スマートフォンのチョコレート漬け
普遍物人
スマートフォンのチョコレート漬け
「別れよう。」
今日、彼からそう告げられた。
一年前の高校一年生の時、ちょうどそのバレンタインの日に私は彼に告白した。明日、丁度付き合って一年目になる筈だったのだ。
今日の朝、初めて彼から一緒に下校しようと言われ私の心は舞い上がっていた。今まで彼から誘ってくれたことなんて一度もなくて、もうすぐ一年目だからもうすぐバレンタインだから、そろそろ心を開いてくれたのかななんて、それこそ甘い考えで彼を待っていた。
別れを告げた彼は深刻そうな顔などしておらず、どちらかといえば、覚悟を決めたような顔をしていた。今までの眉を下げるその場しのぎの笑みとは違った。皮肉にも、それが私に対する初めての真顔だった。
私はそれに押し切られるまま答える。
「…分かった。」
どうして、なんて聞けなかった。告白時の彼の苦笑、受け入れるがままの態度。こちら側が誘わなかったら一人でどんどん突き進む彼を、必死に止めていたのは私だけだった。きっと彼は私のことなんてどうでも良くて、それでも私はただ彼のそばにいたかった。だからそれに文句を言わず、一方的な愛を受け取ってくれるという事実に慢心していた。いつかそれさえも断られる時が来るなんて思わずに。
「じゃ。」
彼は何事もなかったかのように微笑み、ひらりと手を挙げるとそのまま背を向けて帰り道を進んで行った。
家へと帰って、私はバレンタインのチョコレート作りをする。今日は父も母も仕事で家におらず、一人で黙々と作業するにはうってつけの日だった。特にこの、誰とも会いたくない日には。
渡す人はいる。この世には義理チョコなるものが存在し、友愛を讃えるだけの馴れ合いとして処理される。私は今後の友人関係の構築のために作らなければならない。たとえそれが、恋人との別れの直後であったとしても。
大袈裟な音を立てて冷蔵庫を開け、どさりとチョコレートとそのトッピングを机に置く。去年彼のために作ったチョコレートを思い出しながら準備を進める。
チョコレートを割ってボウルに入れて、お湯の入ったもう一回り大きなボウルにそれを入れ、ゆっくりとチョコレートを溶かしていく。プラスチックの型にそれを流し込み、少し放置する。少し固まってきたかなというところにトッピングをパラパラとのせるのだ。
至ってシンプルで凝っていないチョコレート。これはそう、彼へのバレンタインのチョコレートを作るために簡易的なものにしようと、何も考えずに作ったチョコレート。私は冷めた目で、冷たくなっていくチョコレートをぼうっと見つめた。
ふと私はボウルに残っている余ったチョコレートのを見る。彼へのチョコレートの分も同時に溶かしてしまったのだ。私はため息をついた。半分放心状態で作っているのだ。仕方がない。少し勿体無いが捨ててしまおう。そうしてチョコレートが固まる空き時間に少しの片付けをしようと立ち上がった。
不意に通知音が鳴る。そこには彼のアイコンが映し出されていた。私はエプロンでパッパと手を簡単に拭い、スマホを手に取ってその内容を見る。
『ごめん。もう一回話したい。』
彼からの返信に心臓を高鳴らせる。そのメッセージに疑問を持ちながらも、私は『分かった。』と勢いよく打とうとした。
再び通知音がなる。
『バレンタインの前で焦っちゃった。』
私の文字を打っていた指が止まる。彼は私のことなんて考えていない。そう、宣告されたような気がした。そう、彼は、バレンタインの前に別れようとした。そういえば彼は多くの女子生徒から好かれていたっけ。私の中で黒い線が結ばれていく。彼は私が分かるほどに感情を隠すことに関して不器用だ。嘘をつけるような人でもない。それがこの文面から溢れていた。彼は、私じゃない誰かから受け取って、乗り換えようとしたんじゃないか。
疑念を抱きながらその画面をじっと見つめていると、突然二つ目の彼のメッセージが消えた。
『ごめん。忘れて。』
それを見て私は確信した。私は静かに彼からの連絡が来ないように設定する。そしてそのスマホと一緒に手をだらんと下にやる。そのスマホを思いっきりボウルの中に余っているチョコレートの中に入れた。
チョコレートが数滴ボウルから飛び散り、スマホはゆっくりとチョコレートへ落ちていく。
その様子を睨みつけながら呟いた。
「さいてー。」
私の彼への思いはすっかり冷め切っていく。スマホのことなんてどうでも良かった。彼が詰まった醜い塊とも言えるそのチョコレートのボウルの中身は、ただただ甘っ苦しいニオイを発している。気持ち悪い。
「う。」
私はトイレへと駆け込む。そしてその醜悪なニオイを胃液と共に吐き出す。
一通り吐き出して、その場にぺたりと座り込んだ。結局自分は使い捨てで、不器用な彼に惚れた私は、幻想を見せられないまま終わっていくのだ。なんとも現実味はないが、それこれも彼の現実味のない不器用さによるものである。惚れたのは私。あまりの哀れさに涙も出ない。
私はその場で失笑する。怠惰に立ち上がって入念に手やトイレを消毒して、再び台所へ立つ。
チョコレートからスマホを取り出し、キッチンペーパーで拭き取る。たまに少しばかり表面をなぞり、ペロリと舐めれば、緩やかな吐き気が私の首を絞める。それに快感を覚えて、大人しくキッチンペーパーで拭き取り続ける。もうスマホはつかないかもしれないけど、それでいいのだと思う。
その他の一通りの片付けを終えて、トッピングもし終わって、冷蔵庫に入れて、後固まるのを待って包むだけになった。その後、母が仕事場から帰ってきたが、きちんと片付けを済ませておいたこともあって、母はそれ以上何か触れることなく、冷蔵庫のチョコレート邪魔だわと少し微笑むのみだった。
チョコレートも固まったので、私はあげる予定の友達の名前を書いたカードと共にチョコレートを透明の袋に詰めていく。これは〇〇へ…これは…とぼんやりとその人を思い浮かべながら詰めていく。
「あれ。」
何も書かれていないカードとチョコレートを見比べる。どうやら数があっていなかったらしい。
「どうしようかな。」
自分で食べようにも、今日はあの吐き気が自分を襲うような気がして、なかなか食べようとも思えない。母に食べられるのはなんだか揶揄われそうで、今の気分から言って得策とはいえない。
「そうだ。」
私は不意にスマホとは別の端末を取り出す。普段学校には持っていっていないパッドを立ち上げて、連絡先を一通り見る。彼の連絡先の下にある、彼の部活の同輩の名前に目が行った。
私はその男の連絡先に向かってメッセージを打つ。
『明日、放課後、時間ありますか。』
私はパッドを放り出し、カードに男の名前を書いた。
スマートフォンのチョコレート漬け 普遍物人 @huhenmonohito
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