる。俺がお前を守ってやる。お前は疫病神なんかじゃない。そんな言葉は俺が蹴散らしてやる。だから――」
セイは、言葉を探した。口下手な自分がもどかしかった。
「――だから、泣くな」
ミーナは肩を震わせ、泣いていた。
ミーナはすべてを失い、そしてすべてから拒絶されていた。
一人の少女に向けられた憎悪はあまりに重く、とうてい耐えきれるものではなかった。
セイがそっと抱き寄せると、ミーナはすがりつくようにその胸に顔を当てた。
大粒の涙は、セイの胸元に大きな染みを作った。
こうして、ベルクでの騒乱は幕を閉じた。
セイの旅は、まだ始まったばかりだった。
黒の黙示録 ダーク・クロニクル @itsuki999
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