第二楽章
第16話 過ちを指折り数えて
日課である十キロのランニングをこなしつつ、目的地である小学校にたどり着いた。
もちろん僕が通っていた学校とは別であるし、今日から転校するというわけでもない。
校門をよじ登り、ひょいと降り立つ。
ズケズケと校舎内に侵入する。
時刻は昼前、とっくに授業が始まっている時間帯だ。
なので生徒や教師にすれ違うことなく、ランちゃんが待つ音楽室までたどり着けた。
学校という施設のセキュリティの甘さ。
知らない校舎の新鮮さを確かめつつ、扉を開く。
教室内は阿鼻叫喚の有り様だった。
「おうみだれ、遅かったな」
「ごめん、知らない道で少し戸惑った」
ランちゃんは僕なんかよりずっと足が早いから、すでに事を始めていた。
六年二組、一人を除いた計三十人、全員きっかり教室の隅に集められていた。
教卓に陣取るランちゃんから、できるだけ距離を取ろうとした形だろう。
教室の真ん中にはひしゃげた机と、うつ伏せに倒れる大きな男の子がいた。ランちゃんの倍はあろうか体格だが、まぁ彼女からしてみれば誰であっても同じことだ。
「こいつらダサいわ。初めはアタシんことシバくとか息巻いていたくせに、一番強そうなやつノしたらもうこれよ」
皆は察したのだ、
ランちゃんは最高効率で教室内の主導権を掌握した。
ならば檻の中に彼らはある。猛獣をできるだけ刺激しないよう、息を潜めあっている。
「せっかく教卓にたったんや。一つ、授業をしよう」
言うとランちゃんは黒板に絵を書いた。
石ころの絵だ。
「この宝石は貴重なシロモンや。多分百億円くらいの値打ちがある」
とてもそうは見えない画力……。
「貧相な感性の持ち主には、ただの石ころにしかみえんやろうな」
……。
「価値を知らんゴミどもが足蹴にし、宝石に傷をつけた」
次の瞬間、爆発に近い轟音が教室内に成り響いた。
防音性が高い音楽室でなかったら、今頃騒ぎになっていただろう。
「罪な話や」
甲高い女子の悲鳴が上がる。
絵は原型をとどめることなく、黒板ごとバラバラに砕けた。
「単刀直入に聞く。きぃをイジメたやつはどいつや?」
きぃのクラスの名簿、時間割など、事前に調べはついてある。フェスタから情報を買ったのだ。千円で。
僕たちがこの学校へやってきた目的は、制裁のため。
天才ピアニスト・きぃという価値を貶めたことへの。
彼は学校でひどいイジメにあい、指の骨を折られてしまった。
同じ目に合わせてやる。
大切を傷つけるやつがらを、僕たちは決して許さないのだ。
「早よ答えんかい!」
女子連中は恐怖にうめき、男子からは言葉にならない悲鳴が上がった。ランちゃんはヴィラン顔。
張り詰めた緊張に耐えきれず、二人ほど脱出を試みるべくかけ出した。
「はい、残念〜」
すかさず女子のほうを掴んで放り投げ、殴りかかってきた男子には渾身の前蹴りを喰らわす。吹き飛んだ二人は机ごと盛大にすっ転んだ。男の子は吐いていた。
こちとら散々ランちゃんとジャレてんだ。意外と強いんだぞ〜。罪悪感とか、痛みへの恐怖心とか、そんなモンありゃせんし〜。
僕の役目は逃亡の阻止だ。
連中はついに事態が深刻であると認識したよう。
「わ、私たちなにも知らないもん!!」
「そーだそーだ!」
女子を中心にようやくまともな反論が帰ってきた。
「知らなくても結構です。知らないふりでも構いませんよ。お前ら、勘違いしくさんなや。イジメの加害者は何も主犯格だけやない。見て見ぬ振りの傍観者同様、知ろうともしなかった部外者も等しく咎人や。このクラスで酷いイジメがあった。その事実だけでお前ら全員カスなんやで。自覚しときや」
イジメと言えば聞こえはいいが、ようは傷害事件だ。
犯罪が発生しうるクラスの雰囲気作りに加担した。暴論だがそれだけで罪ともいえる。
「アタシは慈悲深い。主犯格差し出すだけで許したる言うとるねんで?」
だが帰ってきた返答は沈黙。
そう易々とクラスメイトを売るつもりはないらしい。
「嬉しいなぁ。アタシ、できればそのまんま黙っといてほしいねん。だってなぁ、もし誰も主犯格を言わんかったら、こうするつもりやったから」
舞うように軽やかに。とても軽快な足取りでランちゃんは子供らの元へとんだ。
ランちゃんが選んだのは、人一倍気の強そうな女の子だった。クラスのカーストは常に上位で、いつも誰かを下に見ている。下劣が人相に出た、とても可愛いらしい女の子だった。
指を一本、ギュッと掴み取る。
逃げようと必死にもがくも、相手が相手だ。一歩も動けやしない。
「一人ずつ、順にポッキり折っていく。主犯格を炙り出すまで、絶対にやめへん。幸い指はたくさんある。まずはお前や」
「や、やめてください!! お願いします。全部話します。中嶋、あんたやろ!?」
さすがの人選だ。
自分に危害が及ぶとなれば簡単に他人を差し出す。そんな子を選ぶのが抜群に上手い。
「お前らいつもいつも、きぃに嫌がらせしてたやん! ウチだけちゃうで。みんな知っとるんやからな。他にも田中、木村、青山、岡本!」
「へぇ、そいつら何したん?」
「やばいんよ! きぃの教科書捨てたり、体操服便器に流したり、上履きの中に犬のうんこ入れたり。他にもな、いろいろあんねん。髪の毛ハサミで切ったり、女子の前でパンツひん剥いたり、椅子に画鋲乗せたり。ヒドいときにはトイレでアソコ舐めさせてた。ほんまサイテー」
「そういう藤野だって、毎回笑って見てたやん! そもそも、イジメられる側にも原因が——」
「はい、よくできました」
ポキり。
「ギャァァァァァァァ」
絶望が鳴った。
クラスメイトの全員が青ざめた。
自らが犯した罪を振り返るには十分の音量だろう。よく響いている。
「今呼ばれたやつ、他にも心当たりのあるやつ、今すぐ前へ出ろ。言っとくが、あとからしゃしゃり出たら指全部折ったるからな」
脅しでないことの証明は、床で転げ回っている。
名前が上がった子らと、自覚ある奴ら含めて八人ほどが前に出てきた。男女問わずであった。今にも倒れそうに怯えている。
八人。
一人を標的にするには多すぎるし。その人数は狭い教室内において、文字通り世界と表現できる数だ。
「こんだけの人数が個人をイジメてたんか。呆れるわぁ、ほな全員が加担してたんと一緒やん」
言い訳の余地はない。
見て見ぬ振りとかいう次元じゃない。
このクラスは全体が加害者だ。
皆でイジメを公認していた。
法律で是正していた。
実行犯がこの八人だったと言うだけだ。
「もーめんどいわ。やめややめ。さっさと終わらせよ。きぃの骨折ったやつ今すぐ出てこい。そいつ一人潰して終わりにしたる」
作戦通りなら、ここから主犯格勢の指を一本折り。さらには骨折させた当人を炙り出し、全ての指を折る手筈だった。
だが思いの外腐っていた。
「あ? えらい頑固やな」
ここまで来ればすぐにでも名乗り出ると思ったが。
数分経っても手を上げる者はなかった。
犯人探しの視線が錯綜する。
ランちゃんの魔の手から逃れるため、懸命に互いの粗を探り合っている。不毛だ。
「アタシもなぁ、別に正義があってお前らを詰めとるわけやないんよ」
もちろんこんなの正義の所業でもなんでもない。ただの八つ当たりだ。
「友達がイジメられて、腹たっただけやねん。ちゃんとごめんなさいして。きぃが許してあげたなら、アタシもひとまず我慢したろおもーてた。でももうやめや」
殺意と表現するには粘着質な熱線が教室を薙いだ。触れたものの三半規管を狂わし、中には失禁するものまでいた。
ランちゃんがキレた——。
「アタシの本質も、実はお前らとさして変わらん。弱いものイジメがめちゃ好きやねん」
——やからアタシも、楽しむことにする。
「犯人探しはおしまいです。全員おろしたら同じことやもんなぁ〜」
そこから先は僕の観測が必要ない領域だった。
わかり切った結末だからだ。
確かなのは全員、もう二度と、まともにピアノを弾くことができないということ。
なので教室を後にした。
コツコツと近くの階段を登り、屋上へあがる。
扉を開けると、嘘みたいな青がパノラマに広がっていた。積乱雲が背伸びする、気持ちのいい晴れ空だ。
「そんな顔をしていい天気じゃないですよ」
僕の横には土気色にくすんだ表情の、痩身の男がいた。
男を教室から連れ出すために、僕は屋上へやってきたのだ。
男はか細い声をあげた。
「あなたはぼくが天使であることに勘づいていますね?」
男はずっと教室内にいた。おそらく教師だろう。
当たり前だが、授業をするためには先生がいる。
クラス制圧にあたり、真っ先に対処するべきは大人。けれどランちゃんはそぶりを一切見せなかった。
教師を放置していた。なぜなら、見えていなかったから。
予感ならあった。
天使調査の結果、フェスタが僕やランちゃんにたどり着いたように。フェスタがかくまうきぃであっても、なにかしら天使と関わっているのではと。
「はい。僕はあなたを天使だと予想しています」
ん? 今のはなんだ? 僕の意思とは無関係に言葉が出たきがする。
「ぼくの祝福は、『正直の強要』。効果は読んで字の如くだ」
宣言と同時に男は頭上を指さした。先程までなかった光輪がひとつ、宙に浮かんでいた。
出したり消したりできる代物なんだ、ソレ。
「天使の祝福は、光輪を出している状況でなければ使用できない」
そーなんだ! さすが先生、ちゃんと教えてくれる。どっかのバカとは大違い。
ふむふむ。ならば彼に嘘は通用しなさそうだな。
では、直感を正直に伝えよう。なんの根拠もない推論だが、妙な確信があったのだ。
きぃは言った。
『学校でひどいイジメを受けた』と。
『クラスメイトから』とは一言も言わなかった。
学校という集合体、当然そこには教師も含まれている。
「きぃの指を折ったのはあなたですね?」
返答は簡潔だった。
教師がボキボキと自分の指を折りはじめたのだ。
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