第14話  業化


「……何だ、奴のあの姿は」

 城壁の上にいるクルスにも、セイの変化は見えていた。

 達人と呼ばれるイストリム人がマナを切り裂くというのは聞いたことがある。

 だがあのような不気味なアザを持つ者のことは、知らないし、聞いたこともなかった。

「ふひ、ふひひひ……」

 隣りから、奇妙な笑い声が聞こえてきた。

 モーゼズだった。

「し、信じられない幸運です。あれは『業化』のアザ。つまらない小僧かと思いきや、とんでもない大物じゃないですか。クルス卿、見てください。『業化』のアザですよ」

 モーゼズは、ひどく興奮していた。

「……何なのだ、それは」

「知らないのですか! イストリムの王族だけに見られる特別なアザですよ。私も見るのははじめてですが、間違いない。あの小僧、イストリム王の血族ですよ。ふひ、ふひひひ、たまりません。この私にも、ようやく運がめぐってきたようだ。あの小僧を捕えれば、私は赤い棺の隊長にだってなれるかもしれない。こ、こうしちゃいられませんよ――」

 モーゼズはクルスを置き去りにして、そのまま広場へと駆けおりていってしまった。何としてもセイを捕えたいらしい。

「奴が……イストリム王の血族だと」

 クルスは、もう一度セイを見た。

 もしそれが本当なら、時代が違えばクルスなど謁見すら叶わぬ高貴な存在だ。

 だが、どうしてだろう。

 赤い輝きを放つセイの姿はあまりに禍々しく――不吉なものに思えて仕方なかった。



 セイの心は憎しみと殺意で塗り潰されていた。

 セイは刃の切っ先を動かし、最初の獲物を決める。

(まずは……あいつから狩る!)

 セイが動いた。

 獣のような前傾姿勢からの、爆発的な加速。

 その異常なまでの殺気に三人はすぐに反応した。

 ラギとガノは後ろに飛び距離を取る。グイはセイを止めるべく、炎のマナを発動させた。

(無駄なんだよ!)

 炎が一瞬で切り裂かれる。セイは止まらない。それどころか更に加速し、一気にグイへの距離を詰める。

 そこからの、すさまじい踏み込み。

 あまりの勢いに地面がエグれ陥没する。

 グイは即座に飛び上がり、離脱しようとした。だが今のセイには、グイの動きなど止まって見えた。

 空気を切り裂き放たれる、本気の一太刀。

 グイの腰から下が爆発したように切り飛ばされた。

 下半身を失ったグイは空中で回転し、そのままどしゃりと地面に落ちた。

 セイはすぐさま次の標的を決める。斬り捨てたグイのことなど見向きもしない。

(次はでかぶつ……お前だ)

 セイは地面を蹴りつけ駆けだす。

 ガノは土のマナを使い周囲の砂塵を巻き上げた。

 つまらない目くらまし。

 そのような小手先の技など、今のセイには通用しない。

 セイの目は、砂塵の奥にいるガノを明確に捉える。

 セイは一瞬のうちにガノの間合いに入りこむと、体をねじるように回転させ、頭上高くから渾身の一撃を叩き込んだ。

 ガノはとっさに鉄槌で防御するも――刀が交差した瞬間、激しい火花と共に鉄槌が切り飛ばされた。刃の勢いはなおも止まらない。筋肉の塊のようなガノの体が、肩口から縦に両断された。

 半身を失ったガノは鮮血をまき散らしながらその場に倒れこんだ。

(最後は……あいつ)

 セイの目がラギを捉える。

 ラギは、明らかに動揺していた。

 考える暇など与えない。

 セイはこびりついた血を振り払うと、再び爆発的な加速で一気にラギへと詰めよる。

 ラギは間違いなく三人の中では一番の手練れだった。

 動揺しつつも即座に風のマナを発動させ、セイに立ち向かっていく。

 刹那の攻防。

 両者の力の差は歴然だった。

 風のマナなど、業化のアザの前では何の意味もなさなかった。

 ラギの両腕が根本から切り飛ばされ、宙を舞った。

 ラギは信じられないといった様子でフラフラと後退し、そのまま力なく膝をついた。

 ラギは、もう動けなかった。

 圧倒的な力でねじ伏せられ、セイに恐怖心を抱いてしまったのだ。

 すべてが、一瞬の出来事だった。

 このわずかな時間の中で、三人は戦闘不能にされてしまった。

 異常なまでの速度、腕力、そして暴力性。

 セイの隠し持っていた力を見抜けなかった時点で、三人の敗北は決まっていた。

 セイが、顔をあげた。

 そして広場の先を見る。

 そこには――茫然と立ち尽くすモーゼズの姿があった。



「何が……どうなっているのですか」

 広場に降り立ったモーゼズが目にしたのは、なすすべなく斬り捨てられる三人の姿だった。

 モーゼズは、激しく混乱していた。

 あまりに突然のことで、何が起こったのかよく分かっていなかった。

「ラギ、ガノ、グイ! 何をしているのですか。早く立ちなさい!」

 モーゼズは叫んだ。

 三人は動かない。

 それもそのはずだ。

 ラギは両腕を失い、ガノは半身を切り裂かれ、グイにいたっては下半身を吹き飛ばされていた。

 三人ともかろうじて息はあるようだが、彼らは二度と戦うことはできない。そういう体にされてしまったのだ。

「無駄なんだよ。見てわからないのか。奴らは終わりだ」

 セイがいった。その手には血塗られた刃が握られている。

 セイは、ゆっくりとモーゼズに歩み寄った。

「お前が親玉だな。どうした、来ないのか。俺を探していたんだろう」

「う……ぐ……」

モーゼズは後ずさった。

 できるわけがなかった。

 モーゼズは人を操ることは長けているものの、戦う力は無きに等しかった。

 つまり、弱いのだ。

 三人という後ろ盾をなくした今、モーゼズは何もできなかった。

(ど、どうする。どうすればいいのですか)

 モーゼズは、焦っていた。

 このままだと、間違いなくこの男に殺される。

 こんなところで死ぬなんて、まっぴらご免だった。

(こ、この男はイストリム人。そこにつけこんで、何とか懐柔できませんか)

 モーゼズはセイの顔をちらりと見た。

 セイは凍りつくような目でモーゼズを見ていた。

(む、無理だ。この男は私が追い詰めたことを知っている)

 だ、だったら――脅す?

「わ、私は帝国の使者で――」

「殺す前に答え合わせだけしてやる。ザシャを殺したのは俺だ。お前が俺を追ってきたのは間違いではなかった。よかったな。これで安心してあの世にいけるだろう」

 セイはザシャの言葉をさえぎり、冷めた声でいった。

(だ、駄目だ。この男、話を聞こうともしない――)

 いよいよモーゼズは追い込まれた。

 万事休す。八方ふさがり。

 そこで、モーゼズははっとなった。

 クルスの存在を思い出したのだ。

(あの愚図がいたじゃないですか)

「クルス卿! 何をしているのですか。イストリム人がいるのですよ。あなたも手伝いなさい!」

 モーゼズは声を張り上げた。

 クルスは城壁の上から、モーゼズを見下ろしていた。

 クルスが何かの合図であるかのように、片手をあげた。

 すぐに、大勢の兵士たちが広場に降りてきた。その数は二十名以上。兵士たちはセイとモーゼズを取り囲んだ。

 モーゼズは息を吹き返したように笑った。

「ふは、ふははは、形勢逆転ですねえ!」

 大勢の味方を得たことで、モーゼズはすぐに調子を取り戻した。

(あぶないところでした。それにしてもクルス、あの愚図め、言われなければ動こうともしない。あとでお仕置きが必要ですね。それとこのイストリム人……この男の強さは異常です。大事を取るならば、ゴミどもを戦わせている間に私は逃げておいたほうがいい。街を出れば、あの者たちとも合流できます)

 どこまでも自分本位。モーゼズは兵士たちの命などどうでもよかった。

 クルスは兵士たちが全員広場に降りたったのを見ると、低い声で号令をかけた。

「――やれ」

 兵士たちが一斉に剣を抜いた。

 そして次々と剣を振り下ろした。

 叫び声。

 その場にいた者たちは、はじめて三人の声を聞いた。

 思いのほか甲高い、まるで子供のような声だった。

「な、何をしているのですか――」

 モーゼズは慌てた。

 兵士たちを止めようとするも、彼らはモーゼズを無視し、容赦なく三人に剣を突き立てていく。

 それは三人が完全に絶命するまで続いた。

「ち、ちょっと待ってください。何が何だか……」

 モーゼズはパニックにおちいっていた。

 兵士たちの行動をまるで理解できなかったのだ。

「……恨みを買いすぎたようだな。お前は」

 セイが、刀をしまいながらいった。

 すでに、業化のアザも消えている。

 戦いは終わったと判断したのだ。

 モーゼズの額を、冷たい汗がつたった。

(ええと、これは、もしかしてまずくないですか……)

 そこでモーゼズは、はっと後ろを振り返った。 

 強烈な殺気を感じたのだ。

「……ずっと、この時を待っていた」

 気がつくと、クルスが広場に降りてきていた。

 クルスの目は、モーゼズだけを見ていた。

「俺が……忘れたとでも思ったのか。貴様がこの街にしたことを……エリアスにしたことを」

 クルスは覚えていた。モーゼズへの怒りや憎しみを、片時も忘れたことはなかった。

 従順なように見せかけて、ずっと機会をうかがっていたのだ。モーゼズへ復讐できる、その時を。

「ク、クルス卿、待ちなさい――」

「黙れ!」

 クルスが剣を振りぬいた。

 モーゼズの手首が切り落とされ、ボトリと地面に落ちる。

「あ、ああ……私の腕があ……」

 モーゼズは膝をつき絶叫した。

「貴様のことはただでは殺さん。我が弟にしたことを、そっくりそのまま返してやる。覚悟するがいい」

 クルスは吐き捨てるようにいった。

 すぐに兵士たちがモーゼズを取り押さえた。絶対に逃がさないように。

「ま、待ちなさい。私は帝国の使者ですよ。私に手を出したら、こんなちっぽけな街なんて一晩で滅びますよ」

「証拠など残さんさ。貴様はここではないどこかでイストリム人と戦い、そして人知れず死んだ。それだけのことだ」

 なおもわめき散らすモーゼズを、数人の兵士が城へと連れていった。

 後を待ち受けるのは、死ぬまで続く拷問。モーゼズがこれまで幾度となく繰り返してきたことだ。

 一つの街を地獄に叩き落とした者の末路としては、あまりにもあっけなく、そして情けないものだった。

 その間、セイはミーナの容態を見ていた。

 息はある。

 背中を切られているが、傷は思ったほど深くない。

 すぐに手当てをすれば間に合うと思われた。

 だが、それをクルスが許すはずがなかった。

「さて――残るは貴様たちだな」

 クルスは恨みのこもった目で、セイと、そしてミーナを見た。

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