陽炎なあの子
放課後、部活も終えて
また悠里と隣同士
帰路を辿っていた。
どうにも彼女は
双子同士仲良くするのが
普通だと思っている節があるのかもしれない、
毎日こうして一緒に帰っては
同じ家に帰るのだ。
家に帰ってからは
互いに別々の時間を過ごす。
時折用事があって
もう片方の自室に行くこともあるが、
それ以外は基本
何しているかはわからない。
私も、同時に悠里も
私のことを把握していない。
悠里自身、記憶を失うまで
私と仲が悪かったことは
理解しているはずだ。
自分自身がいじめを
行うような人物だったことも
過去にほんのりと伝えたことがあり、
それも自覚しているはず。
それなのに、仲良くしたいと
思ってくれているのか、
記憶を失う前より
穏やかに過ごす時間が増えた。
そして、夏休み明けからほのかに
悠里へのいじめ返しが
あった件については
私も実情は知ることができなかった。
なぜならそれは指示にないから。
それを理由に
たとえ今悠里が苦痛の極地にいたとしても
助けないでいようとしている自分がいる。
それで悠里を助けずとも、
「私のせいではない」と
「指示に従っただけ」「指示を出した上が悪い」と
子供のように他責にして
終えてしまうのだろうか。
結華「…。」
苦悶が浮かぶ脳裏を1度整理するため、
夕闇も広がり切った空の下
密かに家から出た。
この時間ともなると
体が芯から冷えていく。
マフラーくらいして凝ればよかった、と
着替えた私服のフードをかぶる。
貴重品を突っ込んだトートバッグが
私の歩幅に合わせ揺れていた。
向かう先はすぐ近く、
徒歩2分ほどの裏路地だった。
ゴミ箱と野良猫を模した謎の石の置物の間に
申し訳程度の3、4段ほどの
下向きの階段があり、
数歩歩いた先に錆びついた扉がある。
階段に足をかけると
すぐ上の建物が光を遮る。
街頭の光が足元に微か漏れいるのみ。
銀色の光沢を失った扉の周りには
誰が持ってきたのだろう、
小石が溜まり、雑草まで生えていた。
鞄から鍵を取り出し、
滑らかさを失った鍵穴にさすと、
つっかえるような
感触を覚えつつも鍵は回った。
開くと、埃っぽい香りと同時に
長いこと放置されていたからか
湿気った草の香りが立ち込めている。
さらに下方へと階段が続いており、
そこには一切の光がないことに驚きつつも
スマホの電灯をつけ、
背後の扉と鍵も閉めてからゆっくり歩く。
結華「…やば。」
焦燥を押し隠すように呟きが漏れる。
正面から何かが来るかわからない。
いつ何が飛んできても
おかしくなければ
気づくことすら難しいほど、
スマホがなければ一寸先も見えない。
かつん。
かつん。
靴裏の音が全て。
コンクリートで固められた階段と
窓のない地下への道。
まるで殺人鬼でも
この下に閉じ込めているのではないか
と思うほどに冷え切っている。
あの子はこんなところに
出入りしていたらしい。
階段を降り切るとまた鉄の扉がひとつ。
そこでもうひとつの鍵を取り出し
差し込んで回す。
それだけでこちらの身まで
錆びてしまいそうなほど
色ない空間だと思う。
中は光ひとつなく、
化学品特有の加工された
鼻を突く臭いが届く。
扉と鍵を閉め、近くにあった懐中電灯や
電源コードに繋がなくて済む
電池型の間接照明をつけて回った。
1番肝心な部屋全体を照らす
天井の明かりがない。
どれもこれもそういうこだわりだったのか
元よりそれがない場所だったのか。
仄暗く浮かび上がる空間は
教室ひとつ分ほどあるだろうか。
隅まで届かない光もあり
何が眠っているのか定かだはない。
この殺風景さには似合わない
アンティークな1人用のソファが
隅にぽつんと埃を被ったまま置かれている。
3メートルほど上に伸びる天井が
一段と近くに感じる。
換気扇がひとつ目に入った。
外から光など一切入らず
籠った空気と密閉された工学的香りに
鼻をつまみたくなる。
部屋の中心には立てかけられた
イーゼルがひとつ。
壁際にはもう2つ同様なものが
背を預けるようにもたれている。
F100号の、立てれば私の身長を
超えるほどの大きさのキャンバスが
新聞紙を広げた上に置かれている。
他にも、部屋には描き終えたらしい
F20から50ほどのキャンバスが
立てかけられていたり、
大きなブックエンドを用いて
横に並べられているものもあれば、
無造作に縦に積まれているものもあった。
横に寝かせられた巨大なキャンバスは
途中のままになっており、
アクリル絵の具らしい
目に痛い原色がちらほら見えている。
近くには大きな瓶から小瓶まであり、
それぞれ油絵具に使用するもので、
パレットや絵の具のチューブも
そこに転がっていた。
どうやら人工的な香りは
ここからしているらしい。
近寄り、チューブを1本手に取る。
一見同じような色でも
ピンクページュとベージュなど
似ているカラーも落ちている。
カピカピにならないよう
手入れされた筆が
口の広い瓶に逆さに突っ込まれていた。
結華「…。」
ここで制作をしていたのだ。
確か、もう何年も前に。
中学時代の作品を最後に
描くことはやめた。
こんな寂れた場所にいた。
結華「…はぁ。」
道具の散らかっていない床に
息を強く吹きかけ埃を飛ばし、
舞ったそれに咳きこみそうになりながら
空気が落ち着くのを待って座る。
薄暗い部屋で徐にタブレットを開く。
意味もなく写真を撮り、
なんか違うと思ってはすぐに消す。
光が目に痛い。
それでも、そこにある情報を
ぼんやりと眺める。
1人の少女…いや、女ではないか。
しかし、ぱっと見では
顔だとの整った綺麗で可愛い子が
そこに表示されている。
三門こころ、と言うらしい。
私が出会って話したことがある
人間かは知らないが、
どうやらこの一連の出来事に
関わっていた人のようだ。
どうしていなくなったのかは知らない。
でも、進行上
上の判断として不都合があったか、
はたまた三門こころ本人が不都合だと
感じた何かがあったのだろう。
綿密に練られた計画の中、
気が向いたからと
無意味に人間を間引くことは
しないと思っている以上、
後者の方が当てはまるように思う。
データには男とあるように、
自分の在り方に疑問を持っていた、と
見るのが筋が通っていそうだ。
家族関係には問題はなさそうなので、
あり得るとしてもその外、
それこそ狭い世界ではあるが
学校やバイト先など
その辺りと考えるのが妥当だろう。
資料を見てみれば、
やはり学校であったり、
自分の捉え方に疑問を抱いていたことがわかる。
彼も信頼して
全てを話せるような友人がいれば
こうして私の記憶や世界から
消えなくてもよかっただろうに。
それこそ、そのような人物がいれば
このこころという人物が
本当の自分の性別について
自ら話す機会もあっただろう。
こんなところで雑に
知り得る状況にはならなったろう。
彼の化粧技術を見るに、
毎日自分磨きに余念なく
その結果得た自分なりの
最強の「可愛い」のよう。
どうしてこんな美人な人が
戻ってこなくてもいいやと
全てを捨て切れてしまうのか。
誰の記憶からも消えて、
もう陽炎のように
姿を正確に捉えることはできない。
この資料を見たって
私は何も思い出せない。
そもそも知らない。
インターネット越しの会話を
外から眺めているような気分だ。
君がいたら私はどうなっていたろう。
密かに膝を抱え、
地下の隠されたアトリエで浅く呼吸をした。
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