第24話 死ねない理由
警察官天使の報酬はなんと十万円を超えた。
とても扱い切れる金額でなかったが、フェスタは家賃をしっかりと徴収してくる嫌な大家さんなので、意外と豪遊はできなかった。
成長盛りはよく食べる。食費はかさんだし、その他日用品も集める必要があった。楽器の整備費やサックスのリード代もバカにならなかった。
実家にいるとわからなかったけど、人は案外生きていくだけで大変らしい。
バンドの方はというと、ランちゃんときぃは以心伝心ばりに通じ合っており、僕はシンバル以外にようやっとスネア(小太鼓)も叩けるようになった。
上達を肌感覚で感じられるのはとても楽しい。
小学生三人だけの共同生活は刺激的で、夏はあっという間に過ぎていった。
季節は九月、厳しい猛暑もようやくおちつき、活動のほうも再開していい頃合いだろう。
警察官との接触以降、僕らはしばらく身を潜めていた。目立ちすぎたし、何より怪我の回復を待ったためだ。
おかげさまで、今ではランニングも問題なく行えている。
全てはテテのおかげだ。テテがランちゃんに応援を頼まなかったら、僕は死んでいただろう。
テテはあの日以来姿を表していない。いい加減恋しいよ。早く会いたいよ。
ランニング中、お空の朝日はいつも綺麗だけれど、僕の目線は彼女の姿を探している。
帰ってくると、きぃの練習をランちゃんたちが興味深そうに聴いていた。
「みだれ、この曲おもろい」
促されるまま傾聴する。
「ほんとだ。すごい」
感嘆句を堰き止めるのに苦労した。
壮大で、雄大で、けれどどこか繊細な。まるで幸せの絶頂かのような熱烈な打鍵。
「意外だね。きぃもこんな風に弾けるんだ」
「たぶん他人の曲や。人の演奏を模倣してるんやと思う」
だとしてもだ。
僕は何度もきぃの素晴らしい演奏を聞いてきたけれど。
今回のは一二を争うほどの出来栄えだ。一朝一夕の練習ではこの域にたどり着けない。
曲調も好みだ。自己表現の叶う自由さと、緻密に組み立てられた論理的な旋律が同居している。
次に怒りだ。世の理不尽さ、自己の至らなさ、劣等意識を儚み。あるいはすべてをかなぐり捨てて、叫ぶように絶唱する荘厳なフォルテッシモ。
やがてくる静寂。休符。
緩急がきぃの哀愁をより上品に引き立てている。
いうなれば、『きぃのために作曲された』ような——。
きぃは悩んでいた。自身の絶望に対する返答がないと。
だがこの曲は、結末に絶望を置くことで。
きぃの悲しみを『答え』にすることで、問題の解決を図っていた。
神がかった構成だ。
もしこのまま、期待通りの演奏を聴けたのなら、僕たちのカルテットは解散していただろう。
きぃひとりで十分だからだ。僕たちは雑音になる。
だがきぃは唐突に演奏をやめた。褒めたい気持ちが驚きのあまり宙ぶらりん。
「いつもこうなんや。終盤になると、あいつ演奏やめよる」
タオルで汗を拭ったきぃは、フェスタが淹れた紅茶を飲んだ。
「あの曲は未完成なんだ、終いまで作曲できていないそうだよ」
フェスタが説明してくれた。
「どうして?」
尋ねるときぃが答えた。
「作曲家が完成させる前に死んじゃったから」
ふと思い出す。三ヶ月前、きぃがこんなことを言っていた。『父にピアノを託された』
「それってお父さんのこと?」
首肯した。
「父はプロなら誰もが知っているくらい著名なピアニストであり、マエストロだった。その一面ばかりが目立つけれど、実は作曲家でもあるんだ」
だが父は曲の完成を間近に亡くなり、遺作は表へ出ることがなかった。
「きぃの生涯はは譜面の完成のためにある。それももうじき終わる。みんなとたくさん演奏できて、とてもいい刺激になった。あと少しで何かが掴めそうなんだ。キッカケさえあれば……」
父の遺作を完成させる。それがきぃの死ねない理由。
他にも気になることは多いが、細かい話は終わりだと言わんばかりに、きぃは机の上に紙の束をドサっと置いた。
ギョッとした。
フェスタに差し出されたそれが札束であると分かるまで、いっときを要した。桁違いの厚みに困惑した。
「五十万ある。これは前金だ。あとの五十万も明日には用意できる。フェスタ、きぃは『大天使について』の情報を買うよ」
常々疑問だったことがある。
フェスタは別にきぃを特別扱いしていない。
彼に対してもきちんと家賃などは取り立てているはずで。すなわちきぃはお金を稼がないといけない。
けれどこれといった天職活動はしておらず、ライブの収益もいただいていないはずだ。
ならどうやって百万近くを稼いだのか。
「きぃ。君はまだあの仕事をしているのか?」
痛いとこを突かれたのか、きぃはひどく落ち込んだ顔をした。
「次で最後だよ。なにもかも終わりにする」
それだけ言うと、きぃはそそくさと店を後にした。
「あいつ、なんかあるな」
「そだね。不思議な人だ」
出逢って以来、僕たちは着実に歩み寄れている。けれどいまだ深層までは辿り着いていない。一定の距離感を保たれているのだ。
ランちゃんのときのようにはいかないな。
人間とは難しく、だから限りなく楽しい。
「あまり深入りしすぎるなよ。彼は特別な子だから、特別な事情がある。生半可な気持ちで関わると、深淵の闇に喰われてしまう」
「あ? アタシらが尋常か?」
「それもそうだね。ところで君たち、今後のご予定は? ホームレス天使について聞くには十万円が必要だが、持ち合わせはないだろう?」
ランちゃんは『知らね』と肩をすくめた。
自粛期間中、軍資金をかなり減らしてしまった。とてもその金額には届かない。野良の天使を見つけるしかないだろう。
「ならば提案だ。私の使いを頼まれてくれないか? 報酬は『ホームレス天使について』」
断る理由はない。
「難しいことではない。指定の場所へこの携帯電話を持って行ってもらうだけでいい」
渡されたのはきょうび珍しいガラケーであった。
産まれて初めて目にしたというのもあるが。ガラケーの重厚な装いが、どうにもオーパーツめいていて。不思議な秘密道具に思えて、ワクワクした。
生産中止となった現代において、もはやガラケーはロストテクノロジーだ。
「詳細は後で詰めるとして、どうだい? 受けてくれるかい?」
「フェスタ。お前の目的はなんや?」
「打倒星三天使、『イヤホンジャック』」
第二楽章 完。
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