第50話 犬鳴村、杉沢村 ∞ 浦上村

 松倉の私有地、その山奥。

 表向きは埋蔵金まいぞうきんを探し出すための資金として人集め。

 違法なケシ栽培さいばい

 集めた何十人を同じ顔へ整形し支配する。その一方、実はそのプロセスを松倉は楽しんでいるだけだった。


 もともとは快楽殺人者。

 だが、そのうちに集団をあやつってみたくなる。そこで身寄みよりのない者や犯罪者をかくまいつつ、村まで大きく発展はってんすることができた。

 ただ、脱走者も出てくる。もちろんつかまえては本業の血祭りだ。また、それ以外の者へも激しい拷問ごうもんを加えていた。


 それはキリシタン。 キリスト教信者。


 犬鳴村や杉沢村の犠牲者ぎせいしゃはあっても数十人。

 ここは浦上村。うらみがつのってリンチや生殺し、生きて帰れないなんて都市伝説。いいや、むしろこちらは世界遺産までなっている。

 1869年まで、あったかもしれない。地図から消された村。


 ただ、そもそも松倉はキリスト教自体をうらんでいたわけではない。それが仕事だったから。それが常識だったから。

 どこも同じさ。最初に仏教が入ってきたときも、その仏像は川へ投げ捨てられたほどだった。新参者にはきびしいものさ。

 

 それに、いくらでも悪口はある。いったい十字架じゅうじかのネックレスをした兵士がどれくらい戦場で人殺しをしてきた?

 信じる者は救われるんなら、やってみろよとおこがましい。

 だったら救いとは? 手をあわせて、心の平和とか愛とかどんな役に立つ? 


 

 長崎の地はあるじがキリスト教へ改宗かいしゅうしたこともあって、多くの信者をかかえていた。それは禁教になっても200年以上、メシア待望論もあり信仰を守るかくれキリシタンが存在した。

 それが幕末。異国の文化が現実的に。それでも名も無き農民どもが色めき立つことを絶対に、絶対に許さない!


 浦上村から強制的に連れてこられたヤソ(耶蘇)吉は言った。

「たましいこそあたたかいことが大切なんです。今も昔もマリア様を信じることに変わりはありません」

 松倉はあきれた目で見ていた。

「ああ、なげかわしいことです。そのマリアというお方はこんな7歳にも満たない子どもに何を言わせるんでしょうね。もし信じることをあらためれば、命は助けて差し上げると言っているのに」


 こんなやりとりが牢屋ろうやをはさんで取り交わされる。

 もちろん。入れられているのはヤソ吉。140センチ四方のかたい四角柱しかくちゅうんである。はだしで下着1枚。そして、衣食住のすべてがここで終わっている。


「大丈夫です。いのりがたましいを満たしてくれますから」

 そう言って、十字を切った。

 悪い目つきの松倉である。

「そうか。それならば、ヤソ吉くんの妹をここに」

 松倉の部下が彼女を中庭へ連れてきた。中庭はきめこまかい砂利じゃり足跡あしあとが残るほど。つまり、頭を打ちつけても気を失わないということだ。


 ガナガナな体。連れてきたというよりイモムシのように軽々しくかかえられてきた。

 なぜって?

 口にはしたを切らないようにさるぐつわ。手は後ろでしばり、足もしばられていたからだ。そして足の親指と手の親指。それぞれツメがぎ取られていた。

 

 松倉は部下に牢屋から一段下がったその中庭の目の前に置けと指図さしずする。

「フフフッ、人の構造こうぞうはですね。親をり、抜くことにあるんですよ。

にぎったり、歩いたり、訓練でもしない限り、この4つのツメを剥いだだけで動けなくなるものです。

 それは自由をうばう激痛。逃げるなんて考えもできないほどに」


 そう、これは拘束こうそく常套じょうとう手段。

 まず、本人は痛めた親指がふれないように足を上げる。しかし、手を後ろでしばられているからあおむけにできない、親指も剥がされている。結局、おしりを上げて横顔で地面をささえるイモムシスタイルになってしまう。

 また、その状態だと精神的にもつらく腹もり上げやすいのだ。

 

 思わず、ヤソ吉は自分の目をこすっていた。

 まるで手加減もなかったからだ。妹の親指はこぶしほどにふくれあがり、パンパンになっていた。グジュグジュと赤紫に色を変え、ざくろのように割れていた。

「なぜ、こんなひどいことを! 早く手当てしてやって!」

 泣きながら懇願こんがんするが、松倉は指1つ動かさなかった。

「おお~~~、かわいそうに。

 ツメに毒が入ったんでしょうね。今すぐこの毒を抜かないと、いずれ手も足も切り落とさなくてはといけないでしょう。かわいそうに。

 そのためにはあなたがこの木彫きぼりのキリストぞうにツバをはいて、みつけるだけでいいのです」

 そう言って、松倉は牢屋の格子こうしのすき間から投げ入れた。


 ためらう時間が松倉にとってムダに思えた。

「聞くところによりますと、キリストとは『救世主』の意らしいじゃないですか。おそらく人物をさしているわけではないのでしょう? もっとも、あなた方が信じる神というのが実在したならば、ずっと不幸しかみちびいていないのでは?」

「止めて! 不幸を信じているのはあなたです!」

 ヤソ吉の声にならない嗚咽おえつ。そしてのどがふるえる。手のひらにも涙が海がたまっていた。

「いけませんね。誰が妹の命をにぎっているかわかってないようですね」

「…もう、ご勘弁かんべんを」

 そう、しぼり出すのがやっとだった。

 しかし、松倉のあまりに冷えた目を向ける。

「なんと、無責任な答えでしょうね。仕方ありません。

 この毒々しくふくれ上がった指に竹串たけぐしを1本ずつしていくとしましょうか」

 次の瞬間、松倉は指を鳴らした。

 そのしぐさに部下は反応して後ろへ下がる。まあ、竹串を取りに行ったのではない。肉に刺して、そのまま中でるというおそろしい竹串を取りに行ったのではない。

 刺せば、ふきだす血の臭い。さらなる拷問で使うための野犬を放ちに行ったのだ。



 200年以上もの間、この日本で徹底的てっていてきにキリスト教は弾圧されてきた。だが、新たな明治政府ではどうだったか? そうは変わらなかった。

 もともと外国人を追い出そうから始まった。それがダメだとわかった。次に天皇を中心とする政府を作ろうとした。それは仏教が入ってくる前の純国産に立ち返ろうとするものだった。それも時代遅れで失敗した。

 言ってることやってること全部、失敗。残されたのは精神面だけだった。

 神道こそがこの国の柱! 

 仏教もキリスト教も国を毒する邪教じゃきょうであると!


 松倉は非情にも突き立てる。

「あなたたちはよくたえました。そう、神とやらもそう言うでしょう。それに、帰る村もない。あの浦上村や周辺も含め4500人根こそぎ、流刑るけいしていますから。

 今ごろみんな、キリスト教を捨てていますよ」

「そんなことはありません。僕たちはつながっっ」


 ズブブブブブッ…ぐびぁああああああああああああ! 


 ヤソ吉が言い終わる前。

 たまらず妹が声を上げ、ヤソ吉も泣きさけんでいた。

「止めてください! 僕が変わりますから!」

 彼女が激しくけいれんを起こしている。そのすぐ後には打ち上げられた魚のように七転八倒。それも彼も彼女も本当におさない子どもでまじめで、正直で、よく働いた。


 それでは大人たちはどうだったのか?

 まずは大人数でることもできない小部屋へぶちこまれる。もちろんトイレも風呂ふろもない、朝夕にイモがそれぞれ出るだけ。味付け? 皮をむく? 調理があるわけがない。モグラやタヌキと一緒だ。

 

 まったくつみばつもないのに害獣がいじゅうあつかい。そんなものだから、10日もつと餓死者がししゃが出る。それでもそのまま。死体にはハエとウジ虫がたかり、ひどい死肉臭がプンプンと立ちこめていく。

 しだいには目にしみるほどの、もうれつな吐き気だ。5日も放置される。

 ああ、わかるぞ。そのゾンビすら横になってないんだ。そんなとなりで生者はイモを食べ、便をする。ねむれもしない。


 そこで、改宗をせまる側は言うんだよ。

「だから、言えって! この国の墓に入りたいなら、信仰を変えろ!

 それともまだ、足りないのか? じゃあ、生き返ってみろよ! 復活の呪文じゅもんとなえてみるがいい!」

 ただ、彼らにも急がなければいけない事情があった。

「どうも、異国人たちが抗議こうぎしている。国内の問題を、あまり口を出すなと言っているが聞かんのですよ」

 

 ウソ。文明開化などしていない。

 仏教は坊主ぼうずが神官へくらがえするなど、すでにボロボロ。東大寺が50円で売りに出されるほどのすたれぶり。

 一方、キリスト教は違う。植民地された横浜では教会をてろとうるさいし、ここ九州でも解禁されたかのように名乗り出てくる者が続出していた。


 天孫降臨てんそんこうりん、天皇こそがあがめる対象。しかし、彼らをこのまま放っておけば一大勢力になる。その前につみ取らなければ!

 だからこそ、まるでキリシタンの村など無かったかのように村人を強制連行。帰れるところも無くそうとする。それを受難じゅなん。いいや、後の歴史でと言った。

 なるほど。マイルドにしないと、記憶でさえも消されてしまう恐れがあったから。



 松倉はわざと音を上げてみせる。

「私もあなたがた兄妹が素直に『うん』と言わないことはわかっていました。やはり、野犬どもに協力してもらいましょう。

 私がここで手をたたけば、一目散いちもくさんによだれをたらした野犬どもがこぞってくる手はずです。

 きっと毒物も丸ごと、かみちぎってくれるでしょう。ええ、丸ごとね」


 ヤソ吉は首がもげそうなほど、たらしていた。

「…わかりました。でも、一晩だけ時間をいただけませんか?」

「言葉だけでは信用できません。私がやれと言ったことをやりなさい」


 ヤソ吉は目を真っ赤にして天をあおぐ。やっぱりだ。もう、天国は見えない。血の海しか見えない。針の山だ。どうしても黒いくもにおおわれてしまった。でも、でも、妹が。

 呼吸を閉じる。親指でちょんとんでいた。


 次の朝。冷たくなっていたヤソ吉。

 その悲しみは今、すすり泣く声をともに絵踏みされてきた像は東京国立博物館の奥深くへ眠っている。人知れず。





 初夜って言葉はすでに死語かもしれない。それでも初めて明かされる新婦のかくしごとほどおそろしい話はない。

 2人きり。やっと、式も終わってお酒も空になっている。薄暗い顔。例えば、こういうことだろう。

「私は村の所有物でした」

 むら。むら。むら。

 少し前までそれが生活のすべてであり、命のとど範囲はんい。そこではおたがいが顔見知り。親族ばかりだ。家系図なんてないから血もくなる。子どもは村民で面倒めんどうを見る。

 婚約や結婚をしたばかりの新婦を、新郎より先に抱く権利は昔から認められてきた。なぜなら、未婚の処女は村全体の所有物であり、神のもの。

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