第37話 産声
長い夢から目覚めると、とても素敵なサプライズ。
殺されたはずの妹が、母が、父が生きていた。
全員椅子に縛られたまま、懸命にもがいていた。
「まず初めに殺されたのは、妹でなく僕だったんだ」
「そゆこと」
僕が最初に『幸せタッチ』を受けた。
つまり家族の死は、テテが見せた幻だったわけだ。
現実時間では一瞬の
「テテ。あなたはもう、人を殺してはダメだ」
「へぇ、どんな心境の変化だい? 君は家族の死で大いにはしゃいでいたじゃないか。それに君は、五度も人類を滅ぼしてみせた。どの口が言ってんだか」
「だからこそ分かったことがある。人は、生きている方が楽しいね」
誰もいなくなった世界は、それはそれで楽しめたけれど。
ランちゃんと、きぃと、ついでにフェスタと。
あのカルテットには届かない。
「私の祝福は、対象が望んだ世界を見せる。みんなの死は、君が願った幸せなんだぜ」
「すべてが望み通りにいく世界。僕はソレになんの魅力も感じないな」
「はっ。わがままなやつだ」
予想外こそが生をより豊かにする。
「すこし話をしよう」
テテが食卓につく。
僕もならう。
いつかと同じ光景。
だが、食事をするのは僕だけだ。
並べられた幸せは、もう君のものじゃない。
「幸せタッチ、どうだった?」
「とても楽しかったよ。幸せだった。ありがとね」
「なら、なぜ君は満足してくれないのかな?」
「テテが悪いんじゃないよ。僕がおかしいんだ。僕は多分、どれだけの幸せを受けたとしても、満足することはない」
楽しかったんだ。本当に。でも、僕の欲は満たされなかった。
底が抜けたおもちゃ箱、喜びは散らばったまま。
「正直、自信なくすよねぇ。私はみだれを満足させるどころか、天使にすらしてやれなかったんだぜ」
「夢の中でも天使になれるの?」
「そう、なれちゃうの。私ってすごいんだ。幸せタッチは限りなく本物に近い世界を構築する。そこでの体験は、しっかりと神に評価される」
人生に満足して死ぬ。
ようは限りなくポジティブな自殺。
「あ! つまりは自殺型の天使を作れちゃうわけだ!」
「それだけじゃない。祝福内で獲得した光輪であっても、覚醒条件を満たすのさ」
つまりテテの幸せタッチ。その真髄はエンジェルメーカーにある。
「祝福内で登場した天使、そのほとんどが私産。祈り手やフェスタは例外だけれどね」
幸せタッチで出会った人たちは、全員が紛うことなき本物だった。ちゃんと地に足ついて生きていた。
「ひょっとして、天使以外も?」
「そ。祝福内の人間は基本私が殺した人たちで構成されている。特に君と深く関わった登場人物は、全員犠牲者だと考えてもらっていい。通行人や学校の生徒などのモブ達は、犠牲者の記憶を元に作成したよん」
ゆえに、犠牲者でない僕の家族やランちゃんが、作品に登場できたわけか。
彼らは花咲みだれの記憶から再現されていたのだ。
「幸せタッチの世界は、犠牲者の記憶を元に再現されている。私が関西圏のみで活動していたのは、そうせざるを得ない理由があったからだ」
テテは顕現してから日が浅い。
より精密な世界の構築のために、テテは活動地域を絞ったのだ。そのため『関西圏外の表現が雑』というエラーが発生していた。
「関西より外の路線図、ちょーテキトーだったもんね」
「耳が痛いぜ」
登場人物の数にも限りがある。
どうりで終盤劇の人たちがみんなのっぺらぼうに見えたわけだ。
「話を戻すよ。私は君を天使にするつもりだった。それも比類なき大天使に」
だが、僕は星1にすらなることができなかった。
「なぜだか考えてみた。天使はね、『他人を思う気持ち』の表れなんだ。たとえどんな悪人、サイコパスやソシオパスであっても、その気持ちを少しでも有しているのなら、天使になることができる」
基本、どんな人間も天使にはなれる。
「でもね。時たまいるんだよ。純度100%の情熱で、『自分のことしか考えていない奴』が」
そんな人間は、どれだけ光輪を集めても天使になることはない。
「まさに社会の癌であり、バグだ。我々界隈では、そんな人間を天使に対して、『悪魔』と読ぶことがある」
テテの顔つきが変わった。
優しいお姉さんから、獲物を見定める『強者』の眼差しに。
「ごめんね、敵愾心が強くて。でも仕方がないんだ。もう数千年もむかしの出来事だけれど。たった一人の悪魔が、全ての天使を堕としてしまったことがある。幸せ発生の機会が損なわれ、人類史にはポカリと穴が空いた」
人は幸せになるため生きている。
幸せがなくなった世界において、人は生きる意志を失う。
絶滅を知る大天使は、悪魔を決して野放しにしない。
「みだれ、君はおそらく悪魔だ」
僕は自分のためだけに生きている。それだけは、激動する世界で唯一変わることなく、一貫している。
——みだれの心に天使はいない。
「悪魔もね、別に悪い奴らではないんだよ。動機が『自分のため』ってだけで、他人に優しくもできるし。救うことだってある。テテはみだれが嫌いじゃない。うん、むしろ大好きさ」
テテは立ち上がった。手には刃物が。
人を幸せにするための彼女の手には今、殺意が握られていた。
「でも私は天使だから。悪魔は殺さなきゃいけない。ごめんね」
咄嗟に逃げようとした。でもできなかった。
「動くな」
テテが瞬間移動したのだ。
「あったね、そんな設定」
彼女はいま、妹のそばに立っていた。
「人質をとっていて、本当に良かった。おかげで、大好きなみだれを殺さずに済む」
「というと?」
テテは刃物を僕の近くに投げた。
「十中八九、みだれは悪魔だろう。でも、まだ万に一つの可能性がある。私はそれに賭けてみる。みだれ、自殺しなさい」
まだ覚醒する可能性はゼロじゃない。
「私は君が大好きだから、これからの幸せタッチには、必ず君を登場さると誓う。君は誰かの幸せのなかに生き続ける。それはきっと永遠の命より尊いことだ」
僕はすぐに刃物を拾い上げた。
別に死ぬのも悪くないと思ったからだ。
だってテテに大好きだと言ってもらえたんだぜ。
これ以上の幸福なんてない。
『人の幸せが、自分の幸せだと思えるようになりなさい』
今が最後のチャンスだ。
「偉いぞ、すごいぞ。頑張れ、頑張れ!」
刃物を頸動脈に突き立てる。
皮膚から血が溢れだす。あと数ミリで僕の死だ。
「あ、最後に聞いておかなくちゃ。ねぇテテ、どうしてランちゃんは、あんなのだったの?」
「言ったろう? ランツは君の記憶を元に再現されている。つまり君の認識が表出されるんだ。結果、あのような過大評価の化け物が産まれてしまった」
ちがう。そういう意味ではない。
僕が聞きたかったのは、なぜランちゃんはあんなにも期待通りだったのか。
「不思議だった。ランちゃんは僕の想像を超えていくような子だ。でも、幸せタッチでの彼女は、僕の認識から決して飛び出さなかった」
ランちゃんは僕の範疇で収まるような器じゃない。
だからこそ花咲みだれ、唯一無二の友達なのだ。
「ほう! そんじゃあ僕ってば、まだまだ楽しめる!?」
自殺なんてやめやめ。
時刻は8時15分。
約束の時だ。
「助けて!!」
叫ぶ。
瞬間、窓ガラスが吹き飛んだ。
想像だにしていなかった。
そう、そうだよね。
ランちゃん、君はたとえ玄関が開いていたとしても。
みんながあっと驚く登場、したくなるよね!
バサリ、赤の流線が舞う。
しなやかで強靭な肉体は、すでに標的を打つ準備を整えていた。
だがランちゃんは天使を視認することができない。
そのことを説明している
僕はテテの元へ指を刺す。
言葉はいらない。
だってランちゃんは、僕のことを信じてくれているから——。
その丈は、辞書で引くと『狂信』と出る。
彼女の拳は迷いなく、大天使のみぞおちを射抜いた。
「ガハッ!!??」
テテは膝から崩れ落ちて、失神した。
「ランちゃん! 大好き!」
「おうよ!!」
してやったりだ。
僕のランちゃんが、世界如きに殺されていいはずがない。
彼女を討ちたいのなら、神様くらい連れてこい。
でも、やっぱり嬉しい。
ランちゃんは生きていた。
そのことが何よりの幸せ。
「ううう」
「げっ!? 初めて見た! みだれが泣いとる!! キモ!!!!」
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