お題「思春期の破裂音」・完成

「どこ見てるの?」彼女が言う。

言っている、俺に言っている。俺はそう信じている。画面に映る彼女は口角を上げてこちらを見ている。その黒髪は短く整えられ、風呂上がりだろうか、少し濡れているように見えた。クセもなくすとん、と童顔じみた顔立ちの周りを飾っている。彼女は白のスウェットを捲り上げ、すべすべとした胸元を俺に見せている。下着をつけていない。そんな彼女の画像が添付されたその投稿にはかなりの数の高評価がついていた。閲覧数はその何倍もある。

「どこ見てるの?」か。俺はどこを見てるんだろう。考える。彼女を写したこの写真は明らかにその胸元を強調している。だからその白く柔らかな肌に視線が吸い込まれるのは、何かの衝動を抜きにしても必然だ。だから、胸元を見ている、と言えるか。

「愛するとは、見ることです」そう誰かが言った。おそらくは高校の先生。倫理か数学だったか。なにか授業から脱線しての流れだっただろうが、詳しい文脈は忘れた。「知るとは見ること、見るとは愛することなんですよ」そう続いたはずだ。

なるほど。「見る」が「愛する」であり「知る」だとすれば、どうか。

俺は彼女を愛している。そういうことになる。彼女の投稿は数十件あるが、そのどれも工夫を凝らされた彼女の自撮りで、そのどれも俺の劣情を的確に、相当に煽った。そういう投稿をする女性(男性も)が沢山いるのを俺は「見て」きたが、彼女の投稿は特に俺の好みで、ほとんど全ての投稿を何度も「見て」いる。

俺は彼女を知っている。そういうことになる。彼女の好物が塩サイダーであること。メガネが似合うこと。休日はゲームセンターに入り浸ること。俺はそれらを「見て」いた。彼女は自撮りに添えた投稿文で、そんなプライベートな部分も教えてくれる。


ぱちん、と何かが弾けた。


それは窓の外からの音だった。思わず窓の外を眺めたが暗いのもあって何も見えなかった。なんだよ気が散るな、と俺はスマホに舞い戻る。再び彼女の投稿を見る。

「どこ見てるの?」また彼女は言う。彼女は俺を見ている。俺は彼女を見ている。見ている。俺は。彼女は。彼女は。彼女は。


彼女は、俺を見ていない。ぱちん。俺は彼女を見ている。彼女は俺を見ていない。彼女の視線の先に俺はいない。ぱちん。俺は知る。ぱちん。

「どこ見てるの?」

彼女の問いかけは、なんだ?

彼女はなにを知ろうとしている?

彼女はなにを見ようとしている?

彼女はなにを愛そうとしている?

俺は考える。

俺は彼女のどこを見ている?


例えばその胸元。実に結構だ。誰だってそこを見るのは当然で、実際その投稿には彼女の胸元に言及するコメントが大量についている。

しかし、俺はそれだけ見ているわけじゃない。彼女の黒髪。短い。濡れている。彼女のスウェット。こちらも濡れている。彼女の視線。視線。視線。ぱちん。


それは大きく響いた。俺は跳ねるように起き上がる。心臓が暴れているのは彼女のせいだけではなくなった。この破裂音は。窓の外からじゃない。


急いで身を起こし、キッチンに向かう。廊下に続くドアを開ける。一人暮らしの部屋の狭い廊下にあるキッチン。IHコンロの上でそれは焦げかかっていた。ぱちん。ぱちん。低温で焼かれた肉が音を上げている。見たところ食べられないほどにはなっていなさそうだった。


コンロの電源をひとまず切り、ため息をつきながら布団に戻る。俺は。見えるものしか見えない。いや、見えるものすら見ていない。

再び彼女に会いに行く。最新の投稿の中で彼女は変わらず笑って俺に訊く。

「どこ見てるの?」


俺は思う。

おれは誰も愛せないのかもしれない。



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