色仕舞い

葉霜雁景

色仕舞い

 桐谷きりたにくんにチョコを渡せなかった。


 だけど仕方ないんだよな、と。隠す必要もなくなった手提げ袋を揺らして駅構内をぶらつく。どこのお店もピンクや赤や茶色でラッピングされていて可愛いけれど、明日には戻ってしまうお店がたくさんあるんだろう。今日、二月十四日はもう、オレンジと青に染まっている。

 家族用か自分用にチョコ買っちゃいました、みたいな感じで歩いているつもりだけど、そう見えてるだろうか。見えてるはず、大丈夫。渡せなかったチョコだけど、自分が作った中では最高傑作だったし、渡せない可能性だってちょっとは考えてた。渡したかった桐谷くんは密かに人気だったし、恋愛的な意味じゃなくても好かれている人だったから。


 一月末から顔見知りな広告の前を通りかかる。そうそう、このでかでかと写ってる男優さんみたいな、キリッとしてクールな感じなんだよね、桐谷くん。凛々しいって言うんだろうか、眼鏡をかけた顔はいっつもお澄ましで、何でも淡々とこなして。目立つわけじゃないんだけど、ふと見たらになるなーって瞬間をよく作ってる。きれいで、真面目で、なのにとっつきにくくない人。男子苦手って女子も、桐谷くんは大丈夫って子が多い。


 だから、ちょっと考えてみれば分かってもおかしくないんだよね。彼女がいるって。


 義理チョコを渡そうとしてた場面とは言え、なんで鉢合わせちゃったんだろうな。義理チョコなら大丈夫って待機してた私も私だけど。それで聞いちゃった。他校に彼女がいるってこと。義理ですら貰うのを断っちゃうくらいの、彼女が。

 義理チョコを渡そうとしてた子が、「ガチで」とか「え、貰っちゃダメって言われたん?」とか大きめな声で言うのを、「いや、違う」と桐谷くんの声が静かにする。桐谷くんの声は不思議で、大声を出さなくてもよく通る。その声も好きだなと思ってたけど、この時ばかりは、ちょっと嫌いになりかけた。


「おれが、彼女以外から貰いたくないだけ。だから義理でもダメなんだ。せっかくだけど、ごめん」


 じゃあ気持ちだけやるよー、って。笑いながら応じてる子が羨ましかった。私だったら、絶対そんな風に返せなかっただろうから。

 バレないように、こっそりその場を離れて、小さな手提げ袋は今朝と同じくかばんに隠し直して。立ち止まらずに学校を出た。無心で歩いて、駅に着いたら負けた気分が追いついてきたから、無視して今も歩いている。片手にはチョコを入れた袋を持って、気にしてませんよって顔をしながら。

 でも、いま思い返すと桐谷くんはすごい。感心してしまう。貰い物を断るなんて勇気がいることだ。それでもキッパリ断れるんだから、すごい。加えて断ったのは彼女のために、自分の意志で、ときた。そういうところがやっぱりいいなと思ってしまうし、そこまで一途に彼女さんを想っているのなら、渡せなくたって仕方がないというものだ。


「――わわ、っと」

「あっ、すみません!」


 危ない、すっかり周りを忘れてたせいで、人にぶつかるところだった。幸いスレスレで回避できたし、イヤな感じの大人じゃなくて、同年代の女の子だったから助かった。


「いえいえ。あ、チョコ、大丈夫ですか。潰れてたりしてないですか」


 黒いコートに黒タイツという鉄壁な装いに反して、人が好さそうな顔をした女の子は、胸がほわほわ温められるような口調でチョコの安否確認までしてくれた。マフラーに巻き込まれた黒髪が縁取る顔は、目を惹きつけるほど可愛いというわけじゃないけど、見ているだけで癒やされそうな笑みを浮かべている。


「だ、大丈夫です。ごめんなさい、私が見てなかったのに」

「こっちもちょっと不注意になってましたから、すみません。すごく素敵なチョコだから、台無しにならなくて良かったです」


 挙動が不審気味になってしまう私と違い、にこにこ微笑みながら言う女の子は礼儀正しい。清楚せいそ、って言葉が似合う。よく見たら、コートから少し覗くスカートのすそや通学鞄が聞き覚えのある女子校のものだ。私の友達も通ってるけど、こんなお嬢様めいた子がいそうな話は聞いたことがない。後で問い詰めてやろう。


「引き止めちゃってごめんなさい。それじゃあ」

「あっ、こちらこそ」


 ぺこりとお辞儀をされたので、慌てて返す。別れた後にちょっと振り返ると、真っ黒な全身に唯一の彩りを添えていた白いもこもこマフラーが、徐々に小さくなっていくのが見えた。

 思わぬ遭遇に気を取られちゃったけど、チョコ褒められたな。褒められたよね、素敵なチョコって。言葉をよく噛んで飲み込んだ途端、たちまち私のテンションは最高峰へ上り詰める。ありがとう見知らぬ可愛い女の子、見えてたのたぶん袋だけだろうけども、中身も頑張って作ったかいがありました。今までの自分も褒めちぎりたくなっちゃう。

 あいにくマスクをしていないので、こみ上げるニヤけは我慢しないとならない。発散すべく周辺をうろついてから、落ち着いた頃合いに改札を抜けた。まだニヤけそうだけど、ホームで寒い寒いと電車を待っていれば、さすがに収まるはず。


 ――なんて、浮かれ任せにホームへ出たのが運の尽き。

 向かい側のホームに、さっき素敵と褒めてくれた女の子の姿があって。その隣に、桐谷くんの姿が見えた。


 褒めてもらってぽかぽかだった胸の内に冷たい風が入って、黄色い線の内側で棒立ちになってしまう。後ろ姿の二人はこっちに気づきそうな様子もなく、楽しそうに話していた。桐谷くんは手に、可愛らしいお菓子の包みを持って。ああ、お菓子なんてあやふやなものじゃないか。チョコだ。彼女以外から受け取らないと言っていた、まごうことなき本命のチョコレート。


『まもなく、二番線に列車が入ります――』


 聞き慣れたアナウンスと、近づいてくる電車の走行音が、私をホームに引き戻した。視線をがし、い付けられたようだった足も剥がすようにして、先頭車両に乗れる場所へ移動する。途中、ごうっと風に背中を打たれて、よろめくように待機列の後ろへ並ぶ。

 暖房が効いた車両から、桐谷くんたちの姿は当然見えなかった。見えないまま扉が閉まり、いつも通り発車する。あっという間に駅も見えなくなった。




 最寄りの駅で降りてから、家に帰るまでの記憶が曖昧になっている。そんな中でも、きた甘ったるい匂いは絶えず漂っていた。何故か手提げ袋を抱きしめていたせいで、チョコが顔と近くなっていた。

 明かりも暖房も付いていない自分の部屋で、ドアを背にずるずる座り込み、潰してしまった手提げ袋をさらに抱き締める。巻き込まれたチョコの悲鳴が、濃さを増した匂いに変換されて鼻を撫でていく。人にあげるものじゃなくなったし、自分で食べるだけだから、形なんてどうだっていい。どうだっていいよね。

 だけど、そうだ。素敵だって褒めて貰ったんだった。褒めて貰えて嬉しかったんだけどな。嬉しかったんだけどな。


「……勝てねー、ウケる」


 ほんと、勝負にならなくて笑うしかない。あの子、すごく可愛かったし、いい子なんだって分かったし。そりゃあ桐谷くんだって一途になるよ。私だってあんな友達がいたら絶対大事にするし、泣かすようなやつがいたら助走つけてぶん殴ってる、マジで。

 それにしても、お似合いだったな。清いお付き合いしてるんだろうな。桐谷くんはそういう人、きれいで真面目な人だもん。あの女の子だってきっとそう。私なんかより、ずっと素敵。

 笑うしかないから、笑い飛ばしたかったのに。出した声も、脳内の声も、視界も、何もかもが震えていた。また抱き締めた袋からは、ぐしゃあ、きゅうと断末魔が漏れ出ている。


 あーあ。

 ……あー、あ。


 好きだったよ、桐谷くん。今もまだ、好きだけど。

 チョコは今日中に片付けるからさ、明日には何にも持ち込まないからさ。好きじゃなかった頃にちゃんと戻るまで、時間をください。いや、くださいって。誰に言ってるんだろうね。なんにも渡さなかったのに。逃げ帰ってきただけなのに。

 早く無くさないと、全部。潰しちゃったチョコも、百均回りまくって探してきた袋も。ココア色のコートや黒いマフラーに落ちて染みを作る余熱も、ぜーんぶ。

 それで、ちゃんと笑って、言わなきゃね。なんてことない顔をして、こっそりと。


 ハッピーバレンタイン、とっても素敵なお二人さん。

 どうか、お幸せに!


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