第20話 いったいどこへ?
「学、帰ってくるの遅いなあ」
お父さんがつぶやいた。今日は土曜日なので、仕事は休みだ。
「学、なんて言って出ていったの?」
わたしはなんとなく聞いてみる。
「友達と遊びに行くって」
「え? 学、友達いないでしょ?」
「一人くらいいるだろ」
「いや、学は多分一人もいないよ」
言ってて、悲しくなってくる。
「だったら、嘘ついてまでどこへ行くのさ」
「それは……分からないけど」
学がどこへ行ったのかなんて、わたしに分かるはずないよ。
しかし、門限である夕方の六時を過ぎても、学が帰ってくる気配はない。家の空気がピリピリとしてきたのを肌に感じる。
「ちょっと心配だ。近くを見てくる」
そう言って、お父さんとお母さんは学を探しに家を出て行ってしまった。何でもない休日がじわじわと日常から離れてきて、指先が冷えてくる。
学のことだから、時間も忘れて図書館に入り浸っているに違いない。平然と帰ってきて、軽く叱られて、それからはいつも通り。
けれど、そんな想像とは裏腹に時間は過ぎていく。
学の思いつめた顔を思い出して、学の書いていたノートを開いてみる。
そこには、わたしにはまだ知らせていない、手帳の後半部分をまとめたメモが記されていた。
“
まが玉を使ってめいかいの声を聞く。
めいかい←あの世? 天国?
ぎ式できえた人はめいかいへ行く
ぎ式をやってたさいだん←お姉ちゃんが言ってたうらとりいかも
”
めいかい? あの世?
なんだか、
裏鳥居といえば、今日栞ちゃんたちが肝試しへ行ってたはずだ。
わたしは、いそいで栞ちゃんに電話をかける。
『ひなた~、どうしたの? 肝試しはもう終わっちゃったよ~』
「裏鳥居に行ってきたんだよね?」
『そうだよ。でさ、由美がお祭りの音が聞こえる! とか言い出して、もうパニック! みんな走って逃げて、肝試しが一瞬で終わっちゃったの!』
電話口の向こうから何人かの笑い声が聞こえる。
「あのさ、学が家に帰ってきてなくて」
『え? 弟の学くん? ちょっと前に見たよ?』
「ほんと?」
『うん。たしか駄菓子屋のあたりだったかな』
「ど、どんな様子だった?」
『どんな? うーん、いつも通りうつむいた感じ? 反対側の道路だったから、声はかけなかったけど』
「分かった! ありがとう!」
相手の返答を待たずに電話を切る。そして、すぐさまそのことをお父さんとお母さんに電話で伝える。二人は手分けして違う場所を探しているところだったらしい。
駄菓子屋のあたりにいたってことは多分、学校へ向かってたはずだ。
学がいったい学校へ何の用なんだろう……。
リビングと玄関の間を行ったり来たりして気持ちを落ち着かせる。
そこで、ふと靴箱の上に置いていた縄跳びが一つだけなことに気づく。ろくに使われた様子のない学のピカピカの縄跳びがないのだ。
縄跳び……紐……。
その瞬間、もしかして……! とまるで探偵のようにひらめいた。
わたしはそのひらめきを確かめるために、家を飛び出した。
*
わたしの推理はこうだ。
学は手帳を読んでいく中で、豊作の儀式で消えてしまった人が「めいかい」という世界へ行くことをつきとめた。
「めいかい」とは、学のメモによると死んだ人の行く世界なんだそうだ。
そこで思い浮かんだのがおばあちゃんだ。学はおばあちゃんに謝りたかったと前に言っていた。
つまり、学は豊作の儀式を行って「めいかい」へ行き、おばあちゃんと会うつもりなんだと思う。
けれど、それには一つ問題がある。
豊作の儀式が行われていた秘密の祭壇の場所が分からないのだ。これは手帳にも書かれていなかった。
そこで、可能性のありそうな場所を考えてみる。先代の宮司さんが見つけられなかったほど入り組んだ先にあって、神聖なフンイキのある場所。
そう、裏鳥居だ。
学は儀式に使う紐として縄跳びをもって、裏鳥居へ行ったんだ。
*
学校の裏手にあるフェンスとフェンスの間を通り抜けて、裏鳥居のある雑木林へとやって来た。
時刻は夜の七時前。
残り香のような夕暮れが辺りをほのかに照らしている。
ところどころに雑草の生えた砂利道を進んでいく。まばらに聞こえてくるひぐらしの鳴き声がすごく不気味だ。
しばらく歩くと突然道が途切れ、背の低い鳥居が姿をあらわした。大人の身長よりも少し高いくらい。稲荷神社の鳥居と比べるとずいぶん小さく見える。
鳥居の向こう側には、相撲の土俵くらいの広さがある平らな石があった。
明らかに人の手で置かれたそれは祭壇という表現がぴったり。
そして、その祭壇には予想通り(当たってほしくなかったけど)輪っかの形になった学の縄跳びがぽつんと残されていた。
そろそろと祭壇の方へ近づくと、かすかに重低音のようなものが聞こえた。
自分の心臓の音がこんなに大きく聞こえるなんて。そう思ったが、よく聞くと違う。
太鼓の音だ!
栞ちゃんが言ってた祭りの音はこの音のことだったんだ!
心臓がどくどくと脈打って、鳥肌が立つ。今すぐにでも逃げ出したい気持ちを押さえて、冷静に考える。
学は本当に「めいかい」へ行ってしまったのかな?
いっつも本ばかり読んでいて、運動会ではどんな競技でも毎回ビリで、おばあちゃんのことになるとすぐに泣きだす。
学の映る風景が走馬灯のように浮かんでは消えていく。
学が幼稚園に通っていた頃、わたしに押し花をくれたことがあった。
「お姉ちゃん、これあげる」
ぶっきらぼうに渡されたそれを受け取ったとき、弟がいて良かったと心の底から思った。
あの頃と比べると、今の学は可愛げがなくて、顔も見たくない気分になることもたまにある。
……それでも、学はわたしのたった一人の弟だ!
わたしは意を決して、石の祭壇へとあがる。
学の縄跳びで
「キツネ様、キツネ様、どうかわたしの弟を返してください」
ぐっと手に力をこめて、三回唱える。
じわりじわりと、周りの空気が変わっていくのを感じる。太鼓の音が少しずつ大きくなっていき、どういうわけか焦げた醤油のにおいがふわっと香ってきた。
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