第32話 ごろごろ

 驚きはない。ランちゃんは何度だって僕のことを救ってくれた。感動だけが実在だ。


 彼女はホームレス天使討伐を見事果たし、自らの傘下に迎えいれたのだ。

 今は十人のお爺さん達と、一人の隆々な筋肉と友に、信者たちと戦っていた。


 ランちゃんの瞳に怒りはなく、ただ純情な闘争だけを宿していた。楽しそうだ。


「この戦いが終わったら、俺たちの雌雄も決する。見届けようじゃないか」

「なぜ? 僕はあなたとお話しをするためにここへ来たんだよ。戦うためじゃない」


 素直に出た疑問だった。

 戦うつもりでいたなら、ランちゃんが帰ってくるまで拠点で待機していた。

 一人で十分だと踏んだから、のこのことやってきたのだ。


「きぃ君に祈る直前、君と親しそうに接していたのを見た。殺された恨みを果たしにきたわけでないのか?」


「あなたは勘違いをしている。あなたはきぃを殺してなんかいない。なぜそうも傲慢でいられる。はき違えるな」


 祈り手はただきっかけを与えたにすぎないのだ。


「きぃは曲を完成させたから死んだんだ。決断に他者が介入する余地はない」


 彼の最期に触れることは僕たちですら許されなかった。

 自分の足で屋上に立ち、自分の意思で飛び降りたのだ。


「彼の宿願を我が物顔で威張るなよ。僕の大切を舐めるなよ」


 きぃが死んだことは確かに大きな出来事だった。

 僕の人生が多少暇になってしまったから。


 だから挫きにきた。

 僕はただ、あなたで暇をつぶしにきただけなんだ。

 ま、多少の八つ当たりはあるかもしれないけれど。


「意図が見えない。俺との対話に何のメリットがある?」


 そんなの決まっている。僕は天使を目指しているのだから。


「あなたを幸せ不幸にしにきた」

「はっ。俺を? 幸せ不幸を司る大天使を? 面白い。やれるものならやってみるがいい」


 祈り手は僕を招く。

 地下施設の最奥には、意外な物が置かれていた。

 寝台の上に寝かされた禿頭の男の子だ。


『物』と表現したのには理由がある。


 身体中に管が延び、精密な医療機器と結ばれていた。

 僕たちが近づいていると言うのに、虚空を見つめる眼球は一才動じない。

 一目で植物人間だとわかったからだ。


「天使ならだれでも知っていることだが、自殺タイプの星5天使には、他にない大きな特徴がある。当人が天使となる下級とは違い、大天使を天界からするのだ」


 初耳だ。フェスタはそんなこと教えてくれなかった。

 天使なら誰でも知っていると言う話は誇張だろう。


「自殺主の感性に共感し、天使自ら下界へ降臨するために起こる現象だ。つまり主と天使のツーマンセル。例に漏れず、俺もこの子のために下界へやってきた。そのような天使にのみ、特徴的なが生えている」


 祈り手は男の子の額を撫でた。信者たちにさえ見せない、慈愛の相を浮かべて。


「よくある話だ。家庭内で酷い暴力を受け、それを苦に自殺。天使への覚醒は死を一度だけ無かったことにするが、万能ではない。後遺症が残り、今ではこの有様だ」


「あなたはなぜ、この子に感応したの?」


「この子は望まれず産まれた子だ。一度も愛されなかった哀れな子だ。だと言うのに死ぬ直前ですら、母を愛していた。この子は自分のために死んだんじゃない。自分のせいで母が不幸になると悟り自殺したんだ。俺はその高潔な魂に応えたくなった」


 天使は誰かのために生きている。

 祈り手にとって、幸せにしたい対象は信者たちでなく、この子一人だけなのだ。


 だが今はそれもできない。


「俺の祝福は、一の幸せを百にも万にも倍加させるが、ゼロを一にはできない。この子にはもはや、幸せを感じられる機能が備わっていない」


 だから。だからか。


「だから俺は、この子が受けるはずだった幸せも不幸も全部まとめて、世界にぶちまけている」


 祈り手は使命があって天職活動をしているわけでない。

 僕と同じく。


「ただの八つ当たりだ」


 祈り手はひとつも楽しそうでなかった。なんのために生きているのかわからなかった。


 自罰なんだ。


 少年が感じたくても感じられない感動を全部、人格が壊れるほどの莫大を持って、世界に示している。


 祈り手自身も辛いはずだ。悲しいはずだ。だがその感情すら、一人で抱きかかえて。


 疑問はまだ消えていない。


「結局あなたはどうしたいの?」


 その子のことを、どうしたいの?


「もうどうにもならないから絶望しているんだ。手は尽くした。医師には回復の見込みがないと言われた」


 わからない。祈り手の言っていることが何ひとつ。


「たしかに科学的には不可能かもしれない。でもあなたは天使だ。ならば知っているはずだ。この世界はとんだ奇跡に満ちていると」


 祈り手はもう僕の言葉に耳を傾けていない。

 無感動に指を刺す。


 わかっていた。いくら仲間を集めようと。いくら最強だったとしても。


『百人の星4天使には敵わない』と。


 その先には彼女がいた。


 ランちゃんの。


 赤い。赤い。赤い——。


 ランちゃんの。


 生首がいた。


 ごろごろ。


 無造作に床へ転がされた。

 君はこんなにも小さな顔だったのか。


 信者たちに引きちぎられた首、見せつけるように。


 ごろごろ。


 ランちゃんが殺されていた。


「思い知るがいい。絶望を抱けることの幸せを」


 手の甲を合わせる、


 祝福はつつがなく効力を発動した。


「——」


 駆け巡るのは彼女との淡い思い出。


 公園での出会い、一夏の冒険、花咲みだれの原典。


 つまり魂の所在だ。


 僕はランちゃんのために天使になろうと思った。


 ひとりぼっち、暇そうにしていた彼女を。

 ただ平穏を睨みつけていた彼女を。

 純に楽しませてみたかった。


 僕の世界の中心で、彼女が笑えたのなら。


 それが僕の幸せだから。


「ごろごろ」


 僕はランちゃんを信じている。だから君を疑わない。


「ごろごろ」


 慣性をなくし、ようやく止まった赤色は、確かめるまでもなく。


「おつかれさんでした」


 きっといい笑顔で笑っているはずだ。

 ナイスファイト。大好きだったよ。じゃあね。


「ところで世界は、とんだ奇跡で満ちている。祈り手、きっとその子だって救えるんだぜ」


「友を二人も亡くして、裏合掌まで受けて、なぜ死なない……」


 自分で言ったじゃないか。あなたの能力は、ゼロを一にはできないと。


 ならば親友が、親愛が、世界が死んだとしても。

 これぽちも悲しくなんてない僕の魂が、絶望することなどあり得ない。


 だから僕は一人でこなければいけなかった。

 ランちゃんでは死んでしまうとわかっていたから。


「いや、そんなことはもうどうでもいい。なぜ救えると無責任に言い切れる。そんな奇跡がどこにある?」


「ここだよ、よくみてよ」


 なんて奇跡だ。

 なんて奇跡だ。


 産まれて一度だって泣いたことのない僕が。


 花咲みだれが。


 今、ポトポトと。


 友を亡くしたからか。

 友が満足して逝ったからか。

 祝福のせいか。

 呪いのせいか。


 理由なんてどうでもいい。なんだっていい。


 憧れていた。羨ましかった。

 僕もランちゃんやきぃみたいに。


 ずっと思っていた。祈っていた。


 泣いてみたかった——。


「とまらないんだ」


 花咲みだれは、この日ようやく泣けたのだ。


 有史以来の奇跡を起こしたのは何者か。

 誰のおかげか。


 決まりきっている。


 全ての天使は、僕を幸せにするためにあるのなら──。


「いるのは分かっている!! 君ならこの子を。僕たちを救えるはずだ!」


 ゼロを一にする能力──。

『幸せタッチ』

 

「テテ! 助けてください!」


「はいなぁ〜♪」

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