第4話 羅針盤さんって何者?

「この時点では、声がはっきりと聞こえる」

「うん」

『せやな』


 羅針盤さんはさも当然かのようにわたしたちの会話に混ざっている。


 夏休みの初日。わたしはまなぶが考えた実験に協力していた。


「次に、羅針盤を引き出しの中に入れて閉じてみる。羅針盤さんはずっと話してて」

『あいよ』


 羅針盤を引き出しの中に入れて閉じる。


『…この…どない…とるか?』


 途端にトランシーバーから聞こえる音は雑音交じりのざらざらとしたものになった。


「もうちょっと離れてみて」


 学の指示に従って、トランシーバーを持ったまま机から離れる。すると、だんだん雑音が大きくなっていく。


 そして、部屋の外に出て扉を閉めると、その瞬間にトランシーバーは無音になった。


 「どうなってる?」


 扉の向こうで学が言う。


 「扉を閉めたら何も聞こえなくなったよ」


 わたしはトランシーバーを片手に、部屋に戻った。


 「なるほど……」


 学はどこかの博士みたいにノートに何かを書きこんでいく。


「よし、次は見え方の調査だ」


 昨日とは打って変わってずいぶん乗り気らしい。


「羅針盤さん、今どんな感じで周りが見えてる?」

『どんな感じって言われてもなあ』

「例えば、針の向いてる方向しか見えないとか」

『そんなことはないで。周り全部が見える感じやな』

「全部……」


 学は顎に手を当てて、首をひねる。


「引き出しの中にいる時は外まで見えていたの?」

『いいや、中だけや。鉛筆とか消しゴムしか見えんよ』

「壁の向こうまでは見えない。っと」


 そうつぶやくと、ノートにすらすらと書きこむ。


「次は、羅針盤さんの知ってることを調査しよう!」

『そない頭良くないで?』


 わたしは羅針盤とトランシーバーを持って、リビングへと移動する。これだと、わたしが学の助手みたいじゃん。


 今日はお父さんは仕事。お母さんはさっき買い物に出かけたばかり。つまり、家に誰もいない今のうちに実験を終わらせなきゃならない。


 テレビを付けると、お昼の情報番組が放送されていた。


 羅針盤さんにテレビを見せて、どれくらいのことを知っているか調査する作戦だ。


『最近のニュースは知らんなぁ』

「そうなの?」

『そら、ずっと引き出しの中におったんやから』


 言われて、ぐっと言葉につまる。


「これからは外に出してあげるからさ。ほら、散歩とか……」


 羅針盤さんの機嫌を取ろうとすると、


『散歩って、犬やないねんから』


 とつっこまれた。でも、関西弁のツッコミって本場な感じがしてちょっと楽しいかも……ってそんな場合じゃなかった!


 学はノートに書かれた何かと見比べながら、テレビのチャンネルを次々に変えている。


 何の準備をしているんだろう……。


 手持ち無沙汰なわたしの目線は、自然とテレビの横にあるラックに置かれたおばあちゃんとおじいちゃんの写真へとうつる。


 写真の中のおばあちゃんは、柔らかく微笑んでいて、全てを包み込んでくれるようだ。一方のおじいちゃんは、焼けた肌にやたらと白い歯が映えていて、いかにも陽気そうな感じ。


 おじいちゃんのことは「ガンコでこだわりの強い人」くらいしか聞いていない。だけど、この写真からはとてもそんな風には見えない。

 きっと、家の中を明るくしてくれる優しい人だったに違いない。だって、あの世界一やさしいおばあちゃんと結婚した人なんだから。


 それぞれの写真の近くには、おばあちゃんがいつも身に着けていたブレスレットと、おじいちゃんが大事にしていたマグカップが置かれている。


 わたしたちの住む地域では、亡くなった人の大切にしていたものを飾る習慣がある。


「ちょうどいいニュースがどこもやってないなぁ」


 学は不満げに眉をひそめる。


 どうやら、実験は予定通りに進んでいないらしい。


「羅針盤さんは、テレビは見れないんだよね?」


 気を取り直して羅針盤さんに質問する学。


『せやな』

「でも、名探偵アカツキのことは知ってたんでしょ? どうして?」


 昨日、羅針盤さんは「単純・明快!」という決め台詞を言っていた。


『そらぁ……』


 羅針盤さんは言葉につまって、黙りこんでしまった。


「羅針盤さんも困ってるし、そこはいいんじゃない?」

「うーん。言いたくないなら仕方ないけど……」


 その言葉とは裏腹に納得はできていない様子の学。


『そうしてもらえると、ありが……』


 言葉の途中で羅針盤さんの声がノイズにさえぎられた。


「あれ? どうしてだろう?」


 羅針盤とトランシーバーはほとんど引っつくくらいの近さだ。本来なら、声は綺麗に聞こえるはず。


『久しぶりに……』


 トランシーバーから一瞬声が聞こえる。

 しかし、それは羅針盤さんの声質とは少し違うような気がした。


 二人で困惑していると、そのタイミングで玄関からガチャリと音がした。鍵の開かれた音だ。


「や、やばい! 撤収しなきゃ!」


 わたしたちはテレビの電源を切ると、急いで子供部屋へ走って逃げた。


「ふう、あぶなかった……」


 胸に手を当ててほっと一息。


「あの雑音はなんだったんだろう……。また新しい謎が増えちゃった」


 学の考えた実験はなんとか全て終わらせられたけど、新しい謎もでてきた。


「とりあえず、大体は分かったからいいんじゃないの?」

「うーん。でも……」


 学は全てをはっきりさせないと気が済まないタイプらしく、不満げに口を尖らせる。


「とにかく、わたしは自由研究を進めなきゃだから。この後時間あるでしょ? 早速図書館に行こうと思うの。学も一緒に行くでしょ?」

「ぼくは……、どうしようかな」


 学の答えは意外だった。てっきり、キツネ様のことに対しても、乗り気になってくれると思ったのに。


「クラスメイトに出会うと気まずいし」


 学が恥ずかしそうに言った。


「え? どういうこと?」

「いや、だから夏休みだから同じクラスの子が図書館にいるかもでしょ」

「いいじゃん、別に」

「よ、良くないよ」


 考えてみると、学はいつも本を読むばかりで、友達とどこかへ遊びに行ったりしているのを見たことがない。


「学。もしかして、友達いないの?」

「い、いや。いるし」


 目をそらす学が嘘をついているのは明らかだった。


「なんか、その……。ごめんね」

「謝るな!」

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