不透明なあの子

カレンダーを指でなぞる、

今日は2月の24日だった。


澪「…。」


明日。

明日、ついに受験のために

北陸の方へと前日入りする。

Twitterでも学校でも

多くの人が受験が終わった、

私大の合格はここだったと

報告しているのが目に入る。

その度に心臓はばくばくと音を立てて、

漠然とした不安に

押しつぶされるかのような思いをした。

今だってそうだ。

月曜日の受験当日のことを思えば

早鐘を打ち、目の前が眩みそうになる。


雫「明日の準備しなきゃね。」


澪「まだしてなかったん。」


雫「そう、これから。あ、そうだ。今のうちから洗濯回さないと。着たいものはほっぽっちゃって。」


澪「うん。」


主には制服だからいいものの、

詰め込んだ寝巻きや下着を再度確認する。

新幹線で北陸まで向かう上

前日入りなのだから

私服で行けばいいものを、

何か忘れると怖いからという理由で

制服を身につけて向かう予定だ。

姉も「ローファーだけ忘れても嫌だもんね」

とまるで経験があるように

しみじみと噛み締めながら言った。


向こうの土地はよく雪が降るものだから

その影響で関東ほど電車が止まる

と言うことはあまりないだろうが、

踏み入れたことのない土地が故に

どうしても信じられない気持ちでいる。

当日、受験会場にたどり着けなかったら

どうしようか。

今日に至るまでに数箇所

受験してはいるものの、

まだあの空気感に慣れることはない。

これまでの自分全てを

見定められている感覚は

臓器ひとつひとつを

指先で撫でられ確認されているようで

不快感が募っていくのだ。


それでも立ち向かわなければ

いけないことに変わりはない。

「少しだけ頑張ってくる」と言い

また自室に戻って行った。


澪「…とはいえ、勉強系は終わったと言っても過言やないけど。」


残る受験は面接と小論文。

少し前まで5教科の勉強に

追われていたのが嘘のようだった。

実際5教科は受験で使った。

なので無駄にはなっていないし、

それのおかげで滑り止めには合格している。

最終的にではあるが

得意だった国語を生かして

小論文の課題に挑む。

迷いながらも進み続けていた、

そうしていたつもりではあるかもしれないが、

それでも続けていたことは褒めてあげたい。

何かと繋がっていたのだ。


共通テスト前、先生に相談した時には

流石に時期も時期なだけあり

大層驚かれたが、

それでも「やりたいことが見つかってよかった」

と微笑んで今にも泣きそうな声で

そう言ってくれたのは

とてつもなくありがたかった。

成績づけや他の生徒のこともあるだろうに、

今からでも小論文や面接の対策をすると

言ってくれたのだ。

特別対応と言っても良いほどに

面倒を見てもらい、

明日その舞台へと足を下ろすのだ。


澪「…。」


これまで行った小論文の

課題を見直して数十分。

休憩がてら数分うたた寝をし、

起きてからスマホを手に取った。

すると、どうやら連絡が来ているようで

見てみれば珍しいことに結華からだった。

内容は会って話をしたいとのことで、

既に近くまで来ているらしい。


澪「…なんかあったっちゃろうか。」


ぽつりと独り言が

青い1人部屋を満たしていく。

夏の段階でうちの家の近くまでは

来たことがあったため、

その関係で知っているのだろう。

うちが過去のうちと別れた

例のパン屋あたりにいるらしい。


朝風呂を終えたばかりで

コンディションも悪くなかったため、

すぐに鞄を持って

ついでにお金も持った。

気分転換だ。

明日本命の試験なのだし

詰めすぎてもよくないだろう。


雫「お散歩行くの?」


澪「そんなとこ。あのパン屋さんでなんか買ってこようと思うんやけど、なんかいる?」


雫「うーん、メロンパン。なかったら塩パン!」


澪「フランスパンとかは?」


雫「それもいいけど…明日から家空けちゃうしね。食べれる分だけにしとく。」


澪「わかった。いってきます。」


雫「いってらっしゃいー。」


姉は玄関先まで顔を出しては

緩く手を振った。

手を挙げるだけで返事をしたが、

それでも姉は嬉しそうに

にっこりと目を細めて

次第に扉を閉めては鍵を閉める音を鳴らした。

防犯を忘れていないようで

安心しながら冬を歩く。


澪「…。」


先ほど連絡を確認していても思ったのだが

寧々と長いこと連絡をとっていなかった。

ひとまず最後の試験の日程は伝えたため、

その日付まではもしかしたら

連絡しないように、

気を散らさないようにと

気を遣っているのだろう。


思えばうちが透明になって

戻ってきたのだって

もう2ヶ月も前のことになる。

文通をしていたのだって

つい最近のことのように思っていたのに、

冬は終わりかけて

春が来ようとしている。

うちらは大学生になろうとしている。

あっという間すぎて信じられないのだ。


あの12月を思い出すたび、

寧々にはたくさんの迷惑をかけたことと

抱えきれないほどの

感謝を伝えたいことを思い出す。

それと同時に

こんなことも伝えたっけと

ふと脳裏をよぎるのだ。





°°°°°





澪「ずっと見よったよ。全部見よった。」


寧々「ぐずっ……ぇ…全部…?」


澪「頑張ってくれたことも寧々の手紙も全部。」


寧々「……っ…私…わ、たし…っ。」


澪「うん。」


寧々「ずっと…ぇぅ…好きでっ…っ。」


澪「…うん。」


寧々「…ぅ…ごめんなさいっ…。」


澪「あははっ…何でそこで謝るん。」


寧々「だってぇっ…。」


澪「寧々、ありがとう。」


寧々「…っ。」


澪「全ての想いにすぐに応えることは難しいかもしれん。でも、寧々の気持ちに応えていきたい。」


寧々「もー……ぐずっ…澪の馬鹿ぁっ…。」





°°°°°





澪「…応える…って、結構難しいこと言ったかもしれんな。」


何を持ってしてその気持ちに

応えたということになるのだろう。

あの日以降、1日中手を繋ぐと言ったように

ずっとくっついていることもなく、

かと言って付き合っているように

頻度高くあったり連絡をとったりもしていない。

どちらにせよ受験といあ壁が

ただ邪魔しているだけだろうが、

友達や親友というには

あまりに心を許しすぎているようにも感じた。

しかも、うちの大学受験が成功すれば

遠距離もいいところ、

関東と北陸になってしまう。

頻繁に会うことはまず難しい。

それは応えるのうちに入るだろうか。

…否、入らなさそうだ、と思う。


寧々はうちに向かって

好きだと言ってくれた。

『篠田澪は好きな人』

『もし記憶が無くなったら

名前をずっと書き続けること。

篠田澪は私にとって

1番大切な人だから』と

書かれたものがあるのも

透明になっている間に目に入った。

好き、とは恋愛としての好きなのだろう。

けれど、うちは同性のことを

好きになったことはなかった。

寧々のことは大切だが、

それが恋愛的好意と呼べるものなのか

まだわからない。

ただ一緒にいると

少しくすぐったい気持ちになるのだ。

それが心を許した人だから

どんなうちの一面を見せても

ある程度大丈夫だという安心の表れだろうか。


その先の未来、

うちらはどう過ごしているのだろうか。


考えても無駄なのかもしれないことを

長々と考えているうちに

パン屋が遠くに見えてきた。

そこをすぎて近くの公園へ向かう。

答えなど出るはずもなく、

見えてきた結華に手を挙げる。

周囲を見渡していたらしい彼女は

うちに気がつくと小さく会釈をした。


結華「すみません、急に。」


澪「ううん。うちもちょうど外の空気吸いたかったしいいと。」


結華「もしかして受験…。」


澪「そう。2次があるけんさ。」


結華「…!忙しいのに申し訳ないです。」


澪「言っても小論文と面接やし、言うてあと2、3日やしさ。息詰めすぎるのももうしんどくて。だけんよかったと。」


結華「ほんとですか。」


結華はやや俯くと

いつもより元気なさそうに

そう呟いていた。

寒いからだろうか、

手をポケットに突っ込んでいることもあり

一層縮こまっているように見える。


近くのベンチに座って

話すのかと思っていたけれど、

流石に10℃もない空の下

動かないままではひどく寒く、

結局近所を散歩することになった。

こうして歩いていると、

休日の昼間だからだろうか、

遊んでいる子供が多いように見える。

しかし、思えば中高生の姿はあまりない。

皆勉強したり家に篭ったり、

はたまたこんな近所の公園には

居座らないのだろう。

都会へと遊びに行ったり

駅ビルに併設されたカラオケや

ご飯屋、ショッピングに出かけたり、

または引きこもったりと

大人が近づくにつれ近場で健康的なことは

しないのかもしれない。


結華「2次ってことは国公立ですか。」


澪「その方向やね。まだ間に合うところがあったけん、なんとか。」


結華「そうだったんですね。」


澪「やりたいことが急に決まって、それが共通テスト前でばたばたやったとよ。」


結華「志望校変えたんですか?」


澪「全部な。」


結華「大きな決断ですね…。」


澪「まあでもやりたいって思ったけん。」


結華「何系の学部なんですか。」


澪「芸術とか文化系やね。とはいえうちは文化を広めるみたいな人になりたいって思ったっちゃん。何かを作ることはできんからそれの良さとかを伝える、みたいな。」


結華「へぇ…いいですね。きっかけは何だったんです?」


澪「冬休み前やけど、うちと寧々で歩き回れる広い美術館に行ったんよ。その時にステンドグラスの塔に入ってな。」


結華「なるほど。それが綺麗だったと。」


澪「そう。前々からガラスには興味あったっぽいけん、これを機にその世界のことを知っていくこともありやなって思ったんよ。」


結華「そうでしたか。夏の時よりも随分ぱっとした顔をされてるから、よっぽど決意は固いのかなって思います。」


澪「夏な…あー…そんなこともあったな。」


ふらり。

さっきまで視界に映っていた

公園のことを思い出す。

結局過去の自分を変えることは

できなかったけれど、

元の世界へと送り返すことは

できたと信じたい。

今となっては今の自分は、

やりたいことが見つかって

自主的に動けているので好きだけれど、

当時はそんなこと微塵も思っていなかった。

自己嫌悪の塊だったのではないかと思うほど

自己評価は低かった。

それが学校の先生や姉、

周りの人、そしてなんと言っても

寧々がいてくれたおかげで、

その考えは少しずつ変わってきている。


澪「ほんま2人には迷惑をかけたよな。」


結華「それについては私はそんなに負担ではなかったです。むしろ何もなくてよかった、というか。」


澪「そういえば最近悠里や結華はどうなん?」


結華「どう…難しいですね。可もなく不可もなく…だと思いたいです。」


澪「なるほどな。悠里は記憶が戻る、と言うこともなく、か。」


結華「はい。」


澪「戻る兆しは?」


結華「…どうでしょうね。そもそも戻ってきてほしいと私が思っているのか…。」


澪「うちの記憶に濃いのは記憶を失ってからの悠里やけん、元の悠里がどうやったかってあんまり残っとらんけど…本人がどう思っとるかやんな。」


結華「……悠里は、悠里になろうとしてる…と思います。」


そう言って隣では少しばかり俯き

前髪の影に目が隠れるのが見えた。

悠里になろうとしている。

それはいいことではないのだろうか。

元の自分に戻るというのは

普通のことだと思っていた分、

結華の言い回しになるほど、と思う。


結華「…その、篠田さん。」


澪「ん?なん。」


結華「相談がある時…でも、話してはいけない内容の時…どうすればいいですか。」


澪「話しちゃいけん…ねぇ。」


結華「…もう、これを言葉にした時点で先はないんですかね。」


澪「それが友達の話ではないんやとするとそうかもな。」


結華「…。」


澪「今日なんか変やなとは思っとったけど、何か1人で対処せないかんことがあるったいね。」


結華「…そう、かもしれません。」


澪「信頼できるところに話すとか、結局は吐き出したいってことやから紙に書くとかTwitterで呟くとか。そのくらいしかうちには思いつかんな。」


結華「…。」


澪「でも、うちに相談するのはやめとき。」


結華「何でですか。」


澪「碌な答えなんか返ってこんけんな。」


それに、と付け加えて

冬の息を食む。


澪「自分で言ってて最低やと思うけど、自分ごとのように捉えられん気がするんよ。親身になれんっちゃん。」


結華「そんなことないと思いますけど。でも、あっさりしてそうなのは…うん、そんな気がします。」


相変わらず感情の分かりにくい声で

そう言っているのがわかった。

それとなく、結華の抱える問題を

うちで対処できるとは思えなかったのだ。

察するところ悠里とのことだろう、

もしかしたら他のことかもしれないが、

深く関わった期間の

短い彼女のことを知らずして

適当な言葉を並べるのは怖かった。

今だけ彼女はちぎれそうな

細い細い糸のように見えた。

その細い糸が絡まっていて、

解こうと1本でも引っ張れば

全てちぎれてしまいそうな。

そんな印象があったのだ。

今の彼女にはきっと

全てを話して解決策を模索するよりも

心を慰めてあげられるような人の方が

適しているように見える。


と言葉を並べているが、

結局は自己防衛だ。

降りかかってくるかもしれない問題の

責任を取ることが怖かった。

受験を理由に逃げているも同義だ。

けれど、それとは別にしても

うちがハマり役とは

どうしても思えなかった。


澪「ごめんな、力になれなさそうで。」


結華「いえ。こうして少しだけでも話してくれて嬉しいので。」


澪「他に相談できそうなあてはある?」


結華「…そうですね、奴村さんとか。」


澪「あーね。あの子、最初はおどおどしてそうやったんに実はちゃんと軸があって強い人やからなぁ…。」


結華「そうなんですか?」


澪「うん。まあ、怖がりながら歩き続ける子鹿みたいな…これじゃあんまり褒めてるふうには聞こえんか。」


結華「…ふふ、ですね。でも何となく分かりました。…少し考えてみます。」


澪「無理はせんとき。…このくらいしか言えんけど…。」


結華「十分すぎます。篠田さんも受験、無理しすぎないでくださいね。」


澪「ん、ありがとうな。」


ぴゅう、と北風が頬を撫でる。

今日は随分と冷え込む日だった。


不透明なここにいる2人で

見えない何かを踏み締めるように会話した。

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