第12話 名探偵フェスタ

 神戸の風土は愉快だ。

 

 全九つの区からなり、人口は兵庫県で最多を誇る。

 大阪からさほど離れていないことから、合わせて『阪神』と呼ばれることもおおい屈指の政令指定都市。


 特に開国時以降、諸外国との玄関口として機能した港町に経済は集約し。北野異人館をはじめとしたオリエンタルな街並みが人気の観光名所となっている。


 一見小洒落た印象をもたれがちな神戸だが、ひとたび『元町』に入ればその様相も変わってくる。


 終戦後、米国の空襲により大打撃を受けた神戸市民は、政府の配給だけでは食うに困ると闇市を興した。

 悪名高い神戸ヤクザの前身がそれを取り仕切り、裏社会の闇が深く街に根付いた。


 とくに顕著なのが元町である。


 JR三ノ宮駅に連なる旧国鉄の高架下、アングラな店々が所狭しと立ち並び。どこか怪しげな雰囲気を携え、来るものをえり好んでいる。


 阪神淡路大震災を機に雰囲気は一新され、今でこそ普遍な商店街のようだが、その実深く潜ればいまだに昔の面影が残る。


『オーシャンノベル』も、そうした暗部の一つだった。


「げげっ。なんやここ、けったいな店やなぁ」


 時刻はすでに夜。なかなか見つけられなかったのもやむなしだ。オーシャンノベルは古いビルの半地下にあって、湿気た階段を降りた先に門を構えていた。


 罅の入った古い石造りの壁面はおそらく戦前のもの。そこにベタベタと英語のポスターが貼り付けられている。古い年代の、名前も知らないミュージシャンたちだ。


 階を一つ降りるごとに空気が澱んでいく。薄暗く、じめりとした湿度は夏だと言うのに肌寒さを覚えさせる。

 立て付けの悪い鉄扉を力強く開くと、奥から埃の匂いが溢れてきた。だがよりぼくを驚かせたのは『音』だ。


 音圧で内臓が震えた。

 それは僕が知るどの音楽とも違って聞こえた。

 こんなの、学校では習わなかった。


 トランペットの音波が、腹の下から突き上げてくる。

 ピアノの奇妙な音色が、狂ったように跳ねている。

 それらをまとめるはずのドラムが、みるみるペースを上げていく。


 演奏に歌手はなく、楽譜もなく、秩序もない。ただ混沌としたうねりがあった。


 レコード盤がクルクルと回る。大量の大型スピーカーから放たれる録音に芯が震えた。もしこれらの演奏を生で聴けたのなら、どれほどの激情を抱くというのか。


 今は感動より困惑が強かった。

 劇的とはそんなものだ。


「初めて聞いたん? 有名な曲やで。『JAZZ』言うんやけどな」

「ジャズ? これが? 僕はもっとオシャレなイメージをもっていたよ」


 とてもではないが、こんな楽曲喫茶店では流せない。

 オーシャンノベルはジャズバーなのだ。


 広さは十分。客入りも悪くないようで、ちらほら席が埋まっている。店内の雰囲気はレトロだ、それがかえって新鮮に感じられた。


「ご注文は?」


 無愛想に声をかけてきた店員の男。逞しい体格、睨めつけるような眼光には迫力がある。特徴的な口髭は整えられており、バーテンダーの正装でキめている。だが子供を見下す大人の装いは隠せていない。夜のバーに不相応な僕らを訝しんでいるのだ。


「ウォーターをロックで。濃いのを頼むぜ」


 ランちゃんはカッコつけるとき、標準語で話す癖がある。普段からカッコいいやつなのにね。


「冷やかしなら帰れ」


 お冷だけに? お金があればドリンクの一つでもたのんださ。いまは素寒貧なのだ。


「どうだかね。アタシらの生き様は不退店不退転やで」

 いよいよつまみ出されそうなとき、唐突に声がかかる。


「この子達は私の客人だよ」


 聞き心地の良い低音。歳の頃は三十ほどか。現れた男は僕ら二人の肩を優しく包んだ。奇妙でいて独特な、怪しい香水の匂いがした。


 新キャラはなんとパイプを蒸していた。


 帽子を目深に被り、カーキ色の『インバネスコート』(後で教えてもらった)なるものを羽織っていた。

 それはこんにち、『シャーロックホームズ』を象徴する出立である。


 顔はキリと整っているものの、どうみても日本人であるからして、陳腐なコスプレにしか見えない。


「ワトソン君、息災かい?」

「マスター、この子達は?」


「紹介するよ。こちらの紳士淑女は『ランツ・クネヒト・ループレヒト』君と、『花咲みだれ』君だ」


 おっと面白い。

 もちろん僕たちはホームズのことなど、つゆとも知らない。ならばなぜ僕たちのフルネームをご存知で?


「立ち話もなんだ、席に着くといい」


 言うとホームズは僕らをカウンター席に案内した。

 ワトソン君は僕にウォーターロック(お冷)を、ランちゃんにはミルクを提供した。


「なぜ? と言う顔をしているね。なぜ私が君たちのことを知っているのか。なぜ私が君たちの足跡を追えたのか。これには理由が二つある」


 大仰な態度は様になっていたが、鼻につく演技臭さが拭えていない。『胡散臭いやつ』と言うのが第一の印象だ。ちなみにこれは以後変わることがない。


「一つ。私が天使を追っていたから。私は常日頃天使の動向を探っている。ひいてはかの大天使様と二度も接触したのが君たちだ。辿り着くにそう時間は有さなかった」


 発言から見るに、ホームズが天使の存在、ひいては『テテ』のことを認知しているのはあきらかだ。


 十中八九、彼が件の『天使の主』なのだろう。僕たちは思惑に引き合わされたのだ。

 テテ。その目的はなんだい?


「二つ。私の正体が名探偵だからだ」


 見ての通り。なんの捻りもない。


 ホームズは僕らに名刺を手渡してきた。

 『オーシャンノベル』のオーナーであることと、『名探偵』である旨がデカデカと記されていた。

 名探偵って自称するものだっけ?


 人呼んで——。


「名探偵『フェスタ』。以後、お見知り置きを」

「どうして僕らに接触したの?」

「急くな。夜は長い。ひとまず乾杯しようじゃないか」


 言われるがまま彼のワイングラスにコップを当てがう。

 カチャンと会話に没入する。


「大天使様。君たちが『テテ』と呼ぶあのお方は、発生からまだ数ヶ月しかたっていないと言うのに、何百人もの救済を行なった。テレビではもっぱらこの事件でもちきりだ。日本中が震撼しているよ」


 知らなかった。僕はテレビを見ないし、情報源である新聞にも興味が持てない。パパは暗い話題を食卓に持ち込むような人でなかったのだ。


 僕もランちゃんもスマホを持っていない。かつ友達が少ない田舎民。つまりは世間知らずである。

 しょうみな話、今の総理大臣ってだれだっけ?


「テテはいつも一人だけを残す。生き残りが不幸を豊富に発生させるためだ。だと言うのに君は、あっけらかんと澄んだ青空の微笑みだ」


 ニコニコ。家族が死んだおかげであなたに出会えました。


「そんな君だからテテは執着した。証拠に、一日に何件も被得者を出し続けていたテテの犯行が、昨日からピタリと止んでいる。おそらく今後も進展はないだろう、私はそう推理する。君らのことを監視するためだ」


「なるほど。フェスタ、だからあなたは——」

「君たちと関わりを持つことで、大天使『テテ』との接触を図る。打算に満ちた関係は嫌いかな?」

 

 フェスタは僕らに交渉を持ちかけているのだ。

 手を貸すかわりに、テテの尻尾を掴むことに協力しろと。

 

「具体的には何をすれば?」

「話が早くて助かるよ。君たち、神戸での衣食住はどうするつもりだ? 飲み物すら買えなかったようだけれど、必要な金銭はいかにして得る? まさか何も考えていないわけじゃないよな」


「いつも考えていますよ。世界を平和にする方法とかね。たいていのことは実現できない」


「ならば平和的に提案しよう。衣食住、金銭共に私が支援する。その代わり、君たち二人には私の仕事を手伝ってもらう」


 途端に躍る。

 物語が動き始めるのだ。

 予感の音色に耳を澄ませよう。

 ジャズのテンポに合わせて、ワクワクと跳ねよう。


「天使を見つけ出せ。殺さずともいい。情報提供だけでかまわない。報酬ははずむ」


 言われなくても僕たちの主題はそれだ。天使を探すために神戸へやってきた。協力してくれるのなら是非もないが。どうしてわざわざ?


「私が天使を探す目的。天使の正体。天使の倒し方。他にも有益な情報を多数もっている。きっと天職活動の役に立つ。どうだい? 知りたいかい? ならばよく働き、よく稼ぐといい。自らの金銭で知識を購入するのだ。私は『情報屋』としての一面もある」


 なるほど。僕たちの捜索意欲を高めようとしているわけですね。


 フェスタの交渉はフラットだ。子供を貶めようとする意図も、した手に見る優越感も感じられない。相互利益がちゃんとある。心地のいい距離感だ。


「概ね話はまとまったかな」

「いえ、まだです。まだ僕は、彼女の言葉を聞いていない」


 ランちゃん。君はなぜ、フェスタが登場してから一度も口を開かないの? 腕を組んで、怒ったようにフェスタを見つめて。


「天使を見つけたら、お金くれんねやろ? ほなまずはお前からや、フェスタ」

「ランちゃん?」


 ランちゃんはフェスタに指を刺した。


「なぁみだれ君よ、さっきからえらい間抜けやで。姿も見せへんビビリと仲よー喋りよってからに。アタシ、フェスタのこと見えとらんよ」


 まじか……。


「あはは、さすがだよ。天使は自らが幸せにできると思った人間にしか、姿を見せることができない。大天使テテですら無理だったんだ。三下の私に叶う道理がないな」


 フェスタは文字通り脱帽する。すると図上に天使の輪っかが現れた。おったまげたぜ。


 フェスタの輪っかはテテのと違い、二輪しかなかった。テテはなんと五つだ。格が違うと一目でわかる。


「いやぁ面白い。愉快痛快だ。推理するにランツ君はほぼ、いや否だ。『全ての天使を視認できない』世界で唯一の逸材かもしれないね。ひいては——」


 当然だ。僕のランちゃんは世界最強なんだ。


「あぁ、テテよ。今ならあなたの気持ちがわかるよ。この子達に懸ける思いが! ……どんなことにでも幸せを感じられる花咲君。君はおそらく、『全ての天使を知覚できる』人間だ」


 知覚できたとしても、先ほどのフェスタのように、正体を隠されたなら僕は見抜けない。


 ランちゃんがいたから。僕たち二人がいたからこそ。

『見えていない』を証明できる。


「二人がいれば、どれほど巧妙に姿を隠した天使であっても、炙り出すことができるだろう。今後とも期待しているよ」


「そんなことどないでもええねん。はよ小遣いよこせや」

「……。わかりました」


 大人が言い負かされていた。

 差し出されたのは千円札だった。


「「やったー♪♪」」


 大金持ちだ。

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