第24話 忘れない
「取り乱してすまない。行こうか」
突然泣き止んだキツネちゃんはすっと立ち上がり、再び歩き始めた。
気持ちの切り替えが早いなあ……。
キツネちゃんには小さな子供として接するべきなのか、お年寄りとして接するべきなのか、いまいちつかめない。でも、
「大切な家族のことを思い出させてくれて、ありがとう」
という、わたしたちにだけ聞こえるくらいの声の大きさで言った言葉から、キツネちゃんがいい子だということは確信していた。
「改めて言うが、冥界のことは向こうの世界では絶対に言うんじゃないぞ?」
「それは分かったけど、でもどうして? こんなに冥界はすてきなところなのに」
「はぁ……。冥界はすてきなんかじゃない」
キツネちゃんはため息まじりに言う。
「だいいち、わたしはついさっき、お前たちにひどいことをしたんだぞ?」
そ、そうだった! おばあちゃんやおじいちゃんに再会できた喜びで忘れてたよ……。
「冥界には、ときおりお前たちのような半分生きている連中がやってくる。おそらく、豊作の儀式というやつのイケニエだろう」
キツネちゃんの言葉の中で、イケニエという単語だけが嫌な響きをしていた。
「やってくる連中はみんな、しばらくすると冥界から姿を消した。私やお前みたいな半分生きている人間は、少しずつ透けていって、最後はあの世へ行くんだ」
「えっ? じゃあ、わたしや学もちょっとずつ消えていってるの?」
わたしは焦って、自分の手のひらを見る。地面が透けて見えたりはしていない。
「安心しろ。数時間いた程度では、なんともない」
聞いて、ひとまず安心する。
「だったら、どうしてキツネちゃんはずっと冥界にいられるの?」
キツネちゃんも、もとは半分生きている人だから、次第に透けて消えてしまうはずだ。
「さあ? 分からない」
「そっか」
キツネちゃんにも、冥界の分からないことはあるんだ……。
「冥界はまったくすてきなんかじゃない。でも、生まれ変わりたいと思わないやつも多い。そんなやつのため冥界で祭りを開くことにしたんだ」
「わ毎日お祭り騒ぎでそらもう楽しかったわ。自分が死んだことも忘れそうになるくらい」
おじいちゃんがニッと笑う。
「だからこそ冥界のことを現世で話してはいけない」
キツネの面で表情は見えないけど、真剣な顔をしているのは声の感じで分かった。
「どうして?」
「お前たちは、現世を精一杯全力で生きなきゃならない。そこに理由なんてない。生きている人は冥界に来てはいけない。ただそれだけだ。分かるか?」
「う、うん」
永遠に年を取らない。毎日お祭りに行ける。そして、大好きだったおばあちゃんにいつでも会える。すごく魅力的に思えるけれど、きっと世界はそうあってはいけないんだ。
大きくなってくる太鼓の音は、わたしたちが稲荷神社へ近づいていることを示していた。別れが近づいている。
「鳥居から入ると目立つから、裏口から行こう」
鳥居の前で直角に曲がると、回り込んで裏口から境内に入る。長い石の階段がちらりと見えて、源一郎さんに追いかけられたことを思いだす。
「この辺りでいいかな」
キツネちゃんはそう言うと、どこからか長い紐を取り出した。赤と白が織り込まれためでたい色合いをしている。
「そっちの世界にあるナゾの機械のせいで何やら声が聞こえていたらしいが、それは今後出来ないからな」
キツネちゃんは持っている紐でぐるっと丸い形を作りながら言う。
「じゃあ、おじいちゃんともおばあちゃんともトランシーバーで会話できないってこと?」
「あたりまえだろ」
「他の人は?」
「他の人? それは知らん」
いまごろ、源一郎さんが修理しているはずのトランシーバー。あれは冥界と会話できる機械だったから名付けて「冥界トランシーバー」!
って、こんなこと考えてる場合じゃなかった!
わたしと学は円の中に入って、正座をする。
と、そこで重要なことを思いだした。
「そうだ! おばあちゃん! お母さんと秘密のプレゼントの約束をしてたんでしょ?」
絶対に叶わないはずだった約束。しかし、今目の前にはおばあちゃん本人がいる!
「秘密のプレゼント? ああ、あれねぇ。〝キツネの
おばあちゃんはめずらしく茶目っ気のある笑顔を見せた。当たり前かもしれないけど、おばあちゃんにとってお母さんは自分の娘で「あの子」なのだ。
「分かった。ありがとう!」
これでお母さんも悩みをふりきってくれるに違いない!
隣に座る学と目を合わせて、小さくうなずく。わたしたちは手をぎゅっと強く組んで、祈る。
「キツネ様、キツネ様、どうか私たちを現世に戻してください」
小さな声で三回唱えると、ぶわっと周りの空気が揺らぐ。
目の前には、おじいちゃん、おばあちゃん、キツネちゃん。そして、その背後には緑地公園の丘と長い石の階段。
じんわりとぼやけていく視界の中、丘の向こう側に巨大なキツネの影が見えた。丘全体を抱え込んでしまえるほどの大きさだ。
わたしは直感で、あれがキツネ様なんだと分かった。
キツネ様は実在するんだ。冥界を、この街をいつも見守っている。願った人を冥界に連れてきてしまうのは、キツネ様が寂しがり屋だからなのかもしれない。
「おばあちゃん! おじいちゃん! キツネちゃん! 絶対に忘れないよ!」
わたしは叫んだ。そして、自分の心に誓った。思い出すたびに切なくなって、悲しくなって、もっと一緒にいればよかったと後悔するだろうけど。
でも、絶対に忘れない。わたしはおばあちゃんのこともおじいちゃんのことも、大昔に家族のことを想って身代わりになったかわいそうな女の子のことも。
ちゃんと思い出して、そのたびにちゃんと悲しくなる。かけがえのない悲しさと一緒に生きていくんだ。
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