第5話 天使になる理由

 ポチャン。

 風呂は命の洗濯だと、ミサトさんが言った。


 確かに洗われる気持ちだし、ポカポカ陽気な温もりです。

 でもそれじゃあ、命が汚れているみたいな言い草だよね。

 眼前のランちゃんは、あぁも燦爛とした、高潔な魂だというのに。


「なにじろじろみてんねん。えっち」

「ランちゃんに『えっち』を覚えるのなら、僕は一緒の湯船につかっていない」


 えっちナメんな。お姉さんになってから出直してこい。


「おりゃ!」

 ビンタ!?

 ぶん殴られた、わりかし強めに。

 安心して欲しい。茶飯事だ。


「気持ちええ~」

 ふちに肘をのせ、天にのびる。足を僕に乗せている……。


「お風呂が? 僕の苦痛が?」

「嬉しいくせに」

 よくご存じで。僕は友に構われてホクホク笑顔です。


「もっと優しく殴ってよ」

「善処する~」

 善良に処する。

 バシャ! 顔にお湯をかけられた!?


「このくそ!」

 バシャバシャとじゃれたのち、ようやく真面目な会話です。


 僕はことのあらましを詳細に語った。ランちゃんは一切の疑問を述べなかった。信頼が厚いこって。


 テテの思惑、幸せの仕組み、そして僕の新たな目標──。

『天使を堕とし、僕自身が天使になる』


「おもろー! ワクワクすんなー。ようやくつまらん日常がゲロしたってかんじ」

「余暇は幸せの象徴だよ?」


「一発裏返ツモるビリビリが気持ちええねん」

「違いない」


 ランちゃんは気持ちが良いことをこよなく愛している。


「頭ん中お花畑のお前が天使になれば、たしかに存在自体が害悪やな。ぎょうさんの不幸を産むやろう」

「でしょ。それが巡って、ランちゃんの幸せにもなる」

「不幸かもしれへんやん」

「だとしたら僕の幸せだよ」

 

 君が幸福でも不幸でも、さしたる違いはない。人生に飽いてさえくれなければ。

 たくさん感じて、せいぜい長生きして、いつまでも一緒にいようね。


「あいかわらず自己中心的な思考やな。自分がよければそれでええんか?」

「そうだよ。僕は僕の世界で生きている。世界はランちゃんを必要としています」

「敵でもか?」


「いいんじゃない? 憎み合ってもいい。殺しあってもいい。僕はたまらなく君が嬉しい」

「アタシは仲良くしたいがね……」


 向かい合っていたランちゃんが体をよせてきた。同じ石鹸を使ったはずなのに、知らない、女の子の香りがした。


「『火傷しそうなほどのポジティブの 冷たさと残酷さに気づいたんだよ』。アタシの好きなヒゲダンのフレーズや。いま、そんな感じ」

「良いじゃんポジティブ。世界中の人間が僕と同じ考え方をもてば、戦争はなくなるんじゃないのかな」

「その場合人類は滅ぶやろ」


 あとに残った更地を天国と名付けよう。そこですら、みだれはニコニコ笑っていられます。


「久しぶりにお前のグロさ加減思い出したわ」

「嫌いになった?」

「まさか。アタシが嫌いなんは退屈だけ。持論やが、暇なんがダメちゃうねん。つまらん奴とおることこそ退屈なんや」


「そんで?」

「みだれは十分面白い」

 ニコニコ。


「あの日のこと思い出した」

「あの日?」

「アタシが初めて、お前を殴った日」


 それは二ヶ月前の出来事だ。

 思い出は、ただ僕にとってもかけがえのない初期微動だった。



「クネヒトさん、友達になりませんか?」

 ぶん殴られた。


 始まりはなんとも悲惨な思い出だった。


 僕は小学四年生にあがるまで、友達と呼べる人をついぞ得ることができなかった。もちろん震源原因は僕にある。


 些細に幸せを感じてしまえる性だから、独り遊びが楽しすぎたのだ。

 空想に耽る、本を読む、泥団子をこねる。

 満たされていた。幸せだった。

 異端はけれど孤独を謳歌していられた。


 ランツ・クネヒト・ループレヒト。

 彼女に出逢うまでは。


 ピカッ!


 ランちゃんも僕と同じく、いつも一人きりの女の子だった。


 赤い髪色に負けず劣らず、強烈な性格の持ち主なので。同級生たちは怖がって、ろくすっぽ話しかけやしなかったのだ。


 あの日も一人、いつものように公園のベンチに腰掛け、桜を眺めていた。


 クラスメイトの判断は正しい。


 触らぬ神に祟りなし、どころか、向こうから突っかかってくる系の祟り神。実際、話しかけただけでぶん殴られてしまい。いや、頭おかしいでしょ……。


 ただ、僕の判断だって正しい。


 誰にも共感することがなく、誰とも関わろうとせず。

 自己を打ち明けることすらない、独りで息をするはぐれメタル(レアなやつ)。経験値もりだくさん。

 

『同じだ』と、そう予感したのだ。


 僕との明確な違いは、僕が笑顔笑顔なのに。彼女はいつも、怒って見えたこと。


 退屈を、今にも『殺してやろう』と睨み付けていた。

 殺意をむき出しにし、失意を隠そうともせず。


 僕との差異があまりにも広く無理解だった。

 好奇心は人並みに豊かだから、つい声をかけてしまった。


 そしてボカン!


「友達でもないくせに、気安く話しかけてくんなよ」

「その信仰だと、君は新しい友達ができ得ないよ」


 最後の乳歯がぽとりと落ちた。

 グーパンチから始まる人間関係などあってたまるか。


「ぶちのめされても、なお『仲良くしたい』って言えるやつと、アタシは友達になりたいな~」


 たまらなく嬉しかった。赤色はちゃんと壊れていた。

 話しかけてよかった。間違いなく僕の人生で最もすごい奴が彼女だ。いかれぽんちだ。

 がぜん楽しくなってきた。


「僕と仲良くしませんか?」

「頭いかれてんのか?」


 どの口が。


「僕は本気ですよ。冗談なんかでアンタと関わってたまるか。まったく冗談じゃない」

「一つ聞く。どうしてアタシなんや? アタシとつるんで、お前になんのメリットがある?」


 馬鹿らしい質問だ。


「一緒にいたら楽しそう。それ以外に報酬が必要ですか?」


 利害関係、ライバル関係、異性関係。どいつもこいつも、実名を騙るために『友達』を都合よく利用している。本質はもっとシンプルなのに。


「たしかにアタシは楽しい奴やで。でも、それやと採算が取れへん。アタシ目線、お前がちっとも面白そうな奴にみえん」


 一理ある。僕は僕を面白いと思ったことなどついぞ無い。ただ面白い日々があるだけだ。


「クネヒトさん、あなたの思う『面白い』とはなんですか?」


 ベンチから立ち上がったランちゃんは、次にブランコをこぎ始めた。


「アタシは小学五年生やから。アタシ中心に世界が回っていないって、もう知っちゃっとる。大人なんよ」

「はぁ……」


「だからアタシは思うよ。アタシ中心に、世界を回してみたいなって。そうなったらおもろくない?」

「はぁ?」


「決めた。以外、アタシはいらへん」


 自分を一番にしてくれる人としか、人生を歩まないのなら。たしかに、自分中心で世界を回せるのかも。

 

 でもそんなやつ、そうそういないよ?


 それこそ、探すべき運命で。公園で暇してる場合じゃないのは確からしい。


「アタシは、アタシのために。『アタシ以外の誰とも友達にならへん』ような奴と、友達になりたいもんや」


「いいですよ」

「だからお前とは仲良くなれ──」


「クネヒトさん。僕と友達になりましょう」

「は?」


「僕はあなた以外の誰とも。今後一切、死ぬまで、友達にはならないと約束します」

「え? まじ?」


「まじです。誓います」

「ぶったまげたぜ……」


 茫然といった様子のランちゃん。

 彼女は、僕という人間の明確な欠点を見抜けなかったようだ。

 

 友達になるならない以前の問題。

 僕は誰かと友達になれるほど、面白い人間ではない。


 友達なんていないし、はなから作れやしない。

 約束になんら弊害はないのだ。


「おもろいな、お前」

 

 僕は誰とも共感しない。

 しかし、ワクワクなステップだけは、ランちゃんと同一の暖色だったと理解している。


 たった二ヶ月で一緒にお風呂、はいっちゃうくらいの。僕たちの信頼狂信関係は、かくして始まったのだ。


 僕は僕の世界のためだけに生きている。

 世界の中心で、赤はあくびをしていた。


 友の退屈を殺そうと思った。

 だから僕は、天使になることにしたんだ。


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