第3話
最後にチョコを渡すべき人物が特定でき、オレたちは早速文芸部の部室に向かった。途中、さながらゾンビのごとく廊下を徘徊する男子生徒の姿を目にしたが、さきほどまでオレも同じ行動をしていたと考えると、なかなかどうしてぞっとしない。くわばらくわばら。
気が進まない文芸部への訪問だったが、乗り掛かった舟なので、オレは島姉妹を部室へと案内する。
「こんにちは、」
こっそりと扉を開けると、室内には二人の生徒がいた。ひとりは入学早々オレと口論になった現部長の郷野。そして、もう一人が人物Xこと、山下尚也だ。
「どうしたの、いきなり。」
郷野は棘のある物言いでオレの来訪理由を尋ねる。
「いや、ちょっと、チョコレートを、」
「な、何を言ってるの。あなたにあげるチョコなんて、も持ってきているわけないでしょう。」
人の話を最後まで聞かず、部長は怒鳴り声を上げる。いやいや、貰いに来たのではなく配りに来たのだが、もはや説明が面倒なのでオレは山下へと視線を向ける。
「聞きたいんだけれども、山下は誰かからチョコを貰ったか?」
本を読んでいた山下は視線を持ち上げると、怒りと殺意がない交ぜになった負の感情渦巻く瞳をオレへと向けてくる。
「なんだよ、自慢しに来たのか。どうせお前は天ヶ瀬さんから貰っているんだろう。くたばれっ。」
普段はここまで口の悪い人間ではないのだが、かなりの重症である。オレと天ヶ瀬の関係を勘違いしている様子だが、これで彼がひとつもチョコを貰っていないことが判明した。
「そんなにひがむな。」そもそもオレもチョコを貰ってなんていない。「お前にチョコを渡したいって女子がいるんだよ。」
「えっ、」どろどろと世界中への憎しみがみなぎっていた目から、徐々にその濁りは薄れ、淡い光が射し込みだす。「本当か?」
「嘘を吐いたって、しょうがないだろう。」
オレは廊下で待たせていた風子と嵐子を呼び寄せる。
「ふーん、君が山下くんか、」
「まあ、蓼食う虫も好き好きって言うし、」
山下の顔をまじまじと見ながら、島姉妹は辛辣な言葉を平然と口にする。状況を理解していない山下はクエスチョンマークを頭に浮かべながら、差し出されるチョコレートを受け取っていた。
これで一件落着。やれやれだ。
オレたちは文芸部の部室を辞去し、帰宅するために昇降口へと向かう。さきほどまで赤々とした夕陽が射していたが、太陽はすでに西の山々に身を沈めだし、空は濃紺色へとその色調を変えはじめている。まだまだ寒い日は続きそうだ。
「あら、乃木口くん。」
廊下の先から、見知った先輩が声をかけてきた。文芸部の市ノ瀬先輩だ。郷野先輩と違い、薄く整えた化粧は年齢よりも大人っぽく見せる。
「文芸部部室から出てきたように見えたけれども、誰かから呼び出された?」
口許に笑みを浮かべ、人をからかうような口調で言う。
「いいえ。彼女たちに頼まれた届け物を運びに行っただけです。」
にべもなく言い、オレはうしろの風子と嵐子を顎で示す。チラリと市ノ瀬が視線を運ぶと、「あら、」と紅を差した唇がわずかに動く。
「さっきはチョコレート、ありがとう。」
「いえいえ、私たちはただ頼まれただけですから。」
風子も自分たちがチョコレートを届けた相手だと気が付いたのか、朗らかに言葉を返す。
「あら、どうしたの?」
視線をこちらに戻した市ノ瀬は、オレの表情を見るなり首を傾げた。自分で確認はできないが、おそらくオレの顔は現在とてつもなく強張り、血の気が引けて真っ青になっていることだろう。
「あの、先輩。つかぬことを伺いますが、先輩って、何組ですか?」
震える声で、オレは何とか相手が聞き取れる言葉を紡ぐ。
「二年一組だけれども、それがどうかしたの?」
その瞬間、オレの中で何かが崩れ落ちる音が響き渡った。その後の市ノ瀬の問いかけも、島姉妹の呼び声も、どこか遠くで響く木霊のようにおぼつかず、オレの意識まで届くことはなかった。
※
間違った。
間違った、間違った、間違った間違った間違った間違った。
下校中、脳内で響き渡っていたその声は、家の玄関を開けると限界を越えて、ついにオレの喉から呻きとなって漏れだす。
「ああああっ、ああああっ、」
居間のクッションに顔を埋め、恥じ入る気持ちを誤魔化すように雄叫びを上げる。
自信満々に披露した推理が粉々に打ち砕かれた、この情けなさ。穴があったら入りたい。
一体何処で間違ったのだろうか。
オレは自分が導いた推理の穴を考える。いや、考えるまでもなく自明だ。オレの推理で導いた人物Xに該当する人間は山下だけでなく、二年一組の市ノ瀬もまた該当していたということだ。だが、彼女のクラスを知らなかったオレは、人物X=山下説に確認をせずに飛びついてしまった。それがオレの失敗だ。
自身の不甲斐なさを痛感しながら、オレはしかしひとつの疑問についても考えていた。では、得意のチョコが届けられていない最後の人物は誰なのかという疑問に。
■■■■が市ノ瀬ということは判明したが、同時に彼女にはチョコレートがすでに手渡されていた。つまり、オレが導いた、人物Xが最後のひとつという推理そのものが間違っていたことになる。だが、この推理には妥当性があり、穴があるようには感じられない。
何が、間違っていたんだ。
悶々と悩んでいると、唐突に携帯電話が着信音を上げた。液晶画面を見ると、天ヶ瀬と表記されている。
まさか、オレが推理を間違えたのを何かで知り、わざわざ電話を掛けてきたというのだろうか。恐る恐る電話に出ると、「こんにちは、」と聞きなれた声が通話口から聞こえてくる。
「どうしたんだ、」
内心、自分の推理ミスを喝破されるのではないか不安で心が押し潰されそうになりながら、言葉を紡ぐ。
「今日中に、どうしてもお話ししておきたくて、」
電話の向こうから聞こえてくる天ヶ瀬の声も、電波の調子が悪いせいか強張っているように聞こえた。
「今日中に?」
やはり、あの推理の一件だろうか。固唾を飲み、次に発せられる彼女の言葉にオレは身構える。
「ヴァレンタインの事なんですが、」
やはりそうだ。オレは覚悟を決め、指摘を受ける前に自ら自分の間違いと何を間違えたのかがいまだ持って分からないことを早口でまくし立てた。
「えっ、どういうことですか?」しかし、天ヶ瀬の返答は予想に反し、オレが何を言っているのか理解していない様子だった。「何か、事件があったのですか?」
「あれ、それを知っていて、電話を掛けてきたんじゃあないのか?」
「いえ、私が電話をしたのは別の要件なのですが、是非そちらの話を聞かせてください。」オレに負けず劣らずの推理小説好きは、不可解な出来事に途端に興味を抱きだす。「一週間ずっと家にいるので、とても退屈なんです。」
一週間以上も学校を休める免罪符いただけるのだから、オレだったら喜んでしまいそうだが、確かに新しい刺激に触れることもないので退屈もしてしまいそうだ。
「分かった。一から話すよ。」
落ち着きを取り戻し、オレは放課後に起きた一連の出来事をはじめから天ヶ瀬に伝えた。
「ふぅ、」
オレの話を聞き終え、天ヶ瀬は途端に溜息を漏らした。
「何だよ、その反応、」
「いえ、さすがワトスンくんだと思いまして、」
「え、ちょっと待て。まさか、もう分ったのか?」
「あくまで、私の推測ですけれども。」
控えめな物言いだが、彼女が今まで何度となく事件を解決してきているのを知っているオレからすると、謙遜としか聞こえない。
「誰なんだよ?」
「島風子さんと嵐子さんです。」
はっ?
彼女の言っていることが理解できなかった。何故、メッセンジャー役の彼女たちが受け取り側になると言うのだろうか。
「私も、途中までの乃木口くんと同じ推理をしました。でも、市ノ瀬先輩が受け取っていた事実が判明したとなると、残る可能性は彼女たちだけです。」
「でも、」
「メモの最初にあった『Toしましま』というを、乃木口くんたちはメモの送り相手という意味で解釈していましたが、あれはチョコレートの送り相手を示していたのではないでしょうか。」
メモの記述を思い返すと、たしかに他の表記名と同じ並び位置になっていた。
「それに、クラスメイト全員にチョコを配ったり、メモの表記もクラス順にしたり部活名まで書いて、分かりやすくする気配りをする人が、お願いした相手にチョコを渡さないとは思えません。」
言われてみればその通りだ。答えは最初から目の前にあったのだ。
変に複雑に考え、推理小説のような論理パズルにする必要なんてなかったのだ。くそっ。
「たしかに、答えは簡単だったかもしれませんけれども、人物Xを特定し、その人物もチョコを貰っている事実が分からなければ、私も島さんたちという答えにはたどり着けませんでした。なので、落ち込む必要はないと思いますよ。」
なんだか慰められているようで癪だが、推理勝負で負け続けているのだから仕方がない。
「ところで、お前の用事は何だったんだよ。」
推理のことはスパッと諦め、天ヶ瀬が電話を掛けてきたそもそもの理由を尋ねた。
「えっと、」さきほどまではきはきとその推理を披露していたのに、彼女の口調は途端に鈍くなる。「さきほどの出来事にもあった通り、今日はヴァレンタインですよね、」
忘れてしまいたいが、悲しいことに今日はヴァレンタインだ。
「インフルエンザで、作ることも買いに行くこともできなかったので、郵送で申し訳ないと思ったのですが、ポストはご覧になられましたか?」
「ポスト?」
家に帰ってきた時は自身の間違った推理にいても立ってもいられず、ポストなど確認していなかった。オレはケータイを耳に当てたまま玄関を出ると、確かにポストの中に小包が入っている。取り出してみると、古書店からの発送である。
「これは?」
「私からのヴァレンタインの贈り物です。」
え、え、マジで。山下がしめしたのと同じ反応がおそらくオレの表情にも表れていることだろう。もしも手渡しなんてされていたら、情けない顔を目の当たりにされていたから、ある意味郵送で助かった。
「開けても良いか?」
「ええどうぞ。」
はやる気持ちを抑えて梱包を丁寧に解いていくと、一冊の本が現れた。アントニー・バークリーの『第二の銃声』だ。
「『チョコレート』は持っていると以前仰っていたので、別のをチョイスしてみました。」
はにかむようなその物言いに、銃声はオレの心を撃ち抜いた。
天ヶ瀬結の事件簿④ ヴァレンタイン事件 乃木口正 @Nogiguchi-Tadasi
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