第3話 てつだい

 瑠歌は堆積班の監督者から渡された地図を頼りに目的地の小屋を探していた。両脇に背の高い木々が聳え立つ坂をひたすら下っていると、一瞬のことであったが、瑠歌は左手に人影らしき気配を視界に捉えた。彼女は走ってその影を追う。

「あの、すみません。外回り班の人ですか」

 影は突然の少女の声に立ち止まり、ゆっくりと瑠歌の前に姿を現した。

「あ、もしかして臨時で来てくれた人かい。ありがとう」

 彼は背中に大きな荷物を抱え、手首には方位磁針らしき道具がくくり付けられていた。背丈はそれほど高くなく、眼鏡をかけた中年の男性だった。

「こんなおじさんと一緒でごめんね。相方がカナドリで足を滑らせた際に、店先の金物に足をぶつけて怪我したものだから」

 瑠歌の緊張を和らげるためか、年の離れた彼女に気さくに男は話す。男は瑠歌を小屋まで案内し、外回りで必要な道具や流れを丁寧に説明してくれた。

「君は外回りの仕事をどのくらい経験してきた」

「月に一回の頻度で外回りの当番は回ってきていましたが、その多くが取引対象の鉱石を指示通りに分ける作業でした。だから、取引先の方と直接関わることはほぼ初めてです。ご迷惑をおかけしたらすみません」

「いやいや、迷惑なんて。むしろ堆積班に迷惑かけてしまったのはこちらであるから」

「精一杯努めさせていただきます」

「君は礼儀正しいね。こちらこそよろしく」

 彼らは互いに自己紹介をした。男の名は珪太といった。瑠歌が彼のかけている眼鏡をよく見ると、その縁は珪線石で作られていた。

 少女の視線に気づいた珪太が照れくさそうに頬笑んで、

「この眼鏡、僕の名前の一文字が入っている鉱石なんだけど、仲良くしてもらっているカナドリの取引先で作ってもらったんだ」

「珪太さんは、ここの担当を長く務められているのですか」

 現在、瑠歌は未成年のため、作業内容は毎日ローテーションで組まれているが、成人すると、その一部は各班の専門職として長期間、同作業場での勤めを命じられる。つまり、専門職として任ぜられる彼らは、その才に秀でた者、突出した者と認められた希少な存在だ。珪太は昔を思い出すように懐かしんで語った。

「そうだね。カナドリの担当になって、もう三十年は経つかな。今の君よりもう少し年を経た頃、成人してすぐに外回りの専門職として任命されたんだ。最初は火の民の街『クマガ』担当となって、それから色んなことがあって、今となっては感慨深いね」

 小屋の古時計がゴーン、ゴーンと重く低い音色の鐘を響かせる。午後の始業の合図だ。

「さあ、瑠歌くん、行こうか」

「はい」

 珪太は商売道具を詰めた肩掛け鞄を、瑠歌は小道具が装備されている革鞄を携え、彼らはカナドリに向けて小屋を後にした。



 道端には手のひらほどの大きさの石がごろごろと落ちている。瑠歌は転ばないように足元に注意して珪太とともに林の中の坂を下っていた。勾配は緩やかなものの、一日の中で最も太陽の日差しの強いとされる時刻にまもなく差し掛かろうとしている。

「瑠歌くんはカナドリへ来たことはあるかい」

 珪太は年少である瑠歌に対して上から物言わず、むしろ謙虚な態度で話しかける。瑠歌も彼の気遣いに人柄の良さを見出し、年長者に対する礼儀として丁寧に返答した。

「片手の指で数えられるくらいの回数しかカナドリに来たことないです。六年前の儀式の時に家族と一緒に開催地だったカナドリに寄ったのが最初です」

 珪太は「六年前…」と己の下顎の髭を触りながら、前々回の儀式を思い出す素振りをした。しばらく二人の間に沈黙が流れるが、互いに足場の不安定な道に注意を払って前に進んだ。

 すると、辺りの景色が林から一面の草原へと一気に抜るとともに、横凪の風が彼ら一行を迎えた。

 珪太は目をこらすと遠くの方にイノコドとカナドリの境界を示す関所が見えることを瑠歌に教える。瑠歌も彼に倣って、遠くを見つめてみるが、それらしき建物は見えない。そのことを伝えると、珪太は「かっ、かっ、かっ」と大きな口を開けて笑った。珪太の嬉しそうな顔を見て、瑠歌もふふっと笑みが溢れる。

 珪太を先頭に草原の中を道を真っ直ぐ辿る。道端の石も小さくなり、時折、強い風が吹いて、砂が舞い上がるが、地盤は固く平坦な道であった。珪太は歩きながら両手を天に向かって大きく上げ、瑠歌に投げかけるように呟く。

「僕はカナドリへ取引に行く時、必ずこの道を通るのだけれども、ふと、思うんだ。何百年、何千年前の祖先たちがこの道を作ってきたと考えると、この国の歴史の深さだけでなく、当時の民の才能や生命力の素晴らしさに驚かされるんだよね」

 彼の言葉を受けて、瑠歌はその場で自らの足先で地面をとんとんと叩いた。

 今、何気なく歩いている道や昨日採石した大きな洞窟、先ほど壺を運んだ坂道も、自分が生まれた時から見てきたものだ。珪太の考えの通り、そのような当たり前に感じている生活は、祖先の功績の積み重ねによって生まれたものであると捉えると、彼らに対する感謝と畏敬の念を抱くと同時に、己の中に蟠っている悩みも小さくなっていく気がした。

 カナドリへの入り口、つまり関所までもう少し距離がある。瑠歌は勇気を出して自分の心にある不安を珪太に打ち明けた。己の悩みに対して、翠姫だけでなく、珪太の考えや意見も参考にしたいと思ったからだ。瑠歌の相談に耳を傾けた珪太は小さく驚く顔を見せたが、すぐに物腰柔らかい表情に戻った。

「そうか。他属性との恋愛や結婚か…。私自身、結婚も子どももいない身だから、説得力はないかもしれないが、その子が言うように、自分の産んだ子は儀式を境に自分の手で育てられなくなる可能性は考えられるな」

 珪太のいう「その子」とは翠姫をさす。珪太は己の白髭の先を指で整えながら続ける。

「法で他属性との恋愛や結婚は禁止されていない。でも、君のことを思っての発言をすると、君の家族や周りの近しい人たちによく思われず、君が辛い思いをすると思う」

 珪太は瑠歌を攻めるような言い方はせず、まるで、瑠歌のその思いを受け止めつつも、増長しないように留めようとする話し方であった。

「他属性との交流を深めるのは良いことだ。それは僕たちのような外回り班では有利に働くことがある。だから、君が彼と恋愛ではない関係を築くという道も開けるのだよ」

 慌てないで、と珪太は私に優しく諭す。けれども、その視線は私に向けらたものでなく、他の誰かを重ねているようだった。

 お互いに自然と足が止まり、二人の間を強い風が吹き抜ける。すると、大きな声が珪太の名を呼んだ。珪太は突然聞こえた声の主を探す。二人が向かうカナドリの方角から馬車に乗って手を振る人物が現れた。彼が午前の業務で怪我をしてしまった本人だ。

「お嬢ちゃんが助っ人に来てくれたのかい。ありがとう。本当にすまないね」

 瑠歌は一礼した。彼は片足を応急処置で固定された状態で馬車でイノコドに戻るという。

「大事にしてくれよ。回復したら、また一緒に外回りしよう」

 珪太も彼を気遣い声をかける。怪我をした彼は申し訳なさそうにお辞儀をして、カナドリの街を後にした。

 瑠歌は馬車を見送っていたが、歩き始めた珪太に気づき、彼の背中を追う。

 遠くを見ることに慣れていない瑠歌でもカナドリの関所を視界に捉えることができるところまで近づいた頃、珪太が瑠歌に尋ねた。

「瑠歌くんは自分が得意と感じているものはあるかい」

 絵を描くこと、歌うこと、楽器を奏でること、どれも私の好きなことだ。なら仕事の中ではどれが一番自分に合っていると思うかい、と珪太が続けて問う。それに対して、瑠歌は採石作業と答えた。理由としては、鉱石を見つけることが他の作業よりも集中して取り組みやすいからと。すると、珪太は大きく頷き、

「教えてくれてありがとう。もしかしたら、君は鉱石が好きな土の精霊に好かれやすいのかもしれないね」

「精霊、ですか」

 瑠歌は採石作業している時の自分を頭の中で想像した。

 大きく掘られた洞穴の固い土壁を見て触り、何となく決めた箇所を中心に土壁を削ったり、くり抜いたりする。ある程度の土を採取できたら、その中から道具を使って鉱石を見つけ出す。それをひたすら繰り返す。この一連の作業の中で、もし、珪太のいう「精霊のちから」を借りているとしたら、土壁を削る箇所を「何となく決めている」という点だろうか。その日の気分や手触り、見た目で削る場所を選んでいるが、その一箇所を決める際に、知らず知らずのうちに私は「精霊のちから」を借りていたのかもしれない。

「精霊はこの国ができる前から存在していたちからだ。それに好かれる、気に入られることは良いことさ。精霊のちからを借りたいと思っても、目に見えないし、誰もが容易く駆使でできるものではないからね」

 さらに、珪太は「反対に、外回りは精霊には好まれない作業だからな」とぼやく。瑠歌が理由を問うと、「僕らは鉱石や宝石を売買するから、それらを大事にする精霊からしたら、自らの身体を手離すようであまり良い印象ではないよ」という答えが返ってきた。

 二人が精霊の存在について語り合っていると、ようやく目的地の関所に着いた。ここではカナドリへ持ち込む荷物を確認されたり、街へ入る許可証を提示を求められたりした。その窓口の担当者が珪太に声をかける。

「あんたの相棒、大丈夫だったかい。先ほど、馬車で帰っていったよ」

「心配かけてすまないね。相方とはここに来る途中で会ったよ。そちらにも迷惑かけてすまなかった」

 気になさんな、と珪太と親しく話す男は二枚の許可証に押印した。そして、彼は瑠歌に視線を移し、許可証を渡しながら、

「ようこそ、カナドリへ。お嬢さんはあまり見ない顔だが、この街を楽しんでいってくれ」

 笑顔の彼の声と共に、関所の扉がギギギと音を立てて開かれる。その隙間から太陽の光が差し込み、瑠歌は眩しさに目を細める。

「瑠歌くん、短い時間だが僕の相方としてよろしく」

「はい。よろしくお願いします」

 瑠歌の高らかな元気な返事とともに、珪太が先頭に、彼らは金の民の国「カナドリ」へ一歩を踏み出した。



 一軒目の取引先は、調理道具を製造販売しているお店だった。その店主は大きな鉄板でも熱が均等に伝導する調理道具の開発に悩んでいた。それに対して、珪太は店主の話を丁寧に聴き取り、出来上がったイメージを共有する。どうやら、街に新しく出来る飲食店より鉄板で一度に多くのものを焼けるような要望を受けたとのことだった。珪太はその希望にできるだけ沿えられるような方法をいくつか選択肢を上げ、店主が比較して決められるよう交渉を行っていた。

「鉄板の大きさにもよりますが、このぐらいの大きさであれば、粒子の細かい鉱石の方が調理した際の焼き具合が丁度よいと思います」

「確かに、珪太さんの言う通りだ。しかし、要望のあった大きさはその倍の大きさなんだ」

と、店主は鉄板の大きさを自らの腕を使って表した。珪太と店主からすこし離れた位置に瑠歌は端座していた。店内に掲示されている数々の調理道具を見渡す。すると、瑠歌は自宅でも愛用している土鍋と形がそっくりな商品を見つける。他にも、飲食店用の大きな深鍋や先が鋭く細身に包丁など置かれていた。

「瑠歌くん。鞄をこっちに持ってきてくれるかい」

「は、はい」

 瑠歌は珪太の声に従い、自らの脇に抱えていた鞄を持って、彼の隣まで近寄る。鞄を彼の近くに置き、その鍵を外して渡した。

「ありがとう。瑠歌くんは僕の後ろにいて」

「はい」

 珪太と店主の話し合いは続き、交渉がひと段落着いたのは、時計の長い針が一周した頃だった。瑠歌は、珪太が商売道具のルーペや鉱石のサンプルなどを片付け始めた様子に気づいて、再び彼の近くに寄り、次の取引先の準備を一緒に行った。

「また頼むよ」

「ありがとうございました。またご贔屓に」

 珪太は店主に対して一礼し、二軒目に向けて足を進めた。瑠歌も大きな鞄を両手で携え、小走りで彼の背中を追う。カナドリの空も雲一つなく青く染まっていた。

 珪太が進む速度を緩め、瑠歌の隣で彼女の速度に合わせて歩む。

「瑠歌くん、一軒目お疲れ様。あと二軒の取引先があるけど、疲れていないかい」

「お気遣い感謝します。私は大丈夫です。あの、珪太さん。私、頭が悪いので、良ければ教えていただきたいんですが、一軒目の取引はどうでしたか」

 珪太は顔は進む方向に向いたまま、瑠歌の質問に返答する。

「大きな鉄板を造るのに、一度、参考品を製造してみたいということで、粒子の大きさが異なる鉱石を次回の訪問までに揃えることになったんだ」

 彼は胸ポケットに入っていたメモを取り出し、ペンで何かを書き留める。用意する鉱石の種類をいくつか候補をまとめているようだ。

 一軒目の取引に関してまとめている途中で、二軒目の取引先に到着した。照明家具を製造している店舗だった。お客さんと同じ入り口から中へ入ってみると、様々な色で染められたガラスを組み合わせて作られた沢山の照明が飾られ、店内を鮮やかに照らしていた。他にも、紙と竹で作られた提灯で、温かみを感じられるような照明も売られていた。珪太は店主を探しに店の奥へ入っていく。一方、私は形や色取りどりの照明が織りなす幻想的な空間に浸っていた。

「瑠歌くん。こっちにおいで」

 珪太の声で瑠歌は目が覚めたように、はっと意識を仕事に戻し、彼の声を頼りに店の奥へ足を進めた。すると、珪太がこっちこっちと手を振っていた。瑠歌は急いで彼のもとへ駆け寄る。そこには店主とその妻が珪太と向かい合って腰をかけていた。瑠歌は彼らに一礼して、珪太の隣に着席する。携えていた鞄は己の膝下に置いた。ここでも、珪太が店主の相談に耳を傾けて、その悩みに対して複数の選択肢を挙げていた。店主は妻とも話し合い、今回は取引成立まで運ぶこととなった。最後に、珪太が所望の鉱石の日取りに関する調整や支払い、連絡先等について説明する頃には、照明販売を営む夫婦の当初、不安な面持ちは消えていた。売買する両者が互いに笑顔で取引を終える事例となった。

「珪太さん、すごいです。お店の人、満足そうなお顔をされていました」

 瑠歌たちは三軒目の取引先へ足を進めていた。これが本日最後の仕事だ。だが、関所近くの通りに店を構えていたこれまでの二軒と異なり、街の中心部へ移動する必要があった。珪太は普段、相方と馬に乗って移動することが多いが、今回は瑠歌の身体を考慮し、馬車を借りることとした。彼らは馬車を店より借り、珪太がその馬を操縦し、彼の隣に瑠歌は座る。そして、彼らは街の北部を目指して出発した。陽が大地の下へ傾き始める頃だった。

 辺りは金の民の作業場と思われる工場が連なり、所々、黒い煙が立ち昇っていた。金属を叩いたり磨いたりする鋭い音が盛んに響いていた。樹木や土に囲まれたイノコドの作業場とは異なる緊張感が街の中に走っていた。瑠歌はその気配に押され、己の両耳を手で覆う。カナドリの作業場に慣れない瑠歌の様子に気づいた珪太は、馬の進む速度を少し速めた。

 しばらくして、金の民たちが生活する民家が集まる景色に変わった。ある家の子どもや犬は楽しそうに駆け走り、それを近くを見守る老人の姿が見られ、瑠歌は、ふうっ、と心に落ち着きを取り戻すことができたものの、彼女の顔色が元に戻るにはまだ時間がかかりそうだった。

「瑠歌くん、もうすぐ着くよ」

「ご心配おかけしてすみません。頑張ります」

 ガラガラと馬車が音を立てて前に進む。近くにいた住人たちは、馬車の音を聞き、誰が来たのか気になるようで彼らを遠くから眺めていた。一方で、瑠歌は馬車から見えた金の民たちの服が黒く煤んでいることに気づいた。そこから、土の民たちが身体についた泥が勲章と感じるように、金の民にとって煤がつくということは、それと同じかもしれないと思った。すると、馬車が速度を落とし、ついにある家の門の前で止まった。それは、周りの家と比べて一際大きく、外見からでも荘厳に感じられる佇まいであった。

「すごく立派なお家。私の家の何倍あるんだ」

 瑠歌は開いた口が塞がらない。

 珪太が馬車から降りると、門は開き、そこから人が出てきた。

「お待ちしておりました。馬車の方はこちらで預かりますので、お二方は中へお進みください」

「恐れ入ります。瑠歌くん、行くよ」

 瑠歌は鞄を持って、珪太の後ろに付いていく。石畳の通路、豪華絢爛な照明、色彩豊かな壁面の中を珪太はまっすぐ進む。やがて、門よりも厳かな雰囲気が漂う扉の前で珪太は立ち止まった。瑠歌も彼に倣い、立ち止まる。扉には生き物や植物の彫刻が施されていた。

「すごいこだわりだ」

 瑠歌が自分にしか聞き取れないような小さく呟く。そして、瑠歌は生活の質が自分と桁違いな人たちと取引をしている珪太の才能の素晴らしさを再認識した。

「どうやら先客がいるようだね。瑠歌くん、この先は僕一人で行くから、君はここで待っていてくれるかな。鞄も君に預けたままにするよ」

「はい、承知しました」

扉の近くに控えていた家人が珪太に声をかけた。

「まもなく先客様が終わりますので、こちらへ」

と、珪太はその案内に従い、扉の奥へ入っていく。瑠歌は彼の背中を見届けた。重厚な扉が閉じられたのと同じくして、先客と思しき人たちが別の扉より姿を現した。男二人、女一人の三人組で、彼らの纏う衣は全身白系統の色で染められ、袖や身丈が長く、目元は隠されていた。瑠歌は道を開けて軽く頭を下げる。その一人が深く息を吐いて、後ろの同僚に投げかけた。

「はあ、緊張した。お前の紹介先だったから、良かれと思って軽い気持ちで付き添ったけど、ここの亭主はとんでもない奴だな」

「………」

 話を振られた彼は無言だ。すかざず、同僚の女が間に入る。

「あんた言い方に気をつけなさい。嫌なら、担当から外れてもいいのよ」

 彼女の鋭い口調に男は「へいへい」と開き直る。瑠歌がどの民だろうか、と疑問に感じ、彼らも瑠歌の前を通り過ぎようとした矢先、二人の会話に交わらず静かな男が口を開いた。

「良ければ、またよろしく頼むよ」

男の低く穏やかな声色を瑠歌の耳は聞き逃さなかった。その声は、と瑠歌は反射的に顔を上げ、後ろから彼の名を呼ぼうとしたが、誤っていた場合の恥ずかしさを覚え、名前の一文字しか声にならなかった。

「ひょ、ひょう…」

 すると、男は立ち止まり、そしてゆっくりと後ろを振り返った。

 男は己の目元の布を捲ると、昨日出会ったばかりの少女の姿を捉えた。

「お前、あの時の」

 瑠歌が片思いを抱いている男、氷夏であった。






 










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