第31話 幸せの合掌

「僕のこと、知ってくれていたんですね」


 祈り手は僕の名を呼んだ。

 面識はないはずだが、フェスタだって初対面で同じ事をした。だから驚いてやらない。

 フェスタの方がすごいんだぞ!


「俺は神戸に居を構えて長いから、かの『天使堕としのフェスタ』については存じている。消失推理の欠点は、『犯人側が推理されていると察しやすい』ことにつきる。先日、きぃ君の資料が根こそぎ消去させられた。すぐにピンときたね。当然、君たちの素性は調べさせてもらったよ」


 フェスタのバカ……。


「先生天使、警察官天使、義賊天使に今はホームレス天使を討伐中か。そしてついには俺の元にたどり着いた。さすがは大天使『触り手』が見込んだ逸材、驚異的だ。やっかいな子に見つかってしまったね」


 触り手。おそらくテテのことだろう。

 祈り手はやれやれといった感じで坊主頭を撫でた。

 サングラスの奥から、ギョロリと鋭い眼光を覗かせている。


「どうにも顕示欲が強くてね。俺だけが一方的に君のことを知っている状況ってのが気に食わない。だから案内しよう、ついてくるといい」


 祈り手は地下へ続く階段へと向かった。

 扉は厳重に施錠されていて、僕をワクワクさせた。開いた先には地獄があった。あるいは極楽だろう。


 暗い空間、たよりない柵に区切られたマットの上で。

 僕とたいして歳の変わらないような少女達が、男共に嬲られていた。


 舐め回され、穢されていた。


 少女達は苦悶の表情を浮かべ、男どもは蕩けている。


 幸せと不幸の混在、僕は『世界の縮図だなぁ』というのんきな感想を抱いた。


「未成年の売春業は祈りの會の貴重な資金源だ。顧客は角界の重鎮ばかりでね、彼らに至福の時間を提供するかわりに、多額の献金を頂いているのさ」


 状況ですら、祈り手の重要な武器のひとつなのだろう。

 未成年搾取という歴然の犯罪証拠を管理することで、顧客は祈りの會との関係を断ち切ることができないのだ。


「その資金を元手に、無償で多くの孤児院を運営している。全国数多の身寄りのない子供を養う。甚大な社会貢献こそ、政府のうるさい口を黙らす絶好の寄る辺なのさ」


「そんで孤児院からきぃのような子供をここへ斡旋してくるわけだ。えげつないねぇ~」


「当然。俺は信者のタメなら何だってする。さぁ、ついてこい」


 施設はさらに奥へ続いていた。

 規模はおそらく福原の地下全体に及んでいる。


 窓が一つもない大広間。そこには信者だとおぼしき大勢が天使の彫刻へ祈りを捧げていた。

 彼らが祈り手に気づくと、広間が揺れるほどの喝采があがった。皆求めていたのだ、祈り手の帰還を。


「祝福発動『幸せの合掌』」

 

 大天使は両の手を合わせ、ただ祈った。

 それだけの動作で信者達は恍惚の表情をうかべ、のたうち回り始めた。


 小刻みに痙攣し、失神する者まで中にはいた。


「能力は『対象が抱く幸せの累乗』。現在よりも百万倍以上、俺は信者を幸せにすることができる」


 祝福はもはや麻薬を超える劇物だ。

 信者達はとうに人間でない。快楽漬けの生け花である。


「彼らは俺なしで生きていけない。みてみろよあの馬鹿面を。俺はあの表情が大好きなんだ」


 その割には、ちっとも嬉しそうじゃない祈り手。まるで様に飽きているようだ。


「いいんじゃない?」


 人を幸せにしたい、大いに結構。

 それこそ天使のあるべき形だろう。ならどうして。


「どうしてきぃを不幸にしたの?」

「へぇ。俺の祝福の正体に気づいているわけか」


 たとえきぃの幸せを百万倍にしたとて、彼は『孤虫のなみだ』を完成させられなかったはずだ。

 なぜならあの曲は、『幸せ』では決して描けない絶望の惨禍だから。


 およそ人理を超越した、自失の底でしか見出せない闇。

 つまりはなのだ。


「幸せにするばかりが天使の役割じゃない。循環のためには、濃厚な不幸も必要不可欠だ。俺は人を不幸にするのも好きでね。きぃ君はよかった。念入りに絶望を育てた甲斐があった。俺の力作だよ」


 きぃは誰にとっても特別な男の子のようだ。


「せっかくだ。直に見せてあげよう」


 祈り手の合図をうけ、信者が一人の女性を引っ張り出してきた。

 女性の衣服はボロボロにくたびれ、そこかしこに青あざができている。泣き腫らした表情はうつろ、手には刃物が握られていた。返り血だろう、びっしょりと血に濡れている。


「コレは先ほど貴重な太客を刺した。身受けを乞うたがあしらわれたらしい。身勝手な逆上だ。辞める機会ならいくらでもあったはずなのに、自らの堕落を正当化し、金銭という誘惑に縋った。醜き我欲の者の哀れな末路だ。実に汚らわしい」


 祈り手は合掌した。

 だがそれは手の甲同士を合わせる、普通とは逆の形であった。


「『裏合掌』」


 瞬間、つんざく叫び。女性は頬を掻きむしり、この世のものとは思えない形相で嘔吐した。


 まずい——。


「あちゃー」


 僕は珍しく呆然とした。

 女がかぶりをふり、自らの眉間に刃物を突いたからだ。


 確実に死ぬ。

 だが、まだ生きてはいた。

 顔の中央に刃が咲いているというのに、女はぶつぶつと呪いを吐いていた。

 

 僕は近づいて、死を見届ける。


 女性は祈り手の自己紹介のために使われた。

 僕に見せつけるためだけに犠牲になった。

 名もなきあわれな登場人物だ。


 ありがとう、嬉しいよ。


 手を握る。みるみる価値が抜けていく。

 女性は静かになった。


「俺の祝福は、対象のをも囃し立てる」


 何倍も。幾万倍も。


 元値が大きいほど効果は甚大になる。

 きぃの絶望は、きっと地球規模の自殺衝動になったのだろう。

 

 人が目の前で死んでいるというのに、幸せそうに笑う信者たち。

 怨嗟に染まった死相はけれど、ようやくの安らぎを得た。


 救われないのはどちらのほうか。


「幸せも不幸も、全て俺の手中にある。俺の気まぐれ一つで、人間を台無しにできる。愉快だとは思わないか? まるで神の所業じゃないか」


 祈り手は天使の身分でありながら、自らを教主として祀りあげた。


 だからこそ僕は言おう。


「いいえ。あなたはよほど人間じみている」


 天使どころか、僕には祈り手が最も下等な種族に見える。


『普通の人』ってやつだ。


 フェスタが言っていた。強力な力を得たものは、それを振るわずにいられない。


 祝福の乱用。


 まるでお気に入りのおもちゃで遊ぶ子供のようだ。飽きればただのゴミになる。


 僕の返答が気に食わなかったのだろう。威圧的な沈黙が真意を促してくる。


「テテも、咬犬先生も、お巡りさんも、フェスタも。彼ら天使達は皆のために活動していた」


 わがままなやつ、悪いやつ、やばいやつ、バカなやつ。

 いろんな奴らがいたけれど、という姿勢は一貫していた。


「あなたは違う。あなたは自分の欲望のためだけに、祝福を行使している」


 信者の人間性を殺すのも。無辜を自死へ追いやるのも。全ては自身の娯楽のためだ。


 わかるよ。僕も同じ自己中心の怪物だから。


「どうやらそれにも飽きてきているよう、可哀想に。あなた今、とてもつまらなそうな顔をしている。あなた今、幸せですか?」


 祈り手は嘆息した。ハリボテの虚勢心がベリベリと剥がれ落ちる音が聞こえた。


 残酷な神でなく、迷える男の顔が露わになった。

 

「……お前に俺の何がわかる?」


「わからないから教えて欲しい。あなたはどうして天使なんかやってんの?」


「はは、大天使にそれを聞くのか」


 祈り手はサングラスを外した。落ち窪んだ瞳のクマがひどい。


「いいね、久しぶりにまともな会話ができそうだ。できただろうに。残念だ。君は今から彼らに殺される」


 振り返る、大勢の信者達が僕を睨みつけていた。

 

「立場を得ると、しがらみも増える。膨れ上がった祈りの會はもはや、御し切れない巨影となった」


 信者達の頭上には輪っかがあった。

 大広間に集められた彼らは皆、天使だった。


「君の言葉は俺に対する侮蔑と捉えられた。さらばだ」


「「「「「「「祝福発動」」」」」」」」


 死。

 その瞬間でさえ、僕は笑っていられた。

 ちっとも不安なんてなかった。


 だって僕は信じているから。

 この感情を辞書で引けば『狂信』と出る。


 だって僕は信じているから。

 僕は赤の、たった一人の。


 友達だから——。

 

「アタシって、なんてカッコいい!!」


 ランツ・クネヒト・ループレヒトの現着である。

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