第23話 最上級の褒め言葉

「おいおい。おいおいおいおい。何かと思えば、ただガキが一人増えただけじゃないか」


「そういう大人はどこにおるん? なーんも見えとらんぜ」


 ランちゃんは天使を視認することができない。

 警察官は認めざるを得ないだろう。相手が自分よりも上位の存在であると。


 すかさず臨戦態勢に入った。

「祝福発動」


「シッ——」

 速い!


 ランちゃんの強烈な一打はみごと警察官の懐をいぬいた。


 小学生、それも女児と侮ることなかれ。

 ランちゃんの筋肉密度は桁外れだ。生粋の肉体強度を誇り、身体能力もずば抜けて高い。

 大人といえど、攻撃をまともに食らえばひとたまりもない。


「決まった——」

 はずだった。


「がはっ!」

 ダメージを受けたのはなんとランちゃんのほうだった。


「なんやいまの……」

「俺の祝福は対象と『ダメージ』を共有する。よって、先ほどの攻撃で負った苦痛はそっくりそのままお前に還元された」


 おぉ! いきなりバトル漫画じみてきた。アガるね!


「はんっ。通りで芯にひびくわけや。にしてもお前はえらい余裕やな」


 痛みを共有するだけで、警察官自身のダメージがゼロになったわけではない。


「先天性無痛症。俺は生まれついて痛みを感じることができない」


 得心がいった。

 だから警察官は平然と子供を殴れるのだ。痛みがわからない都合上、人の苦痛に共感することができない。


「ズルじゃん!」


 ランちゃんは警察官を殴れば殴るほど痛手を負う。一方警察官は苦痛をまるきり感じない。


 戦いが長引くほどランちゃんは削られ、形勢は不利になる。


 僕のような低俗な脳みそは、バトルをそう結論づけた。


「はっ! ようはアタシが痛ぁてダウンするか、お前の体がくたばるかの、我慢比べやろ? 上等や」


 ——痛みを感じなくても、機能しなくなるまで壊せばいいじゃない。


「最高だよまったく……」


 先の説明を受けた者は本来、追撃に二の足を踏む。

 強く殴るほど自分へ帰ってくるダメージもはね上がるためだ。なのにランちゃん。


「らぁ!!」


 全霊だった。

 ランちゃんは痛みなんかに臆さない。


 豪快な蹴り、巧みなステップ、間隙をつく殴打。

 小柄な躰を活かした攻勢に感嘆とする。


「猪口才な!」


 かたや警察官の攻撃はかすりもしない。

 ランちゃんに届かない。


 腐っても警官だ、日がな鍛錬を積んでいるはず。

 ランちゃんもそれがわかっているから、掴まれないよう立ち回っている。


「見えていないんだよね……」


 驚くべき点はランちゃんの勘の鋭さだ。

 予備動作、足音、息遣い。聴覚情報だけじゃない。


 殺気までも肌感覚で捉え、見えないはずの警察官を捕捉し続けている。

 

 最強。


 脳裏にはただ二文字が赤く諸手をあげていた。


 あまりにも苛烈で、つい忘れてしまう。

 ランちゃんは最強だが、それでもランちゃんは女の子だ。


「痛くないの!?」

「めちゃ痛い。正直泣きそう。アタシ強すぎるねん」


 ならばなぜ挑み続けるのか。


「でもみだれのほうがもっと痛い。みだれが折れとらんのに、なぜアタシが負けられる!」


 かっこいい!!


 警察官、お前はランちゃんに勝てないよ。


 なぜならランちゃんは、人の痛みがわかる子だから。この子は僕ら欠落と違うんだ。


 だから強い。

 なので負けない。


 ランちゃんのハイキックが警棒を弾いた。

 警察官は徒手空拳だ。

 

 互いに長く続ける気はないらしい。


 ランちゃんは下半身をグッと落とし、拳を構えた。

 警察官が誘いに応じ、反撃を打ち込む。


 全てを躱しはしない。打撃のインパクト面をわずかに逸らすことでクリーンヒットを避ける。最小限の回避行動、つまるところ最大攻撃の応酬だ。


 殴り合い。死合い。


 結末は一瞬だった。


 警察官が右腕を振るおうとするも、わずかに反応が鈍った。


 痛みを感じない。つまり自身の不調に気づけない。

 警察官の右腕はすでに機能を終えていた。


「ラァァァァ!!」


 隙を見逃すランちゃんじゃない。

 鮮やかなアッパーカットが警察官の顎先を掠め、脳を揺らした。奴はひざからくずれおちた。


 ランちゃんの勝ちだ——。


「しゃあ!!!」


 大人に勝ったのだ。喜びもひとしおだろう、彼女はすぐに僕の元へ駆けつけてくれた。ぎゅっと抱きしめられた。折れた肋骨がひどく痛む。


「あとでいっぱい褒めてな」

「もちろん」


 彼女を支えにどうにか立ち上がる。

 早くここから逃げたかったが、足も折れている。歩みは牛歩だ。


 その間に警察官は回復し、のそりと立ち上がった。

 互いに満身創痍、これ以上やり合うメリットはない。


「茶番はしまいだ。お前ら、一歩でも動いてみろ、殺してやる」


「これだから大人は……」


 警察官は拳銃をこちらに向けていた。

 そこまで。

 そこまでイカれているのか、あなたは。


 少ない接触で大いに理解した。彼は躊躇わない。 


 万事休す——。


「ポリ公。お前の敗因は、子供を舐めすぎたことや」

「あ?」


「凶器を構えているのが、なにも自分だけやと思うなよ」


 警察官の背後に人影が見えた。

 奴だけでなく僕も驚いた。

 予想外の人物が立っていたからだ。


「ペンは剣よりも強し。なら、スマホは銃よりも強しやな」


「きぃ!」


 震え、怯えている。それでも強い叱責の相貌を警察官に向けるきぃは、スマホで僕らの様子を撮影していた。


「きぃの仲間を、傷つけるな。音が、弱くなるだろ……」


「お前がみだれをボコしてたとこも、正当な理由なく銃をとりだしたとこも、バッチシ映像に収めてるで。これが世にでたら、お前はもう天職活動できひんくなるな」


 ランちゃんはバカじゃない。

 警察官が追い詰められたとき、自暴自棄になって銃を取り出す可能性をちゃんと考慮していた。


 なので、あらかじめスマホという保険を用意できたのだ。

(僕たちは持ってないからきぃが呼ばれたのだろう。可哀想に)


 むしろバトルはこの状況を誘発するための囮ともいえる。


 傷だらけの子供に銃を向ける警察官。

 

 光景は言い逃れできない。白日の元にさらされたとき、奴は職どころか天使という存在意義をも失う。


 豚箱行きだ。


「スマホ奪おうとか考えんなよ。別の仲間とビデオ通話中や。アタシら殺したところで結果は変わらん」


 仲間とはフェスタのことだろう。チリモンカルテット総動員だな。


 警察官が発狂して全員を撃ち殺す懸念もあったが。そもそもこいつは、自身が警察官を続けるためだけに、僕を殺そうとしてきた異常者だ。確実に保身に走ることが予想される。


 詰みだ。


 奴は状況を理解したようで、銃をホルスターにしまった。


「脅しているわけか。聞いてやろう。要望を言え」


 僕もランちゃんも返事をしない。

 僕らのリーダーはきぃだからだ。


「痛み分けにしましょう。今回のことは水に流して、今後二度と手を出さないと誓ってください。そうすれば映像を公開することはしません」


 妥当だ。殺されてもおかしくなかった。生きて帰れるだけめっけものだ。


「信じられる根拠はどこにある?」


「きぃたちの棲家は、フェスタビルの四階だ。いつでも殺しに来ればいい」


『映像が公開されたのなら、いつでも殺しに来ればいい。きぃは逃げない』


 自身の命を脅しの道具に使う。ひどくネガティブな、きぃにしかできないやり方だった。


「……願ってもない話だ。弾が減っていることがバレると大問題になる。だが、お前たちが俺を狙い続ける限り、俺は戦わなければいけなかった。後に引けない状況だった」


「どうして警察官に固執するの?」


「この仕事をしていると、罪なき善良な市民が傷つけられる様を頻繁に目にする。俺の祝福は、そういった市民から苦痛を引き受けることができるのだ。俺はこの仕事に生き甲斐を感じている」


 人の痛みを肩代わりすることもできる。

 まっとうな祝福の使い方。


 だから失うわけにはいかない。

 人を。子供を殺してでも。


 彼は破綻した精神性をもつが。

 意義に忠実な天使であることに違いなく。


 そもそもの話だ。

 悪は僕で、殺されて然るべきなのもとうぜん僕で。彼を責める道理はない。


「なのでこちらこそ提案したい。お前に二つ、天使の輪っかをくれてやる」


 警察官は僕に二輪を投げた。受け取ると身体の中に取り込まれていった。


 ——これをあげたのだから。

「どうか頼むから、もう俺に関わらないでくれ」


 つくづく思うよ。天使を目指して良かったって。


 人にこんな言葉を言わせてしまう人間が、まともに生きていていいはずがないのだから。


「嫌われてんなぁ」

 ランちゃんに促されて、僕たちはこの場を後にする。

 もう彼と交わることはない。


 足取りは軽く。先まで嵐のように渦巻いていた痛みが、今はとても穏やかだ。


「俺は肉体の痛みを感じない。でもな、心はあるんだよ」


 心はちゃんと痛いと言う。

 良心の呵責ならあった。


 だから今も、僕の苦痛を引き受けてくれたのかい?


「訂正する。あなたは僕と違う」

「それはとても光栄なことだ」


 僕が送れる、最上級の褒め言葉だよ。

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