かさぶたのあの子
寧々「…これで大丈夫かな。」
合格発表日をメモした紙を見てひと言漏らす。
ひと通り受験は終わり、
第一志望ではないにしろ
行きたい学部には行ける予定である私は、
追加で受験をすることもなく
ここでおしまいにしようと思っていた。
ちらほらとまだ合格発表が
出ていないものもあるが、
今心に決めている場所で
ほぼほぼ変動はないだろう。
寧々「…終わったー…。」
机に手を力なく横たわらせ、
長く深く心の疲労を吐く。
長かった。
ああ、とても長かった。
1年間頑張ってきた方だと思う。
頑張った、とはいえ
動画投稿者や配信者を
追いながらであったり、
前半は家庭環境の影響が
大きかったりしたため、
集中できたかと言われれば
それほどでもないかと
自身を振り返っては
心のもやが溜まる。
それでも行きたい学部に
進学できることになったのでよかった。
素直に自分を褒めようと思う。
受験料も払って
第一志望に合格できなかったことには
噛み締めすぎてこめかみがどうにも
痛くなってくるような
澱みを感じるけれど、
そらを引きずりすぎるのも良くないだろう。
今のお母さんはもう
成績が悪いからといって
殴ってくるような人ではない。
それでも罪悪感と共に
自己卑下が止まらない瞬間がある。
徐にスマホを手に取り
SNSを開く。
寧々「…。」
最近澪とは連絡をとっていない。
頻繁に連絡していたのは
例の透明化事件が起き、
澪が戻ってきてから
1週間ほどの間のみだった。
それ以降、互いに受験があるからと
控えるよう話し合ったのだ。
澪はやりたいことができたと言って
志望校を選び直したらしい。
なんとなくで選んでいた学部から
やりたいことができる学部を選んだ結果、
受験は2月末ほどまで長引きそうだと
気だるげに言っていたのが
記憶に残っている。
静かにその会話の履歴を眺めながら
今頃彼女は頑張っているのだろうと想像する。
暖かな午後に踏み入る頃、
ふとTwitterではDMに
連絡が入っているのが見えた。
誰かと思えば、
珍しいことに結華さんからだった。
結華『お久しぶりです。受験勉強の忙しいところすみません。もしお時間ありましたら突然で申し訳ないんですが今日少しお会いしませんか。』
唐突なことでどうして、と
疑問に思うも束の間、
気分転換にはいいかと
すぐさま了承の意を唱える返信する。
すると、結華さんが近くまで来てくれるようで、
家から出る予定のなかった髪や荷物を
整えるべくリビングへ出た。
学校も卒業式を含めて
あと2、3日しか登校しない。
受験会場にも行かないとなれば
家籠りの日々が続く。
このままでは何かが腐ってしまいそうで
外に出る用事を作るよう
気をつけている。
大学生になれば自由な時間が増えると聞く。
バイトを入れれば
そこまで気を使う必要はないだろうけれど、
実際どのような生活になるのか
明確には予想できない。
お母さん「どこかいくの?」
テレビを見ていたお母さんが
振り向いてこちらへと問う。
どうやら洗濯物を畳んでいるようで、
畳まれた服が積もっていた。
テレビを見ている後ろ姿を見るたびに
今年度当初のことを思い出して
刹那足どころか体全体に
針を通されたように固まる。
しかし、髪を整えてひとつにまとめていたり、
綺麗な服装をしていたり、
そもそも部屋自体が
あの時に比べれば
綺麗になっていたりすることを見るに
もう本当にあのお母さんではないのだ。
寧々「うん。少し友達と会ってくる。」
お母さん「そう、気をつけてね。帰りは遅くなるの?」
寧々「うーん…どうだろう、でも夜遅くまでにはならないようにするね。」
お母さん「はあい。」
讃美歌が流れそうなほど
暖かい日差しの方へと顔を戻し、
また背を見せた。
毎日お酒に酔い溺れることもなくなった。
今ではいわゆる普通と呼ばれる
家庭の中で過ごしている。
それと同時に、
悠里さんが事故に遭ったことで
いじめに関わることもなくなっていった。
今で様々な犠牲のもと
私は幸せに暮らしている。
しかし、自己卑下の激しい私の頭は
そんな犠牲を持ってしてまで
幸せになっていい存在なのか、
なるべきなのかと疑問に思う。
その心を意図することもなく
大切に抱えながら、
鞄を肩にかけて扉を開いた。
昨日や特に一昨日が
随分と暖かかったが故に、
少し前からすれば10度前後だろうと
太陽も活気あふれているなと思っていたのに
今では力なさげに光り輝いているように見える。
駅まで辿り着くと、
ちょうど学生の帰宅時間だったようで
制服を着た人たちが
何人も改札を通り抜けるのを見かけた。
その近くで、同様に
制服のままスマホをいじっている
結華さんの姿が映る。
近くまでよると、
気配で気づいたのか
ゆっくり顔を上げては周囲を見渡し、
やがて私の姿を見つけた。
寧々「待たせてしまってすみません。」
結華「いえ、こちらこそ急なお誘いだったのに…ありがとうございます。」
寧々「むしろ外に出してくれてありがたいです。」
結華「受験、ひと段落ついたんでしたっけ。」
寧々「そうなんです。だから自分から用事を作らないと滅多に出ないようになっちゃって。」
結華「私もこもりがちなのでわかります。」
寧々「本当ですか!なんだかいつも部活等々で外にいるイメージだったのでびっくりです。」
結華「用事がなければ外になんて出ませんよ。」
寧々「ふふ、一緒ですね。」
結華「ですね。そうだ、この近くの駅ビルあたりを散歩しませんか。お店に入るよりも歩きたくて。」
そう言ってスマホを鞄にしまい、
肩にかけたそれを背負い直す。
夕暮れ時に駅から出ていく
学生たちの笑い声が耳を掠める。
寧々「いいですね、そうしましょうか。」
結華「案内してくださいよ先輩。」
寧々「任せてくださいと言いたいところなんですが…案外ここで買い物しないんですよ。」
結華「地元あるあるですよね。近くに住んでるからこそ近くの観光地に行かない、みたいな。」
寧々「そうそう、そんな感じです。」
歩き始めるとふわり、と
下ろした髪が漂う。
冬風に乗って、春に向かって
歩き出しているように足が軽い。
もう憂うものもなくなった、
正直に言えば受験で
第一志望に合格できなかったのは
苦い思い出となっているが、
それでも一旦は受験が終わったことに
喜びを感じるようにしていた。
憂うことはない。
卑下する必要もない。
そう心の中で唱える。
頭の中の部屋のごみを
大きなビニール袋に入れて捨てるように。
駅ビルにはちょっとした
コスメのお店があったり
服屋や雑貨屋、パン屋、スーパー等
様々なお店が小さながら並んでいる。
雑貨を見ていると、
少し前までマフラーや手袋が
置かれていたであろう棚は
既に新生活を押し出すものとなっており、
お弁当箱やその袋、
水筒といった生活雑貨に
置き換わっている。
寧々「もうすぐ4月ですから新生活グッズも多くなってきましたね。」
結華「そうですね。今頃新高1になる人や…それこそ吉永さんだってどきどきしているでしょうに。」
寧々「ふふ、本当に。」
結華「どうですか、今の心持ち。」
寧々「心持ちですか。一旦は晴れやかですね。」
結華「大学生ですよ。」
寧々「自分でも信じられません。私が大学生になって、しかもお酒や煙草に手を出せる年齢になるなんて。」
結華「大人ですね。」
寧々「ふふ、年取っただけで大人になるなんて困ったものですよ。」
結華「そうですか?」
寧々「ええ。歳をとっただけで大人になれるから、年齢を重ねれば偉いって思う人が出てくると思うんですよね。」
結華「なるほど。あんまり考えたことなかったけど、言われてみればって感じです。」
寧々「…って、こういうことばかり考えているからよくないんでしょうけど。」
結華「別にいいと思いますよ。」
寧々「なんだかあれですね。」
結華「なんですかあれって。」
寧々「今だから言えるのですが、前話した時は少し怖い人な印象があったんです。なので、こうして声をかけてくれるのは少し意外で。」
結華「ああ。あの時。」
結華さんは前と変わらず
にこっとすることないが
丸い声でそういっていた。
思い出すは、確かあれは
5月のことだったはずだ。
°°°°°
寧々「えっと…そうだったんですね。」
結華「はい。」
寧々「その、ここで何を…?」
結華「少し用事があって。ここ、先輩の教室なんですか。」
寧々「そうなんです。忘れ物を取りに来ただけでして。」
結華「すみません、勝手に教室に入っちゃって。」
寧々「誰もいないし大丈夫ですよ。」
---
寧々「そういえば、何をされていたんですか?ずっと立ってたみたいですけど。」
結華「人と待ち合わせをしてまして。それがもうすぐなんです。」
寧々「この教室で、ですか?」
結華「はい。」
寧々「そうでしたか。そしたら私はすぐ出ますね。」
結華「お気遣いありがとうございます。」
°°°°°
まだ覚えている。
確かあの時はお兄ちゃんのことを
拭いきれていなくて、
お母さんだって以前の通り
殴ったり罵声を浴びせたりで
家を居場所なんて思うことなんて
微塵もできなかった。
学校でも仲のいいと呼べる人はおらず、
表面上は仲良くしているといった
人しかいなかったように思う。
澪からも突き放され、
いつも蔓の多く絡みついた
鬱蒼とした建物に足を運んでいた。
結華さんと出会ったのは
願いを叶える腕の入った箱があり、
悠里さんが学校を休んでいた頃では
なかったろうか。
結華「そう思えば、互いに変わったのかもしれませんね。」
寧々「そうかもしれません。私はあまり変わっていないですけど。」
結華「何を言ってるんだか。…思えば私たち以外にもみんな変わりましたし、ものすごい変化のある年でしたよね。」
寧々「…確かにそうですね。」
結華さんの言うこともわかる。
私からすれば澪は変わったと言える。
その他の方とは深い関わりは
あまりありませんが、
陽奈さんが声を失ったことや
…悠里さんが記憶を失ったことも
間違いなく変化と言える。
寧々「悠里さんは元気ですか。」
結華「はい。記憶以外後遺症もなくって感じです。」
寧々「そうですか。それはよかった…。」
結華「私、正直悠里の記憶がなくなったままで安心してる部分もあるんですよ。非情でしょうけど。」
寧々「え。」
足を止め、くるりと振り返った
彼女の静まった瞳には、
変わらず私が映っている。
あまりTwitterでの発言等
追っていなかったけれど、
もしかしたらそのようなことを
言っていたのかもしれない。
しかし、それを知らない私は
ただ目を見開いて
彼女を見つめることしか出来なかった。
結華「悠里はひと言で言えば悪いやつでしたから。」
寧々「…知ってるんですか。」
結華「ええ。双子ですし噂くらい聞きます。」
寧々「…そうですか。」
結華「そう言う吉永さんもご存知のようで。」
寧々「まあいろいろとありまして。」
結華「もしかして…答えたくなかったら全然言わなくて大丈夫なんですが、悠里に何かされてましたか…?」
寧々「…何かってほどでもないんですけど。数回話しかけられたくらいです。」
°°°°°
悠里「手が滑っちゃったぁー。」
---
悠里「先輩ー、こぼしちゃダメじゃないですかぁー。お漏らししたみたーい。」
寧々「…。」
悠里「お掃除ちゃんとしてくださいねー?うちは部活があるから、それじゃあー。」
°°°°°
明らかに話しただけではないが、
その全てを姉妹本人に
話す必要だってないだろう。
不謹慎だ。
だけれど、よかったと思ってしまう。
思ってしまった。
まるで人殺しを殺すのは
良いか悪いかについて
考えているような気分になる。
いじめは悪い。
するほうが悪い。
そのいじめっ子に天罰とも言えるような
事実が降った。
交通事故だという。
その結果捕まるのは運転手だ。
しかし、今後犠牲になるかもしれなかった
命を救ったと思えば、
その運転手はヒーローである。
いじめっ子は正当な方法ではなかったにしろ
いじめを行うことはなくなった。
いわば更生だ。
こう思うと結華さんの立ち位置も
苦しいものだったと思う。
きっと今でも苦しいだろう。
別の人間であるのに
双子だからと言う理由で
悠里さんの評価が
自分の評価にも影響したことがあるはずだ。
結華「そうでしたか。…もし悠里がご迷惑をかけていたら…すみません。」
寧々「何かあったとしても結華さんが謝ることじゃありませんよ。」
結華「…そうでしょうか。」
寧々「はい。悠里さんは今はもう人を悲しませるようなことはしていないんですよね?」
結華「そうですね。部活や家…記憶をなくすより長いこと一緒にいるようになったんですが、そんなそぶりは今のところ見てません。」
寧々「なるほど。…どちらにせよ、結華さんのせいじゃないですから。」
謝らないで。
もう1度そう伝えると、
奥歯を噛み締めたように
細々と「はい」と呟いた。
唐突ながら今日会おうと連絡したのは
もしかしたら悠里さんのことについて
謝りたかったからなのかも
しれないとすら感じた。
年度も変わる、学年も変わる。
その前に今年のことを
清算しておきたかったのかもしれない。
今更謝るなど
ただの自分がすっきりするためだけの
無責任な行為と揶揄されることもあるが、
私としてはそのことについて
まだ頭を巡らせていてくれた
事実が少し嬉しい。
当時耐えていた自分が
少しだけ報われたと思いたい。
罪悪感であれあなたのことを
考えてくれている人は
意外にもいたよ、と伝えたい。
みんながいたから私は変わったんだろう。
2月も半分を終えた中、
2人でゆらりと駅ビルの中を散策した。
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