第10話 丑三つの与太話

「なんやここ、じみに怖くね?」

 ランちゃんの言葉を受けて初めて、僕たちがいる地理の不気味さに気づいた。


 丑三つ時、周囲に目立った明かりは一つも無い。ガードレールの向こうにはとても大きなため池があって、それが巨大なまっ黒い怪物にも見えて。

 湖畔独特の、生き物の死臭がする。


「ここには昔、集落があったんだって。けれど戦後、大がかりなダム開発のために沈められてしまったんだ。立ち退き勧告に反対した村人ごと、吹き溜まる怨嗟すらまるのみにね。だからかな。いまでも時折、水位が下がる夜には恨めしい老婆が姿を現すんだって」

「へぇ……、えらい詳しいな」

「全部作り話だからね」

「マジかよ……」


 にやにや。


「ひらめいた。ランちゃんですら怖いと思えるスポットなんだ。きっと他の人だって同じ気持ちだよ」


 歩行者こそ皆無だか、神戸へ続く国道なだけあって、走行車はいがいにも多い。通報されてもめんどうだと、すれ違うさいは都度身を潜めていたのだが……。


「ここはひとつ、イタズラをしてみようじゃないか」

「お、さっそく天職活動か。なんや、言うてみい」


 天職活動=他者を積極的に不幸にすること。


「それはね──」


****

 活動日記1。


 男はトラックの運転手をしていた。

 妻と三人の子供を養うために、昼夜関係なく配達業務に従事していた。


 仕事柄このあたりの地理にはくわしく、だからこそ抱く不快感を覆いかくすため、けたたましいポップスをスピーカーから出力していた。


 内陸部の田舎から神戸へ出るためには、必ず通らなければいけない山道。


『あそこは出る』


 と、同業種の者は口をそろえて言う。

 与太話だ、もちろん男は信じていない。

 だが深夜の薄気味悪さもあってか、恐怖心を拭いきることはできなかった。


『早く通り過ぎたい』

 焦燥感により、心なしか荒い運転になっていたときのこと──。


「え?」

 

 ソレはいた。


 歩道などなく、これといった建造物もない国道の路肩、本来あり得ないハズの人影。全身、びっしょりと濡れた二人の子供の姿が。ハッキリと──。


「はぁ!?」


 怪奇を認識し、あまりもの動揺に急ブレーキをかける。

 動悸により胸に痛みを感じる、脂汗がどっと湧きでる。

 通行人が通るはずのない場所。ましてや子供にふさわしくない夜間帯。

 なにかの見間違いだと、車体後部を写すモニターに目をやった。


「ぎゃあああ!!!!」


 慟哭があがる。

 見てしまったのだ。鬼の形相で走ってくる子供らの姿が。


 目を見開き、大口をあけて笑う濡れ姿。恐怖以外の何者でもない。男は進路を確認することなく、遮二無二とアクセルを踏みつけ、逃亡を開始した。


 何度もガードレールに車体を擦らせ、壁面との衝突を繰り返し。

 命からがら目的地にたどり着いた頃には、積荷とトラック、双方目も当てられない惨状となっていた。

 修繕費と損害賠償もろもろ含めた結果、約三年間、愛する妻の出す晩飯が質素になった。


 余談だが、男は生涯神戸の地に立つことなく。転職し、新たに始めた事業が成功し、幸せに天寿を全うしたそうな。


 ****

「「あはははははは」」


 間違いなく人生で一番笑った。作戦が巧くいった興奮もあって、腹がよじれるくらいに笑った。多幸感に包まれ窒息しそうになる。


 僕たちはコンビニで頂いた水分を頭から被り、端でお地蔵さんのように通行車をまった。

 夜の運転中、いわく付きの場所で子供二人が佇む恐怖ときたら、悪感情を持たない僕ですらヒリヒリする。

 あまつさえ全力疾走で追いかけてくる。その恐怖ときたら──。


「アカン、おもろすぎる。最高すぎる。あんなうまくいく思わなんだ。ほんま最低やなアタシら!」

「あははっ、はぁ……。碌な死に方はしないだろうね、僕たち」

 爆笑も落ち着き、イタズラの成功を祝う感想戦をしつつ、歩を前へ進める。


「運転手はきっと不幸になったね」

「やろうなぁ。ほんでその不幸が、誰かの幸せになんねやろ? んなら慈善活動みたいなもんやん!?」

「んー、どうだろうね。僕たちの喜びが相殺してしまったんじゃないだろうか」

「たしかに!」


 話は逸れるが、今後の活動にさいし留意しておかなければいけない懸念点も見えた。


「人殺し、または事故死を誘発してしまうようなイタズラは、今後なしにしようね」

「当然。でもなんで今更?」


 僕は人殺しをしない。する理由がわからないから。

 しかし、人を殺す罪悪感も同時にない。悪感情を持たないためだ。


 つまるところ正当な理由があれば僕は人を殺すことができてしまうだろう。(あくまで自己分析である)

 なのでテテの『天使を殺せ』という論調にもこれといった反句をしめさなかったし、家族を殺したテテに対する恨みだってことさらない。


 だとも今回のことでよぉくわかった。

 僕には、『人を殺してはいけない』明確な理由があるのだ。


「死体は不幸を感じない」

「あー、なるほど。人が不幸を感じることが幸せの発生条件やから、死んでもーたらあかんねや」


 テテはいい。テテは天使だから。

幸せ発生体人間が損失しても自己の特性で補填することができる。

『天使は幸せ不幸せを増やせる』ためだ。


 けれど僕たちは違う。みだれはまだ人間だから、人を殺してしまったとき、単純に世界から一人分、幸せ不幸が生まれる機会を奪うことになる。


「それに多分、ドライバーさんが事故で死んでいたとしたら、僕たちは今笑えていなかった」

「生き死にに関わるような、過度なイタズラはやめとこうちゅうわけやな。教訓」


「あとは、を台無しにする系のイタズラもね」

「例えば?」


「有名なアーティストのライブをめちゃくちゃにする。貴重な芸術作品や、歴史的建造物を破壊する等、これらは一見、計り知れない不幸を生み出しているようにみえるけれど」

「ライブや鑑賞、観光によって、本来生まれるはずやった幸せをなくす行為やから、トータルで見たときの不幸の収支が釣り合わんわけや」


 それは天職活動の意義に反する。僕たちはあくまでも、『より多くの幸せを生み出す結果』を欲している。


「了解。アタシは、アタシが笑えるイタズラしかしとうないし。それでええと思うで」

 あんたが笑えるイタズラのふり幅は、なかなか常軌を逸しているだろ。


「人を呪わば穴二つともいう。アタシらも、自分らに降りかかってくる不幸には気をつけたいもんやな」


 だとしたら呪いは、今宵、すみやかに降りかかる。


 グルルル。


 ランちゃんの発言がフラグになってしまったのか、およそ人のものとは思えない呻き声が山側から聞こえた。


「な、なんや」


 ザッと血の気が引く。恐怖ではない、純な動物としての生存本能が強く働く。


「グルギュウ。グルギュウ」

 その声は不気味で。まるで首を絞められた人間が最後に振り絞る断末魔にも聞こえて。


「まじか!? まじででよったんか!?」


 ランちゃんはすかさず逃避行を開始する。彼女はいがいやお化けが怖いのだ。

「ま、待ってよ!!」

 僕も後を追う。


 ランちゃんは本当に足が速い。恐怖心も合わさってか、ついて行くのがやっとの速力だ。長く感じた国道もあっというまに下山しきり、とうとう麓まで逃げてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ。あー怖かった。あんなことってほんまにおきるんやな」

「あんなことって、呻き声のこと?」


「いがいになにがあんねん」

「ランちゃん、随分と冷静を欠いているんだね。山の中から聞こえてくる声とくれば、野生動物のたぐいに他ならないよ」

 

 あれは人の声ではけしてなかった。よくよく考えてみれば分かることだ。

 

「……たしかに。ほなイノシシかなんかの鳴き声やったってこと?」

「だろうね」

「はぁ……、驚いて損したわ。てっきり化け物が出たかと思うた」


 気がつけば朝日が昇り始めている。あわく輝く空色のグラデーションが、冒険の終わりをゆるりと告げていた。美しい景色にあてられ、緊張した心拍がほぐれる。


「にしてもみだれ、そのこと分かってたくせ、お前もえらい焦りようやったやん」


 ランちゃん……、その口ぶりからして──。


「……まぁ、イノシシも十分に脅威だから」

「イノシシくらい、アタシがぶっ飛ばしたるわ!」


 その口ぶりからして、君はアレに気づいていなかったんだね。

 ため池の水面から、恨めしそうにこちらを手招く、老婆の濡れ姿に──。


 そんなこんなで、僕たちは目的地である神戸の繁華街にたどり着いた。

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