風刺インタラクティブアートとしての「ウィッシュ」

 「ウィッシュ」の風刺性は「進撃の巨人」のザックレーの「芸術」と似た類いのもので、ザックレーは自身の「芸術」について「大衆の前へ晒してようやく完成する」って言ってたけどまさにコレなんだよ。

 ザックレーは「芸術」を通して王侯貴族を最大限凌辱することで「ザックレーが如何に貴族たちを憎んでいて、その憎しみが如何に正当であるか」を表現したいのだと思われるが、それを完成させるには「無様な本質を曝け出された貴族を、大衆が笑いものにする」という「観客の反応」が必要になる。

 ウィッシュが「エンタメ創作界隈の寓話」であるのは明白で、その文脈の中においてスターは「流行り」のメタファであり、それに乗せられるアーシャやロサス国民ら大衆は「自分の姿を省みず、無責任で後先考えない身勝手なお客様」だが、そんな彼らを毛嫌いする我々観客こそ「お客様」であり、コレはそっくりそのまま当てはまる。

 マグニフィコ王に皆同情してるけど「ウィッシュ」を「エンタメ創作界隈の寓話」として素直に振り替えてみれば普通に破滅して当然の男だし、実際そういう「自分の地位に執着して道を踏み外し転落してゆくエンタメ作家」に対して日頃の我々はどういう態度とってんだよってことを考えると、そのことに一切気付かない我々観客ってのは非常に芸術点が高い。

 我々観客がアーシャを面白おかしくユーモラスに皮肉ってバズればバズるほど実際はアーシャ側の人間であることが露呈してゆくし、マグニフィコ王をいくら憐れんだところで現実のエンタメ界隈におけるマグニフィコ王みたいな人の転落劇はエンタメとして消費されるだけ。我々はロサス国民側の人間なんだよ。

 そういう観客の反応も込みで成り立つインタラクティブアートとしてなら「ウィッシュ」はとても芸術点が高い作品なんだよな。

 そしてディズニーともあろうものが、この程度のことを考えていないわけがない。しかもディズニーの「ウィッシュ」って、そういう我々のことを「肯定」してるからね。耳の痛いところ突かれて逆ギレしてんのは我々観客の方じゃん。


 ……が、これは「前衛芸術」の類いであって、商業エンタメ作品でやることでは無い。 西洋の王は身の回りに「道化」を置いて、自身を含めた世間のことをユーモア交じりに皮肉らせることで自分の政治を客観視しようとしたというが、現代の王様である大衆は無責任で当事者意識も自省も無いひたすら消費するだけの存在なので、そういう「道化」の皮肉を嫌う。

 商業エンタメ作品の根幹は「出来るだけ多くの観客を喜ばせて、対価を支払わせること」にあり、ウィッシュみたいな大多数の観客へ矛先を向けた風刺はよほど上手くやらないと笑えないんだよ。お客様は都合が悪ければだいたい「見なかったこと」にする。

 そういう意味ではザックレーの「芸術」の方がまだ商業向けなんだよね。矛先が大衆に向いてなくて、むしろ圧政を敷いてた王侯貴族が標的だから観客は「他人事」として笑うことができる。


 「ウィッシュ」はそういう我々観客の幼稚で身勝手なところも込々で風刺した先鋭的なインタラクティブアートだと思うし、こんな前衛芸術を自分たちの100周年の総括として大々的にブチかましてくるディズニーは、そんじょそこらのアマチュア作家なんかより遥かにロックでクールだと思うけどね。

 まあただ消費するだけのお客様なら別にそれでもいいんだけど、創作ジャンル界隈が揃いも揃ってこの程度のことを「見なかったこと」にしてんの、ホントマジ醜悪だわ~。

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「ウィッシュ」のマグニフィコ王についてちょっと考えたんですけど、あの王様、やたら同情されるけど実際は破滅して当然の人だなって思った。 ヨーダ=レイ @Yoda-Ray

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