第4話 そうぐう

 どこへ、どこへ行ってしまったの。私の可愛い子。何があっても、自らを犠牲にしても守ると決めた我が子は、どこへ。


 声の聞こえた扉を少し開き、その隙間から部屋の様子を探る。窓もカーテンも閉め切られ、暗い室内から女性の呻く声が聞こえた。

「母さん…あっ」

 少年が真っ暗な中へ一歩踏み出そうとした瞬間、悲痛な響めきが少年の耳を襲った。それは、まるで部屋の壁や家具に裂け目を生じさせてしまうほどの鋭い叫び声だった。少年は両耳を両手で覆って前へ進もうとするも、母の泣く声の凄まじさに圧倒され、後退り、そのまま尻もちをつく。

 その衝撃で臀部がじわりと痛むが、自分の顔に涙がつたるのは、それが原因ではない。母と同じように自分も悲しいからだ。


 僕の妹はどこへ。昨日まで僕の指を小さな手のひらで握り返してくれた、あの温もりはどこへ行ったの。誰か、教えて。



「お前、あの時の」

 氷夏は瑠歌との再会を喜んだ。瑠歌も、こんなに早く再会できると思いせず、弾んだ足取りで彼の近くへ駆け寄った。

「氷夏さん、こんにちは。昨夜はありがとうございました。本当に助かりました」

 瑠歌は彼に頭を下げ、昨日のお礼の言葉を伝えた。彼の同僚二人が興味深そうに、後ろから顔を覗かせる。

「おい、氷夏、昨夜ってあの儀式だよな。こんな少女と何してたんだ」

 男が氷夏の肩に自らの肘を乗せ、目を細めて問う。女も同様の顔をして、氷夏を睨む。

「んー、人助けしただけ。迷子になってたこの子と一緒にお友達を探した」

「あらあら、ご親切なことね」

 と、女が氷夏から瑠歌に目線を移し、瑠歌を上から下まで見回した後、鼻でふふっと笑った。一方、瑠歌は女の視線から鋭くそして冷たいものを感じ、彼女と目が合いそうになった瞬間、反射的に目を逸らした。

「俺、この子と話したいことあるから、二人は先に帰ってもらっていい」

 氷夏の言葉に同僚たちは驚き、ちらっとお互いの目を合わせた。

「俺らは別にいいけどよ。お前、未成年に手を出すんじゃねえぞ」

「土の民に対する立場をわきまえた行動をしなさいよ」

 氷夏は同僚たちからの忠告に「はいはい」と煙たそうに返した。私は去っていく彼らに一礼し、その背中を見送った。すると、氷夏は瑠歌の肩をちょんちょんとつつき、柔らかな表情で彼女に声をかける。

「お前、なぜここにいるんだ」

「えっと、ここが今日最後の仕事で、今、先輩…いや師匠の方が近いかな…が、部屋の奥へ入っているの」

 瑠歌は人差し指で珪太が入室した扉を指す。氷夏は彼女の言葉で状況を理解したようだった。

「氷夏さんはここにいて大丈夫なのですか」

「今日の仕事はもう終わった。後は帰宅するだけだ。お前と会うなんて想像しなかった」

 氷夏は微笑み、瑠歌もその表情に釣られ、口唇が上がる。瑠歌は彼に会えた嬉しさと、片想いを抱いている人が隣にいるという緊張で、心臓はいつもよりも大きく拍動しているように感じた。

 すると、氷夏が名前の由来について彼女に尋ねた。瑠歌は空ではないが、屋敷の天井に文字を書くように指でなぞってみせる。

「私の名前は、瑠璃の『瑠』に、『歌』って表すの。瑠璃はこの耳飾りの石よ」

 ほら、と彼女は髪を軽く上げて、耳たぶに付けられた飾りを見せてくれた。

「それがどうかしましたか」

「あ、いや…気になっただけだ。何でもない」

 目を逸らす氷夏に対して、彼のぎこちなさ、歯切れ悪く喋る様子に、瑠歌は違和感を抱いた。しかし、それを追及することに躊躇い、瑠歌は今の雰囲気を優先し、彼に同じ質問をした。

「俺は…、コスイは一年のほとんどが雪の降る街だ。だから、その寒さで水は冷えて『氷』に。『夏』は母の名から貰ったものだ」

 瑠歌は彼の名の由来になるほどと納得する。氷夏は話題を変えて、瑠歌に続けて尋ねた。

「お前はよくこの屋敷に来るのか」

 彼の問いに瑠歌は横に首を振った。そして、その理由や経緯を氷夏に説明した。

「氷夏さんは取引のお仕事を担っているの」

「いや、俺も今日は特例だ。普段は違う仕事をしている」

 瑠歌が普段どんな仕事をしているのか、彼に尋ねようとした矢先、氷夏は彼女の背後から大きな足音を立てて接近する気配を察知し、捲り上げていた目元の覆いを下げた。

 それは瑠歌の足元に留まったことで、瑠歌も異変に気づき、目を開く。そこには正座をして頭を下げている珪太がいた。

「え、珪太さん、何を」

 瑠歌の問いかけが終わる前に珪太が氷夏に告げる。

「私の連れが何かいたしましたでしょうか。この者はまだ幼く、世間知らずなところがございます。それから目を離していた私にも責任がございますが、どうか、お許し下さいませ」

「ちょ、どうしたんですか、珪太さん」

 瑠歌は氷夏に対して謝罪の姿勢でいる珪太に驚き、その状況が読めず、珪太と氷夏を交互に見る。氷夏は目元を隠しているので、今、どんな表情をしているのか読み取りづらかった。

「どういう…」

 私は屈み、珪太の肩に触れる。自分よりも身体の大きいはずの彼の肩は、小さく震えていた。その違和感に瑠歌が気づくと同時に、氷夏が重く口を開いた。それは、風や雨が吹いていない湖の水面のように静かな声音で、先ほどの彼と交わした会話の柔らかさも消え去った声だった。

「そちらのお嬢さんに落とし物を拾っていただいただけですので、お礼を述べておりました。貴方が心配されるようなことは起きておりませんで、ご安心を。では、私はこれで」

 踵を返す彼に声をかけようと、瑠歌は彼の背中に手を伸ばす。

「止まっておれ」

 珪太は頭を下げたまま、瑠歌を踏み止まらせた。珪太の言葉から漏れる怒りのような感情に触れ、そして、まるで別人かのように自分たちに背を向け、離れていく氷夏を、瑠歌はただ見つめることしかできなかった。



 初めて儀式に参加したのは、七歳の時だった。

 赤子に儀式を受けさせる際、その多くは父母の二名が同席をするのだが、当時、二歳を迎えていた妹には片親がいなかったため、その代わりとして自分は母と共に小舟に乗ることとなった。

 母の腕に抱かれた妹はすやすやと眠っていた。小舟は自分の舵でゆっくりと湖の中心へ向かって進む。ふと、辺りを見渡したところ、自分たちの左右に同じような小舟が離れて並んでいた。

 船尾で舵を漕ぐ自分に母は止まるよう合図を送った。そして、母の指示に従い、船頭に移動し、備え付けの蝋燭に小さな手で灯す。すると、母は妹を自らの腕から籠へ移した。籠は妹の体がすっぽりと入る大きさだった。

 小さな明かりで薄暗く照らされた母は、籠の持ち手を強く握り、不安げな面持ちをしていた。儀式の意味を深く知らなかった幼い俺は、母の不安な顔を少しでも和らげたいという気持ちで、自分の手を母のそれに重ねた。

 空に浮かぶ月と星、そして蝋燭の仄かな明かりが親子を暗闇から見守る。親子はしばらくの間、静かに互いの手を握っていたが、突如、りん、と鈴の音が鳴った。

 俺は目線を母から音の聞こえた湖の水面へ移すと、つぶらな二つの眼がこちらを見ている姿を捉えた。よく目を凝らすと、その気配は動物に近いものと察したものの、それが水の上で座っているという奇異な出来事に俺は恐れを感じ、母の後ろにささっと隠れた。湖面に浮かぶ小狐はその場で自らの頭を上下し、首につけられた鈴をりんりんと鳴らした。

 その瞬間、俺は母の温かく大きな背中に緊張が走ったのを自分の手から感じ取った。母が震えながら手から小狐に籠を渡そうとした時、それまで親の背後に隠れていた俺は、待って、と思いっきり手を伸ばし、籠の端を掴んで小さな力で抵抗の意思を表した。その行動に母も驚き、小狐も咥えようとしていた口先を引っ込める。しかし、母は俺の手を籠から優しく離し、俺を自分の方へ抱き寄せて背中を撫でた。そして、「ご無礼、失礼いたしました」と言葉を添え、籠の中で眠る娘を小狐に手渡した。

 籠の手持ち部分を咥えて赤子を受け取った神の遣いは、礼儀正しく一礼した後、離れ小島の頂上を目指し、湖面を軽やかに駆け抜けていった。人間である俺も母も、神の元へ向かった家族が儀式を終えたのち、また自分たちのもとへ戻ってくると信じ、船の蝋燭の明かりでは届かない闇の先へと消えてゆく小狐の後ろ姿に願いをのせて見守った。



 外で待たせていた馬に跨り、氷夏は取引先の屋敷を後にした。氷夏はカナドリとコスイの関所を通るまで決して後ろを振り返らなかった。しかし、彼は、自身が家族の授かりの儀式に初めて参加した幼い頃のことを思い出していた。

「もう少し話していたかった」

 あの少女に対して、特別な感情が自らの心に芽生えていることを氷夏は自覚していた。

 表記は異なるものの、名前の音が妹と同じ少女。十年も前、家族と同じ属性を神から与えられず、授けられた属性の街で暮らしているはずの妹。名は流夏。

 しかし、自分が記憶している妹の面影はあの少女にはみられなかった。

 というのも、昨夜、はぐれていた彼女に出会って名前を聞いた時、儀式で離ればなれになった妹のことが過った。彼女を友人のもとへ送った後、「まさか」という気持ちと「もしかしたら」という思いで、急ぎ自宅に戻り、母の部屋の中に飾ってあった一枚の写真を確認したのだ。それには椅子に腰かけた母と、その隣で強張った面持ちで立っている幼い自分、そして、母の膝に座る妹の三人が写っていた。十年以上前に撮影されたものである。

 だが、当時の写真に映し出された姿から予想される成長した妹の容姿に、瑠歌と似た部分は見当たらなかった。だから、偶然、両者の名前の音が同じだっただけという結果で終わったことに落胆したのだが。

 俺はなぜか、あの少女を。

「手放してはいけない気がする」

 彼の口から小さく言葉が漏れたとともに、空から雪がちらちらと柔らかく舞い始めた。

 瑠歌は気づいていない様子であったが、彼女の師匠という男が怯えていたのは、自分というよりは水の民に対してのものだろう。水の民と土の民における文化的、歴史的関係から考察すれば、男の抱く自分への恐怖感は自然に生じるものだ。

 氷夏は馬の速度を落とし、コスイ方面に在所するカナドリの関所を通る。そして、馬を街の方へ振り向かせた。陽は既に沈み、カナドリの盛んな工場から立ち昇る煙の柱も見えない。

「お前はその事実を知ったら、俺に怯えてしまうだろうか」

 俺は昨日の出会い、そして今日の再会という偶然の重なりを大切にしたいと思う一方、今日の悔いと今後の瑠歌の反応に不安を覚えた。無意識のうちに手綱にさらに強い力がこもる。

 心残りを抱えたまま、氷夏は馬を帰路の方へ戻し、雪が降り積もる森の中へゆっくりと姿を消した。



 目の前から氷夏が去っていた後、瑠歌は珪太に彼への対応について尋ねた。

「珪太さん、どういうことですか。私、何も悪いこともしてませんし、その確認もしないで、なぜ氷夏さんに謝罪したのですか」

 珪太は瑠歌の問いにすぐに答えず、瑠歌へ珪太から問いかけた。

「彼が、君が言っていた片想いをしている民かい」

 瑠歌は珪太が固い面持ちで自分を見つめていることから、氷夏が「水の民」という点に何か理由があると勘付いた。しかし、その理由が分からなかった。

「瑠歌くんが何もしていないことは分かっているよ。けれど、水の民の機嫌をいつ損ねるか分からないから、あの対応が無難なんだ」

 珪太は最後に、驚かせてすまなかったと瑠歌にも謝りの言葉を添えた。

「機嫌を損ねるって…。氷夏さんはそんな器の小さい方ではないと思います。だから…」

「あんなにも謙る必要はないと思います」という言葉を続けようとした瑠歌を珪太が横から遮った。

「彼はそうかもしれないが、それを他の水の民が見ていたら、僕たちは家に帰れなくなるが、それでもいいのかい。僕には家族はいないけれども、君はそうではないだろう」

 家に帰れなくなるという冷酷な言葉に、具体的に示唆されずとも、背筋が凍ったように瑠歌は本能的に意味を察した。瑠歌は反論の言葉も出ず、口をきつく結ぶ。

「水の民の怒りを買って、裁かれた同胞を知っている。まあ、そこらについては家に帰ってから親に尋ねなさい。さあ、今日はもう遅いから馬車の中で身体を休めなさい。目が覚めた頃に家に着くはずだから」

 瑠歌は抱く疑念を今すぐにでも解消したかったが、珪太の厳しさの中に優しさ、加えて、時間と場所を考え、大人しく従った。珪太は屋敷の者に依頼し、馬車を一台手配した。しばらくして、珪太と瑠歌は用意された馬車に乗り、陽が沈みかけたカナドリの街を後にした。

 私が馬車の中で目が覚めたのは、ちょうど自宅に着いた時だった。目覚めたばかりで、眠気に抗いながらも、意識はうとうとしていた。そのため、馬車を操縦していた珪太と自宅から迎えた両親が話している内容を聞き取ることができなかった。

 イノコドの集落は地下に造られており、多くの建物は土壌や草木で固めた素材を何層にも重ねた技法で築かれている。私の家も同様だ。

「瑠歌、お疲れ。よく頑張ったね。ご飯用意しているから、馬車から降りて、家の中に入りなさい」

 聞き慣れた母の声で私の身体が自然と従う。私は馬車を降り、珪太に一礼して、家の中へ入った。両親はその後も珪太としばらく話していた。

 今日の私はよく働いた、と自分自身を心の中で褒めながら、居間へ向かうと、そこには母が用意してくれた夕食と、読書する弟の姿があった。

「遅かったね」

「ん」

 弟の嫌味を含んだひと言に自分もひと言で返す。もう少し体力が残っていれば、反論したいところだが、今の私は空腹を満たすことを最優先とした。

 お皿の半分ほどを平らげた頃、両親が玄関から戻ってきた。

「珪太さん、何か言ってた」

 私から尋ねると、父も母も「瑠歌がよく働いてくれました」とお礼述べていたよ、という簡潔な返答のみだった。他にも何か話していたでしょ、とツッコミたいところだが、身体の疲労を回復することを優先すべきと思い、親に確かめることは明日以降に持ち越すこととした。今日は本当に色々あって、疲れた。一つひとつの出来事を頭の中でまだ整理がつかない。そして、午前は運搬作業からの午後に外回りと、よく働いた。

 今すぐにできなくても、幸いなことに明日は休日だ。時間はたっぷりある。

 瑠歌はささっと身を清め、自室に戻り、瑠璃の耳飾りを外して、薬草の香りに包まれた寝床へ身体を沈めた。



 授けの儀式を催した翌日の夜は風もなく、優しく照る満月が小島の浮かぶ穏やかな湖面に映る。民の誰も踏み入れられないはずの小島の浜に全身濡れて横たわっている少年と、小島の杜より静かに現れた青年の影が重なる。

 しばらくして、青年の背後から子どもの猪が姿を見せ、恐る恐る少年に近づいた。己の鼻先を動かして、少年の様子を探る。すると、少年が僅かながらも息をしていることを小さな猪は主人である青年へ合図で伝えた。

「おい、起きろ。ここはお前のような者が来ていい場所ではない」

 少年に声をかけるも、反応は返ってこなかった。もし、彼がすぐに意識を戻したのであれば、そのまま対岸の街へ帰そうと思ったが、どうやら難しそうだ。

「お前たちが慌てた様子で私のところに知らせに来たから、何事かと思って焦ったが、なぜ民がここまで来れているのだ」

 青年は足元に佇む猪や後ろの杜の中にひっそりと姿を潜ませる者たちに尋ねた。

『僕たちもここまで来るまで何が漂ってきたのか分からなかったよ。人であれ、物であれ、ここに流れ着くことすら滅多にないから』

 猪は青年を見上げて答えた。そして、視線を少年に戻し、鼻先を再び対象に向かって動かす。

『おそらく、まだ意識は戻らないと思うよ。上に運んで、目覚めるまで寝かせておこうよ』

 首元に鈴をつけた猪は少年を前足で指しながら、青年に提案する。上とは、この小島に祭られている社のことだ。

「ここに民を長くいさせることはよくない。ここは神聖な区域だ」

 青年はふと、横たわっっている少年の纏う衣に目線をやる。青年の片方の眉がぴくりと上がる。何かに気づいたようで、仕える者たちに指示した。

「目覚める様子がないから、お前たちの力で街に送ってやれ。どうやら、この者は水の民の遠い縁者のようだから、北西へ向かってな。誰かが気づけば、すぐに親元に戻れるだろう」

 主人の指示に従い、猪たちが準備に取り掛かろうとした直後、横たわる少年がびくりと身じろいだ。


 

「お、目が覚めたかい。このまま目を覚まさなかったら、どうしようかと思った」

 ふと、自分を遠くから呼びかける声が聞こえて、それがあまりにも続くものだから、目を閉じていたいという己の本能に逆らって、目を少し開いてみた。

 目を開いた先にまっすぐ見えたのは朝焼けのような空だった。声の主は、自分の傍らに佇んでいた。己の顔をそちらへ少し傾ける。

「気分は大丈夫かい。どうしてここまで来てしまったのだろうね」

 自分を心配そうに声をかける人の顔は自分の意識が朦朧としているせいか、はっきり認識できなかった。身体が重い。ここはどこだろう。そう尋ねたいが、口も思うように動かない。自分はどうなってしまったのだろう。

 声を出せず、加えて、今の状況をすぐに理解することもかなわず、不安気な面持ちをした自分に、その人は穏やかな声で私に語りかけた。

「怖がらなくていいさ。君の耳飾りも君を守ろうと光を放っているね。君の感情に反応しているのかな」

 確か、瑠璃の耳飾りは寝る前に外したはずだ。それがなぜ付いているのか。外し忘れたのか。その疑問に答えるかのように、その人は告げた。

「ここは現実と夢の狭間だ。現実でもあって夢でもある。反対に、現実でもなくて、夢でもない場所だ。…もうすぐ夜が開けるから、それまで少し我慢だ」

 具体的に自分がどこにいるのか把握できない自分の額に大きくて柔らかい手のひらが置かれる。

「君があの夜、無事に友と再会できてよかったよ。氷夏に頼んで正解だった」

 その言葉が耳に届いた瞬間、それまでぼやけていた己の視界が明瞭さを取り戻す。大きく目を見開く自分に、中性的な容姿の男はにこやかに微笑んだ。と、同時に空が急速に明るくなり始める。

 自分はこの声、この顔、この温もりを知っている。男の胸元に視線を移す。

「さあ、夜明けだ。いつもの世界にお戻り」

 待って、と力一杯に口を開いて動かすも声にならない瑠歌と、氷夏の遠い親戚だという儀式の祭りで助けてくれた男の間を、一瞬にして白い光が遮った。そして、その光は男の首飾りと瑠歌の耳飾りに反射し、辺り一面に分散される。装飾品そのものが放つ色彩と光の欠片が重なり合い、鮮やかな煌めきが二人を包む。

 交錯する光の隙間から、勾玉の男は穏やかに瑠歌を見つめ、優しく告げた。

「こちらから会いに行くときまで、お利口に待っているんだよ」

 きらきらと舞う光の欠片が瑠歌の周りを包み、彼女の身体を呑み込んだ。


 


 


 



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地底少女物語 半蔀ゆら @hazhi_tomi_

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