第13話  怪物たちの本領


 モーゼズの声は、セイにも聞こえていた。

 まるでここまで手を抜いていたかのような言い方だ。

 三人がマナを使ってこないことは、セイも気になっていた。

 あるいはマナの資質が低く、戦闘では使えないのかとも思っていたが、どうやら違うらしい。

 三人が、マスク越しに笑ったように見えた。

 ゆらりとした動作で、セイを囲むように立ち位置を変える。

(……来るなら来い)

 セイは静かに構えた。

 恐れる必要などない。セイは帝国でも指折りの魔導士だったザシャをも倒している。

 小手先のなど、また潰してやればいいだけだ。

 最初に動いたのは、巨漢のガノだった。

 その手をおもむろに地面に当てる。

 次の瞬間、大地が隆起し、地走りとなってセイに襲いかかる。

(土のマナか)

 殺傷力の低い、とされるマナだ。

 セイの身体能力をもってすれば、かわすことなどわけがない。

 だがそこで、地走りが奇妙な動きを見せた。

 セイに向かってくる途中で二手にわかれ、その周囲を円を描くように走り抜けたのだ。

(……そういうことか)

 セイは相手の意図に気づいた。

 激しく巻き上げられた土煙が、セイの周囲を覆いつくしていた。

 このマナの目的は攻撃ではない。セイの目を奪うことだ。

 三人の姿が、見えなくなった。

 土煙により、セイが目視できる範囲は二、三メートルがやっとになっていた。

 外の状況は、まるで分からない。

(誰が……どこからくる)

 刹那――側面から殺気。

 ラギが飛び込んできた。

 鋭い鉤爪。回避するも――間に合わない。

 セイの体から血しぶきが舞った。

 腕……それも異獣にやられたところだった。

(それがどうした!)

 セイが反撃にでる。

 セイは自らの体が傷つくことを厭わない。どれだけ深手を負おうとも、この体が動く限り戦い続ける。

 セイの攻撃が次々と空を切る。ラギを捉えられない。

 一方でラギの鉤爪はセイの体を徐々に切り刻んでいく。

 みるみるうちに、セイの体が赤く染まっていった。

 おかしい。

 セイは違和感を感じていた。

 ラギのスピードはもう知っている。先ほどまでは難なく対応できていた。

 それなのに――ラギの攻撃がことごとく予想を上回ってくる。

 それでも、セイは引かない。

 力強く踏み込み、刃を振り下ろす。

 これまでのラギなら両手で防御していた一撃だ。

 だがラギはその軌道を見極め、上体をそらしてかわして見せた。

 間違いない。

 セイははっきりと悟った。

 ラギのスピードが、先ほどよりも上がっている。

(――風のマナか)

 セイはようやく気づいた。

 仔細に見ると、ラギの周囲だけ空気の流れが変わっている。

 風を微妙に操ることで、自身の空気抵抗を消しているのだ。

 たかが空気抵抗と思われるかもしれないが、このような接戦においてはその少しの違いが大きな意味を持つ。そしてもう一つ、視界を覆いつくす土煙の影響も極力受けないよう調整しているように見えた。

(こいつら、戦い慣れている)

 ラギとガノ。

 風のマナと土のマナの使い手。

 どちらも扱いが難しく、戦闘においては特にとされるマナだ。

 だがこの者たちは、わかっている。このマナの使い方を。

 戦闘のプロ――それはモーゼズがクルスにいった言葉だが、彼らはまさにその通りだった。

 扱いにくいマナでも、彼らの手にかかれば無類の武器となるのだ。

 セイの刃が再び空を切る。舌打ち。ギリギリで捉えられない。速度をあげる前のイメージがまだ残ってしまっている。

 その時、ラギが突然後方へと跳んだ。

(――離脱した?)

 セイの頭の中で警報が鳴り響く。

 グイ――奴が来る。

 どこからだ。

 土煙が邪魔で何も見えない。

 その時、セイが何かを察した。

(――上か!)

 次の瞬間、頭上からグイが飛び込んできた。

 その両手の先には巨大な炎が作り出されていた。

(くそっ)

 セイは慌ててその場を飛びのいた。

 先ほどまでいた場所が、炎で焼き尽くされた。

 間一髪もいいとこ。

(……まずいな。後手後手じゃないか)



 ドーム状に広がる土煙から、セイが飛び出してきた。

 あの中で戦うのは危険と判断したのだ。

 そんなセイに、ラギが襲いかかる。

 鋭い鉤爪――首筋をかすめる。

 刀で弾いていなければ、頸動脈を断ち切られていた。

 今のセイには、ラギの攻撃をかわしきるのは不可能であった。

 ラギの速度が更に増しているのだ。

 先ほどまでは様子見。ラギはセイが対応できないことを知ると、嵩にかかって攻めてきた。

 セイはジリジリと後退させられる。

 戦いがはじまった当初も防戦一方だったが、あの時とはまるで状況が違う。

 圧倒的なまでのラギの手数に、セイは防御をする以外何もできなくなっていたのだ。

 そしてセイの相手は、ラギだけではなかった。

 ラギの攻撃が、一瞬だけ止んだ。

 いつものセイなら、それが罠であると見抜く。

 だが、セイは追い込まれていた。好機とばかりに攻撃に転じてしまう。

 その瞬間、爆炎がセイを襲った。

 グイが潜んでいたのだ。

(――ちくしょう)

 セイの服が激しく燃え上がる。

 セイは飛びのくように二人から距離を取ると、旅装束を脱ぎ捨てた。

 焦げた臭いが、あたりに漂った、

 セイの素肌には、すでにおびただしい傷がつけられていた。

 ラギとグイが、今度は同時に動き出した。

 左右から一気にセイを攻め立てていく。息を吐く間も与えない。

(このままだとまずい)

 セイも、何もしなかったわけではない。

 この状況を打開しようと、必死に反撃を試みていた。

 だが焦りからくる攻撃は単調となり、当たるはずのない攻撃を繰り返してしまう。

 二人はそんなセイを嘲笑うかのように、その刃を軽々とかわして見せた。まるで曲芸師のような身のこなし――セイは舐められていた。

(何をやっているんだ……俺は)

 セイは情けなさすら感じていた。

 集中はもはや切れていて、先ほど見せた鋭さはすでに失われている。

 迷い、ためらい、そして苛立ちの繰り返し。

 セイは完全に自分を見失っていた。 

 彼らは、そんなセイを更に翻弄する。

 一気呵成を思わせる怒涛の攻めからの、凪のような一瞬の間。

 セイははっとなった。

 二人は飛びのくようにその場を離脱していた。

 気がついた時、ガノが目の前まで迫っていた。

(――次はこいつか)

 すさまじい突進からの体当たり攻撃。

 セイはあえなく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

「く、くそ……」

 セイは起き上がろうとするも、体がいうことをきかない。

(こいつら――強い)



 セイの劣勢は、ミーナの目から見ても明らかだった。 

 三人の攻撃は苛烈を極め、セイは満身創痍となっていた。

「セイ様……」

 ミーナは、苦悩していた。

 このままだと、セイが殺されてしまう。

 セイは、二度もミーナの命を救ってくれた。

 一度目は異獣から。そして二度目は暴徒化した群衆から。

 どちらもセイがいなければ、ミーナは殺されていた。

 いいのだろうか。このまま何もせず、セイが殺されるのを見ているだけで。

「いいはずが……ありません」

 ミーナは、ふらつきながらも立ち上がった。

 足が、震えていた。

 行けば、きっと死ぬことになる。

 それでもかまわなかった。

 彼のために何かをしてあげられるのなら――。

「……この命なんて、捨てたっていい」

 ミーナが、無謀な行動にでようとしていた。



 セイは刀を手に、何とか立ち上がろうとしていた。

 だが体が、思い通りに動かない。

 先ほどのガノの攻撃――あばらを何本か持っていかれた。

 力がうまく入らない。

(……何てザマだ)

 血を吐きだしながら、セイは自分の思い上がりを痛感していた。

 戦争の英雄と呼ばれたザシャを殺したことで、セイは勘違いをしてしまっていたのだ。

(俺は……弱い)

 それが真実。

 この腕さえまともに動けば、誰にも負けない自信があった。彼らなど、簡単に殺せると思っていた。

 思い上がりも甚だしい。現実はどうだ。いいようにやられ、まるで歯が立たないではないか。

 いまだ立ち上がれないセイを見て、ラギが動き出した。

 止めを刺そうというのだ。

 セイは、歯を食いしばった。

(動けよ――俺の体。動かないと死ぬぞ!)

 旅に出る前に誓った。

 祖国を滅ぼした者たちに、必ず復讐をすると。

 いいのか。こんなところで、それを終わらせてしまって。

 ラギが迫りくる。

 血に濡れた鉤爪が、鈍い光を発する。

 ここで――セイの旅は終わるはずだった。ラギの手で戦闘不能にされ、モーゼズに差し出される。その後を待ち受けているのは、無意味で残酷な死。

 セイは、すべてを覚悟した。

 だが――そこで予想外のことが起こった。

 ラギの鉤爪が振りぬかれる瞬間、ミーナがセイをかばうように割って入ったのだ。

 ミーナが背中から切り裂かれる。

 鮮血が舞った。

 セイの目には、すべてがスローモーションのようにうつっていた。

 ミーナが、その場に崩れ落ちた。

「ミーナ!」

 セイは叫んだ。

「なぜここに来た! なぜ俺をかばった!」

 セイはミーナの体を抱きかかえた。背中からとめどなく血があふれている。傷はどれくらいだ。分からない。

 ミーナが、かすれた声でいった。

「あなたに……恩を返したかったから」

「そんなものとっくに返してもらっている!」

 ミーナはセイを逃がしたことで途方もない罪を背負わされた。母を殺され、兄を殺され、これ以上何をセイに返すというのだ。

 セイは、自分の弱さを呪った。

 そして自身に、信じがたいほどの怒りを感じた。

(俺は、何のためにここにきた。この娘を助けるためにきたのではなかったのか!)

 ミーナの動きは、ラギも察知していなかった。

 ラギからしても、あれは予想外だったのだ。

 ラギとしては、不本意な結果だった。手元がわずかに狂ってしまい、うまく肉を切り裂けなかったのだ。

 セイはミーナを抱きかかえたまま、動こうとしない。

 ――今度こそ、確実に仕留める。

 鉤爪で再び狙いをつけようとしたラギだが、ふいに、飛びのくようにして後退した。

 セイからあふれでる名状しがたいを感じとったのだ。

 それは、正解だった。

「……ようやく、気づいたよ。俺に……何が足りないのか」

 セイはミーナを横たえると、つぶやくようにいった。

 ぞっとするほどに冷たい声だった。

「……怒りだよ。お前らを命に代えても殺してやるという、渇望じみた怒りが、俺に足らなかったんだ」

 セイのまとう空気が、変わっていく。

 怒りと、狂いそうになるほどの殺意が、セイに変化をもたらしていく。

 セイの体内で、その秘めたマナが流動をはじめた。

 イストリム人はマナを使えない。だからといってマナを持たないわけではない。

 マナとは、あらゆるものに宿っているのだ。人にも、草木や大地にも。ただそれを目に見える形で発現できないだけだ。

 その中でも、セイの宿すマナは、極めて特異なものだった。

 感覚が、徐々に狂っていく。

 痛みが消え、かわりに意識が極限まで研ぎ澄まされていく。

 三人は、セイの変化を敏感に感じ取っていた。

 この男――何か変だ。

 三人がこれまで殺してきた数多の人間たちとは何かが違う。

 そんな中、グイが動いた。

 両手の先に炎を作り出すと、それを練りこむように一気に巨大化させた。

 炎のマナの最大出力。

 この男は今すぐ殺さないと駄目だ。それは彼らが培ってきた戦場の勘とでもいうべきものだった。

 グイが炎を解き放った。

 炎はうねりをあげながら一直線にセイへと向かっていく。

 セイが、立ち上がった。

 そして一瞬にして炎の前にでる。

 閃光のような速さで刃が振り抜かれた。

 炎が真っ二つに切り裂かれ、あえなく霧散する。

 立ち昇る陽炎。

 その場にいた誰もが、驚きと共にセイの姿を見ていた。

 セイの全身には、螺旋状に輝く赤いアザが浮かび上がっていた。

 滲み出る殺意。

 燃え上がるような目。

 セイが、刀を構えた。

 その刃の切っ先が、三人を捉える。

「――全員殺す」

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