第22話 再会

 全身を締め付けていた力が突然消えると同時に、地面に放り出される。足に力が入らなくて、そのまま倒れこんでしまった。


「いってて……」


 学も痛そうに顔をしかめていた。


「その子らにあんまり乱暴なことせんとってくれ」


 わたしたちを助けてくれた声の主へ目をやる。そこにいたのは焼けた肌にやたらと白い歯が映える老人。初めて会ったはずなのに、その顔にも声にもなぜかなじみがある。


 ……って、もしかして!


「おじいちゃん⁉」


 目を見開いて、しっかりと確認する。間違いない!


 わたしが生まれた頃にはもういなくて、写真の中でしか見たことのないおじいちゃんだ! 


 それがいまわたしの目の前で普通に歩いて、しゃべっている!


「大丈夫やったか? おじいちゃんやで~」


 女の子みたいに手のひらをひらひらと振って、真っ白い歯をにっと見せる。


「あれ? でも、そのしゃべり方……」

「日向も、学も、直接見た方がわ」

「も、もしかして。羅針盤さん?」

「おう、そうやで」

「えっーーーーー!」


 羅針盤さんがおじいちゃん⁉


 学は口をぽかんと開けて、固まっている。


「ど、どうして言ってくれなかったの?」


 言いたいことは山ほどあったが、初めに出てきた疑問はそれだった。


「言ったらあかん決まりやってん。ほんまは、すぐにでも話すのめなあかんかったんやけどな。キツネちゃんに禁止されてもうて」


 そう言って、おじいちゃんがキツネ面の少女を指さした。キツネちゃんと言われると、少し愛らしいような気もしてくる。


「貴様、あの後も勝手に話していたのか? まったく……」


 キツネちゃんは呆れたようにため息をつく。


「その……。全然、状況がのみこめないんだけど」

「色々話すと長くなりそうやな。でも、それは一旦後回し。お目当ての人もきとるからな」


 おじいちゃんがキツネちゃんの肩に手を置くと、キツネちゃんは不機嫌そうにした。


 それにしても、お目当ての人というと……。


「じいさんは足がはやいねぇ」


 ゆったりとした足取りで登場したその人の顔を見て、一瞬思考が止まった。


 まぎれもなく、三カ月前に息を引き取ったおばあちゃんが、最後に会った時と全く同じ姿でそこにいたのだ。


「おばあちゃん!」


 その顔を見るや否や、学は全速力で駆けていき、抱きついてお腹に顔をうずめた。


「ごめんなさい。おばあちゃん、ごめんなさい」

「学が謝る必要なんてないよぉ。あれはおばあちゃんが悪かったんだからね」


 おばあちゃんは、学がどんな理由で謝りたかったのかを理解しているらしかった。それはすごく不思議なことだけど、おばあちゃんのことだから、となぜか納得してしまった。


 学の頭をゆっくりと優しく撫でている。


 そこに、わたしもゆらゆらと近づいていく。


「日向も、学を助けに来たんだろう? すっかり、お姉ちゃんらしくなって」


 おばあちゃんに声をかけられた瞬間、ボーダイな量の思い出が頭の中を駆けめぐった。


 おばあちゃんの家の柱にマジックペンで身長を記録していたとき。


 ランドセルを買ってもらって、それを背負う姿を見てもらったとき。


 おばあちゃんの家のタオルケットがものすごくいい匂いだったとき。


 縄跳びで二重飛びが出来るようになったことを自慢したとき。


 わたしの送ってきた日々は、おばあちゃんのなんでも包み込んでしまうような優しさと共にあった。


 どうして、わたしはこんなに大切な思い出を忘れてしまっていたんだろう?


 ふと思い出したのは、おばあちゃんがお母さんと約束した「秘密のプレゼント」。


 お母さんは二度と叶うことのない約束のことを考えていた。朝起きた時も、ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、夜寝る時も。


 お母さんはきっと「秘密のプレゼント」を通して、おばあちゃんのことを思いだしていたんだ。


 そうだ。悲しいのはおばあちゃんが死んでしまったからじゃない。おばあちゃんのことをしまうからだ。


 そしてわたしは、そんな悲しみから逃れるために、大切な思い出に蓋をして、なかったことにしていたんだ。


「ごめんなさい……。おばあちゃん」


 自然と口から出た言葉だった。


 おばあちゃんのことを忘れようとしてごめんなさい。


「日向まで、どうして謝るんだい?」


 困ったように眉を下げるおばあちゃんが手招きをする。わたしはとぼとぼと歩き、おばあちゃんに抱きつく。


 自分でもびっくりするくらい涙が止まらなかった。ひぐひぐと声を上ずらせて、うまく呼吸もできないくらいに。


 その泣き方は本当に子供っぽくて恥ずかしかった。なのに、おばあちゃんの柔らかい手の感触を頭に感じるたび、安心と悲しさがどんどん増幅されていく。


「ばあさん、えらい人気やなあ。わしもおるのに」


 おじいちゃんのそんな声が聞こえてきて、泣きながらすこし笑ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る