うさぎはうさぎのいをかるきつね

立談百景

きかんゲーム

「うさぎが寂しくて死ぬのは、嘘なんだってさ」

 私はあんまりひどい顔をしていたのだろう、そういうとシュウ先輩は、私のパーカーのフードをそっと被せて、私の顔を隠してくれた。

 部室に入り込む眩しすぎる夕焼けが、フードの陰に隠れて目に和らぐ。俯いた私は、シュウ先輩の顔をうまく見ることが出来なかった。手持ちぶさたの私は、パーカーの上に着たブレザーのポケットに手を入れた。

「だから泣かなくていいんだよ、きつねち。君がこの部に入ってくれて、この一年は随分と楽しかったな。ありがとね」

 シュウ先輩は優しい声で、私の濡れた頬を撫でる。

 こんな卒業式の日に、せめて笑って送り出したかったのに、あんまり格好が付かなくて、それでも私はぐしぐしと泣くしかない。

「シュウ先輩、私、私も、あの――」

 ――去年の春、二年生に進級したとき、私はシュウ先輩に出会った。

 たまたま通りがかったボードゲーム同好会の部室の前で、シュウ先輩は部員募集の張り紙を貼っていて、本当にたまたま目が合っただけだった。

「興味ある? ボードゲーム同好会」

 先輩の肌は白くて、先輩は小さくて、先輩はなんだかふわふわしてて、先輩の背中は少しまるまってあまりに寂しそうで、私は先輩のことを「まるでうさぎだ」なんて連想する。

 私が何も言えないでいると、先輩は「まあ女子校でボドゲは、そんなにだよね。ごめんね」と少し笑いながら、その部室の中に戻っていった。

 正直、ボードゲームのことは何も知らなかった。なんか、オセロとかリバーシとか五目並べとか囲碁とか人生ゲームとかモノポリーとか、要するにそういうやつ?

 確かに興味はそれほどなかったが――私は無意識のうちに、その部室の扉を開けていた。

「お、やっぱ興味ある?」

 そう言ってと笑った先輩に……有り体に言えば、私は一目惚れしたのだと思う。自分の感情に気付くのはもう少し後になってからだったけど、私はその場で入部を決めた。

 そのあとも結局、私以外に部員が入ることはなく、ボードゲーム同好会は私と先輩の二人だけのものだった。

 活動は放課後に集まって、ボードゲームで遊ぶだけ。私たちは部室にあるボードゲームや、先輩が仕入れてくる新しいボードゲーム、時には先輩が自作したというゲームなんかで遊びながら、毎日を過ごしていた。

「いやー、きつねちが入ってくれて良かったなあ」と先輩はことあるごとに言った。

「一昨年は三年生がいたんだけど、去年はあたし一人だけだったな。今年もひとりぼっちかと思った」

「……ボードゲームって、どうやって一人で遊ぶんですか?」

 そう聞き返したのは単なる興味だ。ボードゲームにまだ詳しくない私は、何か一人で遊ぶ方法があるんだと思っていた。

 しかし先輩はと笑って言う。

「ふふ。あたしね、自分を四人に分けることができるんだ。一霊四魂って知ってる? 神道の思想なんだけど。人の心は四つの魂から成り、一つの霊がそれを制御するってやつ。あたしはその魂の分だけ、自分を分けることができるんだよ」

「…………」え、何この人。ヤバ。

「ヤバそうな顔は普通に傷つく」

 それでも先輩が言ってることは、なんとなく嘘とか、本当とか、そういったものの垣根がないような気がした。それは多分、先輩の世界に浸る感覚なんだろう。

 この頃になると私はもう、すっかり先輩に魅了されていたのだ。

「うさぎが寂しくて死んじゃうのは本当で、うさぎは強いストレスに晒されると酵素が不足して内蔵機能が低下しちゃうことがあるんだって」

 先輩はこういう嘘を、たびたび口にした。

 その嘘を聞く度に私は騙されたり、騙された振りをする。

「へえ……じゃあ、やっぱ私が入って良かったですね、先輩」

「え? なんであたし?」

「……あっ。いや、あの……」

「あ、そうか。ふふ。きつねち、あたしのことうさぎだと思ってたんだ」

「はい……」

「ふふ、そんなに可愛かったかな? ありがと」

 私は私で、を演じていたように思う。

 部活以外でも、先輩は私を見かけると話しかけてくれたし、色々気に掛けてくれていたも思う。私は私で先輩に甘えたくて、勉強を見てもらったり、雑用の手伝いをお願いしたり、困った振りをしていると先輩はいつも助けてくれた。

「うう……ありがとうございます、シュウ先輩。大好き」

 こうやって軽率に好きと言ってれば、なんとなく私の中の気持ちに折り合いがついていたし、もしかしたらいつか何かの弾みでこの気持ちが届くかもなんて、つまんない打算もあったと思う。

 ――しかし、打算は打算だ。

 結局私は先輩が卒業する今になっても、本当の気持ちを伝えられないでいた。

 ボードゲーム同好会の部室で、校舎のどこかからさわさわと、卒業式を終えて浮ついた喧騒が耳に届く。

 私はぐしぐしと泣いて、先輩を困らせているのが分かる。

 いくじもない、度胸もない、自分自身が嫌になるけど、私はこの期に及んで可愛い後輩のままであれば、いつか――なんてことを頭の隅で考えていたんだと思う。

 袖口からはみ出たパーカーのリブで涙を拭うと、俯いた私の顔を、先輩が覗き込んだ。

「――じゃあさ、きつねち。最後にゲームをしようよ」

 私を落ち着かせようとしたのか、先輩はいつものようにと笑って、そんな提案をしてくれた。

 私は涙を拭い、鼻をすすってそれに答える。

「ゲーム……ですか?」

「そう、あたしが考えたゲームがあるんだけど、まだ未完成でね、テストプレイを兼ねてちょっと遊んでくれるとうれしいな」

「…………」

「そんな気分には、ならない?」

「そんなこと! そんなことないです。遊ぼう、遊びましょう、先輩」

「ふふ。きつねちなら、そう言ってくれると思った」

 先輩はそう言うと、場のセッティングを始めた。

 用意されたのは一組のトランプだけ。机の上に適当なプレイマットを敷き、その中央にトランプを置いて、私たちはお互いに向かい合って座る。

「ゲーム自体は簡単だよ。使うのはあらかじめジョーカーを抜いたトランプ一組だけ。ターン制で、攻守を交代しながら手番を回していく。説明しながらやっていこう。――まず、四枚のカードを引いて」

 言われた通り、私は四枚のカードを引く。そのまま先輩も同じように四枚カードを引いた。

「ゲームの目的は、ハート・ダイヤ・クラブ・スペードの四つのスートを手札に揃え続けること。最終的な手札に四つのスートが揃っていて、その数字の合計が『28』に近い方が勝ち。――じゃ、まずはきつねちがね。カードを一枚引いて手札に加えて」

 私は言われるがままにトランプの山札からカード引き、手札に加える。スートはまだ四つ揃っていなくて、ダイヤがダブっている。

「で、手札から捨てたいカードを一枚選んで、見えるように場に出して」

 私は手札からダブっていたダイヤの9のカードを場に出した。

「攻めの行動はこれでおわり。山札から一枚引いて、不要なカードを選んで見えるように捨てる」

 すると先輩は、私がいま捨てたカードを手札に加えた。

「守りの私は攻め番の相手が捨てたカードを手札に加える。そして――」

 先輩は手札からカードを一枚場に捨てる。今度は表を向けず、裏返したままで何を捨てたのかは分からない。

「守りは攻めが捨てたカードを拾い、手札から不要なカードを見えないように捨てる。これだけ。相手からもらったカードをそのまま捨ててもいい。これを攻守を交代しながら繰り返して、四つのスートを合計28に近づくように揃えていく。より28に近い方が勝ち。もちろんスートが揃ってなければその時点で負け」

「なるほど……お互いの合計が同じだったら?」

「あー、そうだね。……じゃそれは、ハートの数字が大きい方が勝ちで」

「分かりました」

「いいかな? じゃあこのままゲームを進めてみよ」

 先輩は説明を終えると少し真剣な眼差しになり、そしてゲームがはじまった。

 ――しばらく続けたが、ゲーム自体は、取り立てて難しいものではなかった。カードを引いて捨てて揃えていくだけで、捨てるカード自体は任意だし、相手からのカードを強制的に手札に置いておくようなルールもない。

 これなら、守り番が捨てるカードは攻め番からもらったカード以外に限定し、相手から受けたカードを捨てられるのは、自分の攻め番に限定させた方がいいだろう。

 先輩が考えたにしては、結構荒削りなゲームだと思う。ルールの穴も多いし、駆け引きも少ない。……ゲームとしてはどうにか成立しているけど、山札を全部使うのも随分と冗長に感じる。

 しかし先輩はじっと、真剣な眼差しを崩さずにいた。

 ……違和感がある。

 先輩が自作のゲームを考えてくることはこれまでにもあったけど、多少荒削りでも駆け引きや盛り上がりに重きを置いたものが多かった。

 このゲームは端的に言って――

「――楽しくない、って思った?」

 先輩が私の思考を代弁するように、そう言った。

 先輩は、自分の手札に目を落としたまま、こちらを見ていない。

「いえ……あの」

 私は取り繕うように何かを口に出そうとしたが……しかし、先輩がそれを遮るように話を続けた。

「ねえ、きつねち。前にあたしが、魂を四つに分けられるって話をしたの、おぼえてる?」

「えっと……」

 その話は、先輩の嘘の中でも取り分け印象深くてよく覚えていた。

「……一霊四魂、でしたっけ」

 私が答えると、しかし先輩はやはり手札に目を落としたまま、カードを一枚捨てた。先輩の話を聞き続けるまま、ゲームは進行していく。

「そう。人の魂は四つの魂から成り、一つの霊がそれを統べる。四つの魂にはそれぞれ名前と機能がある。

 荒魂あらみたまは『勇』――前に進む力。

 和魂にぎみたまは『親』――親しみ交わる力。

 幸魂さきみたまは『愛』――愛し育む力。

 奇魂くしみたまは『智』――知性という力。

 そしてこれは、さらに九州の土着的な信仰にあるのだけれど、この勇、親、愛、智の魂は、それぞれ身体の一部に宿るとされているらしい。『勇』は足に、『親』は手に、『愛』は心臓に、『智』は頭に宿る」

 これは――いつもの嘘の話だろうか。

 私は先輩の態度の真意が分からず、ゲームを続けながら、ただ所在なく先輩の口元を見ていた。

「――話は変わるけど」と先輩はようやくそこで私の方を見た。

 いつものようにと笑って、しかし、私の目を貫くように、鋭い目を向けている。

「知ってる? ボードゲームの始まりは占術や呪術の道具だったんだって。時の権力者が、生贄を用意して国の行く末を案じ、時には敵にまじないをかけた。エスカレートした占術は、時に生贄たちを競わせ、命のやりとりをさせることで、その結果に強い暗示をもたらした。その命のやりとりを行わせた占いやまじないが、いまのボードゲームの始祖に当たるものなんだってさ。つまりすべてのボードゲームは、魂のやりとりを起源に持つ。起源があるなら、それを辿れる。

 ――このゲームは『魂流たまながし』という呪術を元にしたものなんだ。変わった呪術で、これはために存在するんだけど、それをトランプで遊べるようにアレンジをしてある。勇――足はスペード。親――手はクラブ。愛――心臓はハート。智――頭はダイヤ。この呪いゲームに、本来勝ち負けはない。本当は最後に宿をそれぞれ捧げて終わるんだよ。そこには、ただやりとりのみがある。私と君が交互に差し出せる四つの魂の分量を変えていく。お互いを呪い、お互いの魂を繋げることで――お互いの命を同化させる。そして最後にはきっと――」

 先輩の顔から、笑顔が消えた。

「あたしは君を――呪いたい」

 気がつくと、山札は残り少なくなっていた。

「――シュウ先輩は、私になにを……」

 ……先輩は一体、何を言っているのだろう。呪い? 魂を繋げる? 命を同化させる? 私はその言葉の一つ一つをうまく飲み込めなかった。

 先輩は私の動揺に気づいていたと思うが、だからこそだろう、ゲームを続ける。

 気がつくと、私たちは言葉を発するのをやめていた。

 カードを捲り、カードを差し出し、カードを捨てる。

 一枚一枚、生きた花を手折るように、私たちはそれをやりとりする。

 一枚――二枚――不意に、私はこれが先輩と同好会で遊ぶ最後のゲームなのだと感じた。

 しかしそれは、あまりに遅すぎた。

 私と先輩の全ての手番が終わり、山札は尽きてしまった。

「――終わりだね」とシュウ先輩は言った。

 私は自分の手札を見る。ハートがエース、クラブが11、ダイヤが12、スペードは3。合計で27だ。動揺はしていたが、ゲーム自体の難易度は高くなかったから、かなり良い数字が出せたと思う。

 先輩の方は……どうだろう。その表情は読めないまま、先輩は「じゃ、せーので手札を開示しよう」と言った。

「せーのっ」

 先輩の声に合わせ、場に八枚のカードが開かれる。

 そして先輩の手札は――

「え?」

 ――なぜか、全てハートのカードだった。

 事態が飲み込めなかった私は、多分間の抜けた表情をしていたのだろう。

 一瞬どこかに飛んでしまった意識を呼び戻すと、先輩が笑いを噛み殺してるのが見えた。

「ふふ……ふふふ……」

「あの、シュウ先輩……?」

「ごめ、ごめんねきつねち、ふふふふふ」

 そう言うと先輩は肩を揺らして大きな声で笑いはじめた。そんなに大きな声で笑う先輩を見るのは珍しく、私は再びあっけにとられてしまう。

 ひとしきり笑い終えると、先輩はいつもの調子でと笑った。

「ふふふ。びっくりした?」

 そして私は、ようやくこれが先輩の仕掛けた茶番だったと気がついた。

「ちょっと先輩! やめて下さいよ! 本当にびっくりしたんですから!」

「ごめんごめん。卒業式の日に先輩が豹変すると、涙が引っ込むかなと思って」

 私は随分と緊張していたらしい。身体の力が一気に抜け、天井を仰いだ。

 シュウ先輩は立ち上がって、気の抜けた私の顔を覗き込む。

「ふふ、やっぱきつねちがこの部に来てくれてよかったよ」

 そう言って先輩が笑うのを見て、先輩はうさぎじゃなくて本当は狐だったんだな、なんて風に思った。

 それから私たちはしばらく当たり障りのない会話をして、しかしそんな当たり前のような時間はあっという間に過ぎ去っていく。

 やがて先輩は「それじゃあ、そろそろ行かなきゃ」と言って立ち上がった。

「クラスのお疲れ様会があるからね。家に帰って準備しなきゃ。きつねちは委員会があるんだっけ」

 卒業生の荷物は少ない。先輩は鞄一つ、しかし制服のブレザーには花飾りを付けて、立ち去る人の姿になる。

 私はいよいよ見送るために立ち上がるが、やはり上手く言葉を発することができなかった。

「もう、そんな顔しないでよ。折角涙を引っ込めてあげたんだからさ」

 また泣きそうになってしまった私を、仕方のない目で先輩が見る。

「――じゃあさ、これ、預けとくよ」

 すると先輩は、机の上にあった先ほどのトランプのカードを四枚、私に差し出した。

 四枚のハートのカード。――先輩の上がり札だ。

「えーっと、ハートは……『愛』で『心臓』だったね。四つの魂のうち、心臓の私をきつねちに預けるよ」

 私がそれを受け取ると、先輩は私の上がり札の一枚のハートのエースを手にする。

「変わりに、あたしはきつねちの『心臓』を預かる。お互いにこれを大事に持っていよう。そしたら、きっと、寂しくないよ」

「……先輩」

「いつかまた会えたら、お互いの魂を還そう。――そうだね。さっきのゲームの続きだ。魂が戻るまでが、ゲーム。……さしずめ『帰還ゲーム』ってとこかな」

 私は結局それで、再び泣いてしまった。

「うう……先輩、大好き。大好きです……」

「ふふ、ありがとう、きつねち。名残惜しいからさ、ここでさよならしよう。――ううん。ここで見送ってよ、あたしのこと。お願い」

 先輩は、そのまま部室のドアまで進んでいく。

 私はそれを、ただ見送るしかない。

 先輩は背中を向けたまま、ポツリと漏らすように言った。

「きつねち、君の大好きが、もっと重かったら、良かったのにな」

「――え? それ」

 しかし私が聞き返すのを遮って、先輩は最後に振り返って、言った。

「あたしも大好きだよ、きつねち。じゃあね、ばいばい、元気でね」

 そして先輩は、後ろ手でドアを閉めて部室を後にした。

 私の手元には、四枚のトランプがある。いつの間にか強く握りしめていた紙のトランプは、もう遊べないほどの折り目がついてしまっていた。



  ★



 ――季節は巡る。

 一人きりになったボードゲーム同好会で、私はひとりで部員勧誘のポスターを描いていた。

 それは、単なるポーズだったかも知れない。別に部員がいなくても、ひとりは気軽でいいなんて、若干捨て鉢にもなっていたかも知れない。

 けれど去年、一人だった先輩が部員を募集していたのを思い出し、私もそれに倣おうと思ったのだ。

 描き上がったポスターを持って、私は部室前のドアにそれを貼る。

 すると……それを見ている下級生がいた。

「……興味ある? ボードゲーム同好会」

 去年のシュウ先輩も、こんな気持ちだったんだろうか。

 私はなんとなくシュウ先輩みたいにと笑ってみたが、全然、うまくできなかったと思う。

 私は、うさぎの威を借ることはできないらしい。


(おわり)

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