第4話 赤の友人

 初めてのお使い、留守番中の宗教勧誘、授業中の睡魔とバトル。

 これまでいくつもの危機に直面してきた僕だけれど、今回のはとびきりだった。


「はて、どうしたものか」


 頭が吹き飛び、命を洗いざらい吹きまいた死体は動いてくれない。血の海である。


 ところで僕は小学生。

「学校、遅れちゃうよ」


 朝礼は欠席するにしても、一時間目に間に合わないのはまずい。怒られちゃう。

 だからって家族を放置するわけにもいかない。


 季節は初夏。死体はつつがなく腐敗し、異臭を放つだろう。住宅街のため、近隣へあっという間に露見する。

 110番→警察やマスコミがわらわら駆けつけ、重要参考人として僕は召し上げられるのだ。

  

 少年Aはかく語りき。

『天使様がやりました』

 頭がおかしいとメモされる。


 長時間の尋問と精神鑑定にかけられて。

 

 再三僕は小学生。

「学校に行けなくなる……」

 由々しき問題だ。

 

 明確な理由はない。なぜ遅刻をしてはいけない? ううむ、言語化もむつかしい。けれど小学生にとっては凄まじく重篤な事案に違いないでしょ? 


 登校しなきゃ皆勤賞を逃しちゃう。ずる休みなどもってのほか。僕ら学徒は漠然とした義務感に支配され登校している。


 家族の死体。一時間目の始業時間。

 天秤は釣り合い、拮抗し、脳内法廷は最高裁までもつれ込んだ。


 ──すなわち。

 日常を失念していた。


 ピンポーン。


 友達が迎えに来てしまったのだ。


「あ」


 毎朝、僕は友達と登下校をする。

 8時15分。時計を見ると、約束の時間をチクタクと示していた。

 僕のママは律儀だから。みだれ唯一の友達の、せっかちな性格をも把握している。


「おじゃますんでー」

 ドアの鍵はあらかじめ開けてある。

「まずっ!? ランちゃん、ちょっとまって!?」

 扉を押さえようとする僕よりも一歩早く。

 ランちゃんはガチャリと僕を見た。


「みだれ?」

 花咲みだれ、唯一の友達。

 ランツ・クネヒト・ループレヒトの登場である。

 なんと女の子!


 その出自は非常に奇異なるものだ。


 彼女の高祖父は満州をルーツとする中国人と、日本人の間に生まれた混血児だそう。

 妻は英国の令嬢であり、曽祖母にあたる一人娘はケニアのマサイ族と駆け落ちした。

 祖母はドイツの諜報員に誑かされ、母はアイスランドの漁師と今もタラを捕っている。


 血縁はみごと混濁し、外見は驚くほどに個性的だ。

 欧州由来のくっきりとした目鼻立ちに、呵呵大笑かかたいしょうとはに噛む笑顔が様になる。

 八重歯を剥き出しにし、眉間に皺を寄せ、男まさりに腕を組む。ところが厳かな淑女の雰囲気をも併せ持つ。


 攻撃的な赤いまなこに、燃えあがる赤毛がくるくると。

 トレードマークのレッドなジャージを着為す、灼熱の戦隊ヒーロー。


 オラフの子、ランツ・クネヒト・ループレヒト。


 そんな彼女に、『何人なにじんですか?』と尋ねれば、待ってましたとばかりにこう答える。


『関西人や』


 我が町は、兵庫は播州に位置する田舎町。

 ランちゃんは遠路はるばる、アイスランドの僻地からここ、日本へやってきた家出少女なのだ。


「なんで赤いん?」

「ランちゃんに言われたかないよ……」


 小さな手のひらで、頬の返り血を拭われる。

 パーを見つめて、小首をかしげている。

 家族は依然僕を抱きしめてくれていたのだ。愛情はやや粘着質だ。


「なんで死んだん?」

「……」


 さぁ血の海である。

 赤らさまに言い訳の余地を逸した。

 仕方がない。正直になろう。

 友に隠し事はしない主義なのです。


「今朝、天使様に殺されたんだ」

「わかった。信じる」

 ならばランちゃんは友の言葉を疑わない主義である。


 僕たちの友情は、百パーセントの『信頼』で成り立っている。辞書によれば『狂信』という文字を書くらしい。


 リビングへ案内する。事件現場は壮絶を極めた。

 目撃したランちゃんは当惑こそ見せたが──。


 すごい……。勇敢にも目を逸らさず。驚き声もあげず。

 粛々と現状を受け止めてもいた。


 彼女はまともな物差しの持ち主だ。だから恐怖するのが本来のはず。


「強い」

 率直な感想を抱く。

 ランちゃんはデコをトンとこつき、佇まいを直した。


 見てくれに違わぬ強靭な精神力は──。

 良くしてくれた一家の死に対し、一筋の涙だけでこと済ませた。

 その機能が備わっていることに、少し、羨ましく思う僕であった。

 

「みだれはどうせ、こんな状況でもどこ吹く風と笑うんやろうけど」

 ランちゃんが僕の胸ぐらを掴み、引き寄せる。

「お前、一人ちゃうからな。アタシがおるからな!」


 励ましと、己への覚悟。

 これより生涯、困難が連続することだろう。


 家族の死。対天使戦。

 わかりきったいばら道、ランちゃんは一緒に歩いてくれるという。


「はい、頼りにしています」


 ありがとうの意をこめて、赤毛をゴシゴシと撫でてやる。

「さんく。もう大丈夫や。次いこか」

 だけで彼女は立ち直る。


「さっすが」


 ランちゃんはあまりにも強過ぎて、たじろぐ自己すらはり倒してしまったのだ。

 誇張でもなんでもなく、僕は彼女こそが、人類最強なのだと信じている。


「クーラーのリモコン借りんで。16度や。さむーてなかなか腐らん思う。つけっパにしとき」

 あっという間に最適解。ほら、僕の友はすごいでしょ?


「電話借りんで」

 プルプル、プルプル。声音を変えて。

「四年二組、花咲みだれの母です。いつも息子がお世話になっております。実は今朝からうんたらカンタラ——」


「しれっとサボるじゃん!?」


 僕の迷いなんてなんのその、彼女は十秒で学校をブッチした。皆勤賞よさようなら。ランちゃんは何者にも支配されないようです。


「会社にも電話しとき。コロナでもなんでも理由つけたらいい。本人ちゃうから怪しまれるかもしれんけど、時節柄会いに来たりせんやろ。その間に風呂沸かしてくるわ。今の見てくれどないかしよ。ほんでほんで──」


 ランちゃんはテキパキと所用を済ませると。

 ピカッ! 明るい笑顔で僕を照らしつけた。


 どこ吹く様な僕は北風。明るくはつらつ彼女は太陽。

 有名なイソップ寓話によると、二者は争い。

「一緒入ろ?」


 旅人の服を脱がすのだった。

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