第22話 罪と罰に唾を吐く
僕は悪感情を抱かない。
かといって不感というわけでもない。
むしろよほど起伏のある情緒を持っていると自覚している。
なので今を楽しんでいるのです。
人生でいちばんの激痛に、こりゃ驚いた!
「シッ——」
振るわれた警棒は簡単に腕の骨を折った。
体内に鈍い衝撃が走る。
鼓膜の内側で粉砕の音を聞く。
熱感が瞬く間に広がり、真皮質を燻す。
脈動の一打一打が尋常でない苦痛となって、神経系に押し寄せてくる。
二発目は耐えられなかった。
「あああ!!」
悪感情はなくとも、痛覚はしゃんとしているから、悲鳴が甲高くあがった。
倒れ伏す僕に警察官は馬乗りになった。
「知っているか? 十四歳未満の子供は刑事責任能力がなく、法を犯しても捕まえることができないんだ」
殴られる。殴られる。
口の中いっぱいに血の味が広がる。
「ならどうやって触法少年に罪を償わせようか。簡単だ、大人が殴ってやればいい」
殴られる。殴られる。
度に視界が発光して、理解があやふやになっていく。
見なくてもわかる。顔の形が歪にこねられている。
「お前、大人のことを舐めているだろ。社会をコケにしているだろ。叱ってくれる人がいなかったんだな。ろくな躾をうけてこなかったんだな。可哀想な子だ」
いいえ。パパとママは素晴らしい人でしたよ。
ただ残念な魂があっただけだ。
叩いて直るのなら、いくらでも叩いてやればいい。
気が済むまで気持ちよくなってくれれば、僕の幸せだ。
僕はなんだって楽しい。
「人間が天使に接触するということは、『天使の命を狙っている』のと同義。お前、俺を殺すつもりだったんだろ? 殺せる気でいたのか? クソガキが。舐めやがって」
髪をグッと掴まれる。後頭部を数度地面に打ち付けられる。
「俺は悪を滅ぼすため警察官になった。正義を執行し、大衆を幸せにするためだ」
警棒の柄で額部を殴打された。
これは本格的にまずい。意識が飛び飛びだ。
もう体のどこが痛いのかすらわからなくなってきている。
死ぬ。
「悪は誅さなければいけない。俺はお前みたいなやつをたくさん殺してきた。そうやって天使になったんだ。子供だからって許してもらえると思ったか?」
『アタシらも、自分らに降りかかってくる不幸には気をつけたいもんやな』
『やったことは必ず自分に返ってくるよ。より大きな厄災になってね』
自業自得だ。いままでのツケが回ってきただけだ。
自分さえ楽しければそれでよくて。人のことなんてつゆとも考えなくて。やりたい放題してきた。
最悪な生き方をしてきたから、最悪な死に方をする。勧善懲悪。因果応報。喜劇的すぎて笑えてくる。
でもまさか、本当に殺されるとは思わなかったな。
運がなかった。関わってはいけない類の人と接触してしまった。
「気を失ってはダメだ。それだと罰にならない。ほら、あとちょっとだから」
頭蓋骨がどの程度で砕けるのか試されている。
だんだん気持ちよくなってきた。
バカな心臓が汗水垂らして働いて、身体から命をボタボタとこぼしていく。
生暖かい。熱い。冷たい。
初めて自覚した死の輪郭は、鋭利な花弁の形をしていた。美しく、芳醇な香りを湛え、見るものを奈落へ誘う徒花。つめば二度と目覚めることはない。わかっていても、つい欲しくなる。
ほどほどに楽しい人生だった。
もう終わりにしちゃおうかな〜。
とか考えちゃったりして。
走馬灯ですら自己中心的だな。
「安心しろ。片割れもすぐに送ってやる」
言葉を聞いて、ハッとした。
別にランちゃんの心配をしたわけじゃない。
彼女はこんなやつに負けっこない。
気づいてしまったのだ。
未練たらしく。赤は僕の理由だから。
——殺されるのなら、ランちゃんがいい。
「死にたくないなぁ……」
今際の呟きに、まさか返事があるとは思わなかった。
「その言葉を待っていたよん」
精一杯の力で瞼を開けると、頭上にあの人がいた。やめろよ、惚れちまうだろ。
翼をはためかせ、いつもの微笑みを湛えて。
——テテ。
感情が昂る。みるみる活力がみなぎる。彼女の美しさは原始的だ。存在だけで僕を死の淵から引き上げてみせた。
死にたくないが、生きたいに転ずる。
テテはものを言わず、明後日の方へ指向けた。
瞬きをすると、彼女の姿はもうなかった。
テテは何を指差して——。
「アタシはな、赤色が好きなんや。赤はヒーローの色やから。遅れても言い訳がつく」
うぅ。
素敵だ。
大好きだ。
みんなみんな愛している。
——テテがランちゃんを呼んできてくれたんだ。
ランちゃん。ランちゃん。ランちゃん!!
「みだれ、悪い。一人にしてもた。あとはまかせろ」
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