(下書き) 備海 報告
適当なコインパーキングを見つけて備海は車を止めた。そこは二つの住宅街の間を切り裂くような電車の路線の上、その橋の入り口に差し掛かるような位置にあった。最近は珍しくなった持ち帰り用ラーメンの自販機の光が街灯よりも眩しく映ったので、右手に持ったスマホを少し前めに耳に付け、光を遮る。
通勤ラッシュの対義語・・・・・・おそらくは退勤ラッシュか。それを過ぎたのか通行人が通りがかる様子もなく、静かだ。真向かいのドラッグストアはシャッターを閉めていた。
「ええ・・・・・・全員無事です。彼がいなければどうなっていたか」
手持ち無沙汰に左右を見回しながら、誰かが通りがからない事を祈っている。それとも傍目には送り迎えに来た男性に見えるだろうか。
「総括、ですか」
「ああ。君の意見を聞かせて貰おう」
「・・・・・・まず今回の殺傷事件、繰麻あずさの重心を見るに不本意の結果だと思われます。甘木結奥さんの証言を考慮すれば、彼女は歪んだ友情で以て友達を支配していた。歪んでいても友情ではあるので、自ら傷つけるというより誰かに破壊されたのではないかと」
「・・・・・・それは単なる憶測ではないのか?」
「繰麻の家に甘木結奥さんは軟禁されていましたが、そこには繰麻あずさの父、繰麻要介氏も衰弱した状態で発見されました。ここでも甘木結奥さんの証言に基づけば、繰麻あずさは実父に虐待されていたとの事です」
備海は車内の臭いが好きではなかった。口を開く度に、鼻で息を吸う度に、淀んだ臭いで顔中が満たされ、換気をしたくなる。しかし窓を開ける訳にもいかないので空調を回す。
「では人形たちを破壊された弾みで実父に仕返しをしたと?」
「そのように思われます」
電話の向こうで聞こえる声が息を吐いた。ゆっくりと、歯と歯の隙間から漏れるようなシューッという息が。
さては笑ってるんじゃないだろうか、この男は。
「誰かがやらなければならない。だから我々がやる」
ボソリと呟いた独り言を契機に、両者の間に少しの静寂が訪れた。
「この言葉の真意が分かるか?備海圭仁」
「・・・・・・その」
本当は前にもたれ掛かりたい気分だが、目の前にはハンドルがある。クラクションを鳴らすわけにはいかず、逆に思い切りのけぞった。ひとえに汚れ仕事って意味だろと思いはすれど、そのまま言うわけにもいかない。
「彼女の今後を勝手に決める事に、責任を持てという事でしょうか」
「いやそうじゃない。無闇に背負おうとしても虚しいだけだ」
眉根を顰め、漏れそうになった溜め息を懸命に押しとどめる。
備海は今も昔も、どうしてだと思う?みたいな問いかけが嫌いだった。というか程度の差こそあれこの類の問いかけが好きな人は果たしているのだろうか。直央さんならこのようなまどろっこしい事はしないし、結奥さんなら対面で聞かれても興醒め甚だしいだろう。
「そもそもの話、我々が行おうとしている事は偽善なのだから」
でも、誰もしない訳にはいかないのだ。
重心による犯罪など法で裁けるものじゃない。ただ彼女の持つ悪意と、
それを実行しうる重心のみが判断基準となる。
通常の犯罪には凶器がある、計画がある、悪意を実行するための準備が必要になる。仮にそれを行ったとして、警察の捜索からはまず逃げられない。必ず証拠と結びつく。
しかし繰麻あずさのした事は違う。世間に曝されたのは結果のみ・・・・・・依然怪奇現象として、梳太市立中学の関係者が「何者か」に殺傷された事件という結果だけが残った。
彼女を縛るものは何もない。逃げ道すら必要が無い。
だが、と電話の向こうの声が注釈を加えた。
「正義がそこに無いのなら代わりに偽善が答えになってくれるものだ」
「・・・・・・・・・」
「本来なら、この事件のあるべき帰結とは繰麻あずさの責任者に知らせる事。本来なら、彼女が自分の思考を以て今回の行いを悔い改める事だ」
だが、恐らくそれは起こらないと備海は思っている。
彼は備海に告げているのだ。備海がしなければいけない判断とは、彼女の今後ではない。
本当に繰麻あずさは救いようが無いのか。本当に彼女はもう手遅れだと思うのかだ。
繰麻あずさという人物の印象が如何様にでっちあげられようとも異を唱える者がいない。それが彼の言う「あるべき答えの無い状態」。
そうして初めて、備海の答えが代わりの真実たりうる。
「君はどう思う」
「俺は・・・・・・」
「・・・・・・繰麻あずさの重心は、抹消すべきです」
ーーー
サンバイザーのカードポケット、駐車券を挟んでおく隙間に小さなメモ用紙が挟まれている。コーヒーの粉、砂糖にミルク、諸々の備品の買い出しを済ませなければいけない。
備海はスマホのホーム画面を開いた。同様の内容が書かれたメモ帳アプリのスクリーンショットが設定されている。
何があろうと忘れる事はないように。過去の自分が分裂し、今の自分に言い聞かせてくる。俺の代わりに動けよと。
「面倒だ」
気が付くと時刻は午後9時を過ぎていた。業務スーパーなどは閉まる時間だし、近くにやっている店はあるだろうか、あったとして買い物の気力が残っているだろうか・・・・・・いっそ明日は休んでしまおうか、そんな事を考えてしまう折。
とにかく皆は無事だった。これ以上の結果など存在しない。とりあえず帰らないかと自問してみるが、身体は動かない。しかし心は退屈と焦燥に喘ぐ。コインパーキングの料金は着実に上がっている。それでもやはり動く気になれず、備海は車を降りた。
「・・・・・・・・・」
ヨハネによる福音書第8章3節~11節より。
姦通罪を犯した女性の処罰をめぐって石打ちの死刑に処される所を、イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言った。
姦通罪が死刑となる古代の倫理観はさておき、こと「罪を犯したことのない者が石を投げろ」という一点が備海は気に入らなかった。
逆なのだ。罪を犯し、「同じ罰を受けた者」だけがーー同じく石を投げられる罰を受けた者だけが、その刑を執行できるのだと信じている。
引導を渡す役目は罰の意味を本当に知っている者が行うべきだからだ。
「済まない、繰麻あずさ」
だからこそ、今回の事の顛末は自分にしか判断できない。
重心を失わせるという判決は、重心を失った者でなければ下せない。
「俺は君を深淵に突き落とした」
言葉を失った彼の口から、歌うような祈りが出てきた。音も形も無い念仏が紡がれては、夜風の中に消えていく。
刑を言い渡す者たち・・・・・・特に日本には死刑がある。自らの口からそれを告げた者たちは、それが社会的に良しとされた暁には、彼らは何を思うのだろうと備海は思いを巡らせる。
一つだけ分かっている事があるとすれば、今の状態では誰と話しも出来ないだろうという事だけだ。
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