第11話 ギャンブルはほどほどに

 這う這うのていでどうにか神戸は元町にたどりついた僕たちは、極度の疲労と眠気に襲われ、一旦の休憩を余儀なくされた。


 なけなしのおこずかいをはたいて、マックでシェイクを購入し。イートインコーナーで仮眠(爆睡)をとった。見かねた店員さんが起こしてくれたときにはすでに正午を回っており、やや遅めの活動開始だ。


「『オーシャンノベル』やっけ。アタシらが目指しとるいう元町の店は」

「そだね。でも困った。どうやって見つければ良いんだろうか」

「こーいうときにスマホがあったら便利なんやろな。しらみつぶしであたるしかないんとちゃう」


 方針も決まったことだし、高架下のガヤガヤとした繁華街をねり歩く。思えば今日は土曜日だから、いつにもまして人通りが多く、皆こぞってランちゃんを凝視していた。


 異国の少女、それも深紅の髪色とくれば目立つのはむべなるか。本人はなれたもので、とくに気にした様子もないが、今後の活動の妨げになってもおもしろくない。

 せめて頭を隠せる程度の変装は必要だなとか、平凡なことを考えていたとき──。


「おわりだぁぁ。人生おわりだぁぁぁぁ」


 パチンコ店から出てきた男が、それはもう悲痛な叫び声をあげた。

 財産をなげうった魂のギャンブルに挑み、敗北してしまったのだろう。心中は火を見るよりも明らかだ。


 つくづく思う。たとえ天使や神様なんていなくとも、愚かな人間は勝手に自傷し、自ら地獄の窯蓋を開け放ってしまう。手は熱に爛れ痛みを伴う。パチンコのハンドルを握った彼の手は、果たして無事だろうか。

 ギャンブルは無間地獄だと、いつもうつろな目でパパが語っていた。


「あれみてどう思う?」

「羨ましいなぁ。よほど悔しがれるくらい、何かに熱中したいものだね」


「お前には悔いなんて感情、欠如しとるやろ……。アタシは憐れとしか思えへんな。そして憐れなやつは、縋れるものなら藁でも縋る」


「急に語ってどうしたの?」

「まぁみとけ」

 言うとランちゃんは男に果敢と近づき、大仰な態度で高説を始めた。


 ランちゃんは思いやりに満ちた、博愛の微笑みを浮かべていた。

 裏の鬼面怒面、阿修羅の相に目を瞑ればだが。


*


 活動日記2。


 男は根っからのギャンブラーであった。


 学生の頃から暇さえあれば競馬競輪競艇パチスロに赴き、時に勝ち、派手に負ける。

 生粋は大学を卒業しても変わらず、ギャンブル三昧な毎日を送っていた。


 だが決して廃人ではなかった。


 必要以上に浪費していたが、執拗に消費してはいない。

 手持ちの銭はあらかた消えた。しかし最低限の生活費にまでは手をつけず。他人に迷惑をかけることもまたなかった。


 あくまで若い時分の無益な趣味の範疇であったのだ。


 転落は六月の終わり。

 大学に入学したばかりの妹が一転、自主退学を申し出たのだ。スタンドアップコメディアンになるため、単身渡米するとのことだ。

 

 もちろん家族親族もろとも大反対した。

 むしろ高額な入学金を即刻全額返済しなければ渡米を許さない、という厳しい条件さえ付け加えた。


 だが男だけは家族の思いと相反した。


 彼は生粋のギャンブラーである。

 ゆえに思うのだ。


『なんて素晴らしい、人生を賭けたギャンブルなのか』と。


 彼は廃人でない。

 人生をベットするほどの勇気など毛頭ない。

 だからこそ兄は妹の決断に応えたくなった。


 何度でも言おう。

 すなわち男はギャンブラー。

 悲しいかな応援の方法など、たった一つしか知りえないのだ。


『ボーナス及び全財産、クアッドプッシュで妹の軍資金にしてあげよう』


 結果はご覧の通り、大敗も大敗、屍山血河である。


 なので痛哭をあげざるを得ないのだ。

 妹の『人生は終わりだ』と。


「面をあげよ」

「うぅ、あなたは?」


 そこにきてランツである。泣きっ面に蜂である。


「我が名はランツ・クネヒト・ループレヒト。うぬを救うために、アイスなランドから参った美少女だ」

「僕の、ために……?」


 素っ頓狂なランツの謂いはしかし、男にとって天啓にさえ思えた。思えてしまった。

 自分よりも背丈の小さい少女を、だとも神の思し召しのように捉えてしまったのだ。


 それほどに男は追い詰められていたし。

 ランツの並々ならないオーラと自信も神聖を後押ししていた。


「うぬはいま困難に直面している。乗り越える方法はたった一つしかない。知りたいか?」

「はい! 知りたいです!」


「ならば我を信じろ。できるか?」

「……はい、できます」


「では天啓を賜ろう。心して聞くがいい。今、そこのWINS(場外競馬場)で競馬をやっている。阪神の第11レース。2、1、10の3連単馬券を買うといい。全財産、一点勝負だ」

「!? で、でもお金がもう……」


 男にはもう、ギャンブルをする資金すらない。


「本当か? 本当にお前の全力はそこなのか? 消費者金融にはいったのか? 知人に下げる頭はついていないのか? お前は本当に、『人生』を賭けたのか?」

「め、女神様!?」


「我の天啓はここまでだ。信じるものだけが救われる。信じるものだけが救われる。あぁ、信じるものだけが救われる」


 ランツはうそぶきながら男の元を後にした。

 ちゃらんぽらんな言動が、かえって謎の説得力を持たせてしまい。

 崖っぷちの男は、愚かにも──。

 

 ランツを盲信してしまった。


 その後男は消費者金融を五社周り、元カノに土下座をし、家財私財を売り払い、どうにか15万円のキャッシュを作った。


 場外馬券場、元町WINS店。数あるモニターに、多数の壮年男性が齧り付く。独特の熱気、汗の酸い匂い。ファンファーレが鳴り響いた。阪神第11レース──。


『今スタートしました!』


 結果は全くもって外れた。撃沈である。

 一番人気、二番人気、三番人気が上位を独占する、つまらないオッズであった。


 男は膝から崩れ落ち、立ち上がることすらできなくなった。


 だがそれは悲しみでない。


 一時は絶望し、自身に失望し。どうしてあんな言説を信じてしまったのかと猛省し。自殺すら考えるほどの喪失感に苛まれていた。

 断言しよう、この瞬間、日本で最も不幸だった男が彼だ。


 だが──。


 握りしめた馬券を、力なく傍視したとき、ふと違和感を覚えたのだ。


「レースが、違う?」


 男が購入した馬券は、阪神ではなく。なんと東京第11レースであった。


 今どきネット購入が主流だ。なれない手書きでのシート記入、恐怖による震え、期待、焦燥。

 様々な要因が重なり、記入ミスという致命的なヘマをした。


 だがそのヘマが──。


 ふと、頭上のモニターを見やる。

『なんと最下位人気の2番、タナカラボタモチ、脅威の逃げ切り!! 続いて1番、10番鼻差でゴールイン!!』


 ──三億円の配当になるのであった。


 脳汁。脳汁。脳汁。


 のち妹はコメディアンとして大成し、彼女を主演に据えた映画が一本取られ、オスカーを受賞した。


 男は女神のことを生涯忘れず、礼にお金を渡そうと賢明に足跡を追ったが。二度とランツに出逢うことはなかった。


****


「君にしては珍しく、ずいぶん短絡的なイタズラをするもんだね」

「パチンコ負けたくらいで、なにが人生終わりや。そんな簡単に終わる生涯なら、今死んどけよ」


 ランちゃんは心の底から『つまらない』ことを唾棄している。つまらない人間も同様だ。そんなだから僕しか友達がいないのだ。


「むしろ感謝してほしいくらいやで。ホンマもんのギャンブル、教えたったんやから」


「かくいう君は知っているの?」

 小学生のくせに。


「アタシがアタシでいつづけることって、何よりのギャンブルやおもわん?」

 よくいう。

「そんなアタシと友達でいるお前こそ、真の意味でギャンブラーなのかもしれんが」

 なにさ。照れちゃうじゃん。


「というよりも、どうして馬券場があることや、その様式を知っていたの? 三連単とか、阪神レースとか、僕初めて聞いたよ」

 言うとランちゃんは唇にひとさしを当てて。


「ないしょ」

 しらを切るのだった。絶対やってるやつじゃん、小学生のくせにギャンブル。全く君は最高だね……。


「2、1、10。番号の意味は?」

「アタシの名は、ラン2、クネ1ヒト、ループレヒ10や」

 

 しょーもな!!


「でもそんな君が大好きだよ……」


 だがまぁたしかに。たしかにだ、ランちゃん。

 君にはあまねくを賭ける価値がある。


 狂えるくらい。中毒になっちゃうくらい。

 有史以来、全生物が目をそらせずにいる。 

 その魅力はきっと、死に似ている。


 ほとほと呆れるくらいの刹那だ。


 

 


 

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