第17話 教師失格

「学生時代、一度もイジメられたことのないようなやつは、学校を『楽しい場所』だったと記憶する。だから教師になれる。『イジメられる側』の気持ちを知らないために、事態は一段と悪化する。逆はあまりないだろう。学校という社会構造に嫌気がさしてしまったマイノリティは、相当な志がない限り、わざわざ教師になることはない」


 自分の手の指を全てへし折った先生は、だが表情ひとつ変えることなく語り続ける。


「あなたがそうであると?」


「違う。全然違う。この戯言で重要なのは、『イジメが発生することをなんぴとも否定していない』ところだ。ならば教師に求められるスキルは、『イジメをいち早く鎮静化させる』ことにある」


 よく分からないな。先生の言葉はすごく後ろ向きだし、僕ってばそれほど人間に絶望していない。

 やはり共感はない。


「だからぼくは教師になった。ぼくの祝福に教師の適性を見たからだ」


 彼の祝福は、人に『正直』を強要する。


「転校してきたきぃさんは当初、比較的人気者な生徒だった。物言わぬクールな雰囲気、ミステリアスな所作。ビジュアルもよく、かつピアノは素晴らしい腕前を誇った。必然、きぃさんの周りにはよく人が集まった」


 だが、きぃの本質はそこじゃない。


「難点はやはり性格だ。自ら人に寄り添うことがなく、むしろ遠ざけようとする節もある。普段から暗い表情をたたえ、見るものを不安にさせる。すこしでも気に触ることがあれば、決壊したように涙を流す。周囲は次第に、腫れ物を扱うよう接し始めた」


 意外だった。いじめに加担するような教師のくせに、ちゃんときぃのことを見ているじゃないか。僕よりよっぽど彼への理解がある。


「イジメへ発展するのは時間の問題だった。ならばこう考えてみてほしい。『さっさとイジメさせて、さっさと終わらせる』べきではないのかと」


「わざと貴重品から目を離し、悪い奴を誘き寄せて、置き引き犯を捕まえてやろう! みたいな?」


「別にたいしたことはしていない。六年二組の生徒たちを、ほんの少し『正直者』にしただけだ」


 正直を強要するということは。

 人の暗部を曝け出すということ。


「きぃさんへのイジメは滞りなく行われた。幻想が崩れたことへの反動か、大いに盛り上がった」


 ここまでは先生の目論見通りなのだ。

 自らが契機となることでイジメの全容を把握し、迅速に対応する狙いがあった。


「すかさず生徒たちを指導し、沈静化を図ったのだが、ことはそう上首尾にいかなかった。きぃさん、あの人が異質にすぎたのだ」


 先生はボロボロになった手のひらを見下ろしている。ひしゃげた指の間から、大切なものがこぼれ落ちていくのか。表情は虚ろで寂しげだ。

 

「あの人はいったいなんなんだ? イジメの標的にされたと言うのに、態度を改めることなくひょうひょうと登校してきて。かと思えば泣き喚く。不登校になる気配すら見せず、教室にいるだけで周囲の神経を逆撫でする」


 まるでイジメが、なんてことのない些事であるかのようにふるまう。


「ぼくはきぃさんに尋ねた。辛くはないのかいと。なぜ律儀に登校してくるのだと。あの人は言った。『家も、学校も、どこであっても。どうせ同じ地獄だ』とね」


 不幸であることが当たり前だから。

 泣かない日なんて一度もないから。

 普通だから。日常だから。


「そしてこうも言った。『同じ地獄なら、ピアノが弾ける方を取る』。ぼくはようやく理解した。きぃさんは学校に勉強をしにきているわけでも、友人と遊びにきているわけでもない。ただ純粋に、ピアノを弾きにきていたのだ」


 ピアノが弾けるのなら、イジメられたっていい。

 きぃは祝福を使うまでもなく、音楽に正直だった。


「そんなくだらない理由のために、ぼくの教室は崩壊した。笑えるだろう?」


 そんなくだらない理由のために、僕たちはこの学校へやってきたわけですが。 


 相入れないな。

 いつの世も、子供の敵は大人になりきれなかった大人たちだ。


「だが腐ってもぼくは教師だ。イジメの原因を解決し、問題児を更生に導びく責務がある」


 この場合の問題児とは、被害者であるきぃのことだ。


 誰が言ったか。

『イジメられる側にも原因がある』

 先生は原因を取り除こうとした。


「だから欲求を折った」


 学校にいるとピアノが弾けなくなってしまう。きぃにそう思わせるために。


「きぃさんが不登校になると、クラスは驚くほど平和になった。成績、授業態度も向上し、他の教師からの評判も良かった。きぃさんの脱落は、結果として多くの幸せをもたらしたのだ。ぼくの選択は人として過ちだったが、天使としては正解だ」


「教師としては?」


 詰問に先生は二の句を返せないでいた。


「きぃのやつ、今、懸命にピアノを弾いていますよ。先生の手厚い指導なんて意にも返さず、素晴らしい演奏をしています」


 他者がいくら妨げようと。指をすべて切り落とされたとて。きぃはきっとピアノを辞めない。


「ぼくは低級の天使だから、祝福が自身にも作用してしまう。だからこれはぼくの本音だ。ぼくはもしかしたら、教師に向いていないのかもしれない……」


 もっと上手くやれたはずなのに。

 沈鬱な表情が後悔を物語っていた。


「惨状はぼくの不備が招いた結果だ。導くはずたった生徒たちを傷つけてしまった。大人として、ケジメをつけなければいけない」


 先生は屋上のへりに立った。


「天使を人に譲る方法はしごく簡単。光輪を他者へ譲渡すだけでいい」


 先生は言うと、頭上の一輪を僕に投げた。

 慌ててキャッチすると、光輪は跡形もなく消えた。まるで体内に吸い込まれていくようだった。


「友のためにここまでをしでかした君たちの方が、よほど多くを幸せにできるだろう。ぼくでは力不足だった。それだけのことだ。光輪を集めなさい。いずれ君の中の天性が発芽する」


「あなたは死ぬの?」


「天使はもとより死んでいるようなものだ。資格すら失った。もう長くない」


 先生は向きを地上へと変えた。


「もっと、頑張ってみればいいじゃないか」


「教師はね、いつだって若人に期待しているんだ。最後にひとつ聞きたい。君、名前は?」

「花咲みだれ。先生は?」


「ぼくはもう教師でない。ただの咬犬こうがみだ。ぼくはただ、生徒たちを幸せにしたかっただけなんだがな……」


 ガチャリ。背後で扉の開く音がした。見ると満足げなランちゃんがいた。事を済ませたようだ。


「一人で何しとん?」

「一人?」


 振り返ると、へりにはもう誰も立っていなかった。

 やはり咬犬、あなたは先生に向いていない。


 もうちょっと、教訓めいたものを残していけよ。先生なんだから。


「あなたの死は、これぽちの価値もない。ただの自己満足にすぎない」

 

 すこし、正直すぎるかな。

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