第5話

 アシュリスが店の扉を開ける。開けた先には狼がいた。

 金髪のショートヘア切れ長の瞳孔、頬にある大きな古傷、義足そうした情報の中でその人が女性であることに気づいたのはずいぶん後の方だった。


「こんにちは、イリシュ」


「そいつは?」


狼の瞳でジロリと見られる


「この子下層落ちしちゃってここで働かせてあげられないかなって」


 イリシュと呼ばれた女性の表情が険しくなっていくにつれアシュリスの語気が弱まっていく


「いらん。人は足りてる」


 その声質からは嫌悪感すらが感じられる。

 しかしアシュリスに引き下がる気はないようだ。

 ぐっと拳を握り毅然とした態度でその瞳を見つめ返す。

 はぁという長いため息が店内に響く。


「話だけは聞いてやる」


 義足とは思えないほど極めて自然な動きで席に案内される。

 忌避反応を示した両足をなんとか動かし着席しイリシュち向かい合う形となる。

 隣にアシュリスがストンと座ってくる

 俺は、凍てつくような視線からなんとか目を逸らさないよう努める。


「じゃあまず、料理の経験はあるか?」


 面接をしようと言うことらしいしかし、この手の質問で俺が迷う必要はない。


「わかりません」


「統一語は喋れないよな。うちは、見ての通り酒場だから酒も場合によっては飲むいけるか。」


「わかりません」


 本当はイリシュさんの眼なんて見ちゃいない見ている振りをしているだけだ。

 自分の殻に閉じこもり世界を窓越しから見つめる。

 どこか他人事のような感覚いや本当に他人なのかも知れないだから真剣になれないしなりたくもない。

 ふつふつと一つの感情が湧いてくる悲しさだ目を逸らす。


(もうやめにしたい。この場合わかりませんとできませんならどちらの方がマシな返答になるだろう)


 どうでもいい思考が混じり始める。

 今こうして何も持っていないことを突き付けられて、明日を生きたいなんて死にたがりの俺にはとうてい思えない。

 ふと膝に感触を感じるアシュリスの右手小指と薬指が触れてかすかな震えが伝わってくる。

 それからすっと暖かさが入ってくるのを感じる。それは俺にある感情を灯した怒りだ、自分への怒り。

 そうだ、この世界に来てわからないことだらけの俺にも確定的に明らかなことがある


『彼女は優しすぎるぐらいに優しい』


 そして俺に生きていてほしいと思っている。

 でも俺は死にたがりだ。

 それは彼女に対してあまりにも不誠実なことではないだろうか。


(俺は生きたいと思えるようになりたい)


(そうじゃないと正しくない)


考えろイリシュさんは俺を黒髪と分類した。つまりイリシュさんは黒髪に対してあの質問が意味がないのを理解している。

 もちろん最初馬車に乗せられていたとき同じような黒髪が何人もいた彼らが記憶喪失でない可能性もある。

 でもそうじゃないと考えるのが自然だ。

 つまり年齢や経験ではなく別の場所で見ようとしている…はず。

 顔を上げ再び目線を合わせる金色をした瞳はどういうわけか恐ろしく反射率が低いように感じられる。

 それでもその瞳の中に男の顔が映っているのが見えた。

 特徴といえば少し曲った髪の毛ぐらいの面白みのない顔だ。

 たぶん、そう感じるのはこの顔を見慣れすぎているせいでなんの他人から見れば、何かしらの特徴を見出せるのかも知れない。

 心なんてものは不定形であるはずなのにどうしてらしくなんてあろうとするのだろうか?

 それはきっと密閉された箱の中にそれがあるからだ箱の中では自由に形を変えることができるけれどそこから出ようとすると箱を傷つけるしかないそれはどこか痛みを伴うことになる。

 これからする行動は死にたがりの彼を否定することなのだろう。


「……数が数えられます」


フンッと鼻を鳴らされる


(……あれとっておきのつもりだったのに反応がよろしくない)


(急いで次の言葉を探さないとまずい)


「お酒は飲めます飲んだことがあるかどうか分からないだけで」


「それに、俺見た感じ若い男ですし力仕事なんかを任せてもらえたらいいと思うんです。それに……」


それになんだ何も思いつかない喉が渇く頭が真っ白になっていく。


「とにかく、ここで働かせてくださいお願いします。」


 椅子から立ち上がり頭を下げるらしくないことをしているそんな自覚があった。

 首筋へと視線が注がれだんだんとそれが断頭台の刃か何かのように感じられてる。

 床に伸びた自分の影をじっと見つめながらに思う土台無理な話なのかも知れないと思う。

 記憶もない怪しげな人間を助けるなんて余裕がこの場所にあるようには思えない。

 実際俺は不死性という厄ネタ持ちでもある。自嘲の笑みが込み上げる。

 どれくらい時間が経ったのだろう。


「名前」


「は?」


 唐突だったので間抜けな声を上げてしまう。

 顔を上げると先程と変わらない不機嫌そうな表情の顔がそこにある。

 いやこれは質問の続きだただ普通に答えればいい


「……わからないです」


なんとなくアシュリスを見るそれはイリシュも同じだったようで二人分の視線に晒された彼女は


「なに?私に名前をつけろってこと!?」


とそんなこと思いもよらなかったかのような反応を示した。


「当たり前だろ、お前が拾ってきたんだし」


「……俺も自分にどんな名前がいいかなんて希望もないです。」


 捨て犬のような扱いに思うところがないわけではないがイリシュさんに賛同する。

「……どこかの誰かである君に勝手に名前を付けるのは気兼ねするんだけど。……考えてみるよ」


椅子に座りながらう〜んとゆらゆらと揺れる彼女の姿はなんというかコミカルな感じがする。


「ついてこい」


「はい?」


今から裏に行って締められるのだろうか


「……あのイリシュさん?」


 教えることがたくさんあるんだよイライラと頭を掻きながらそんな事を言われる。

 採用ということなのだろうかいまいち実感が沸かない。

 むしろからかっているようにも思える。


「私のことは店長って呼べ。……アッシュに頼まれたからってだけだお前がどうこうってわけじゃない」


 その言葉に納得を覚える。

 きっとアシュリスの内面的な部分をこの人はよく知っている。

 だからこそ彼女の頼みを聞いた。見た目に反し、いい人なのだろう。


誰何スイカ


熟考モードから帰ったアシュリスが呟く。


「……スイカ、君の名前どうかな?」


「どうと言われても……ありがとうございます?」


…スイカ…スイカか反射で胸に目がいくそういえばやっぱ結構あるなこの人

 先程よりもジトッっとした店長の眼光に晒される。

 まずい、いや待ってくれこれは悪質な目線誘導を食らっただけで俺は悪くない。不可抗力と言うやつだ。

 (いや違うんですよ)という視線を送ってみるが伝わっている気がしない、それどころか視線はさらに冷たくなっていく。

 これ、採用取り消しとかにならないよね。 

 一抹の不安がよぎった瞬間店の扉が勢いよく開く。

 うぉでっか最初の感想はそれだった。

 いやおっぱいについて弁解をしていたから頭の中がそれで埋まっていた。

 ていうか何なの俺、でかいほうが好きなの?

 ピンク髪ツインテール、メイド服、童顔、デカ乳ガール。

 これだけの要素違和感なく統合させた生き物がそこにいた。

 というかこっちをずっと見ている。

 それどころかずんずんこちらに近づいてくる。

 いや、そんなに顔を見つれられても俺の顔立ちなんて面白くもなんともないだろうし恥ずかしいんだけど。

 唐突に手を差し伸べられる。

 握手を求めているのだろうか。

 断るのは失礼に値するし慎んでそれに答えることにする。

 おぉすべすべ女の子の肌ってこんな感じなのか。

 こういう反応になるあたり記憶をなくす前の俺にはそういう経験はなかったらしい。


「…そいつ男だぞ」


「…その人男の人だよ」


「……?」


 いや、まてまてこんなかわいい子が男なわけない。二人とも何いってんだ。

 ただそろそろ手を離してほしい。

 見ると彼女?はニコニコと太陽の様な笑顔を向けてきている。

 あっよく見ると喉仏ある。

 全力で捕まった手を救出しにかかる。くっこいつ見た目の割に握力が強い。

 二人とも後1秒早く情報くれませんかね。  からからと彼女(彼)の笑いとともに手が解放される声質は快活なお兄さんといった感じだった。

 この人、イリシュさんとは別の意味で怖い。


「君、うちで働かないか?才能がある」


「???」


今日聞いた言葉で一番理解に苦しむ発言だ


「……才能ですか?」


なんとかそれを飲み下して質問を返す。


「うちのナンバーワンに成れる素質があるってこと。顔立ちかわいいし。なんというか支配欲?庇護欲?を掻き立てられる」


 満面の笑みでサムズアップ。

 冗談…ではなさそうだ。

 笑顔ではあるが目は至って真剣さを帯びている。


「店長、ここで働かせてください」


もう一度頭を下げる。


「くっフラれた〜」


心底残念そうだ。


 イリシュさんは、もう聞いたとだけ言ってくる。

 表情こそ変わらないものの心底残念そうな感覚が声質から伝わった。

 そんな俺達の様子をアシュリスは椅子に座りながら微笑ましいそうに見つめている。


「ちょうどいい。ユーリこいつに仕事を教えてやれ」


 客じゃないのか。いやなんとなくそんな気はしてたけど。


「兼業してるんだ。というわけで、僕はユーリよろしく!」


俺の心を読んだのかそんな事を言う。


「スイカです。よろしく……お願いします」


 もう一度握手を求められたので、悩んだ末応じる。

 さきほどのすべすべとした感覚はもう感じられなくなっていた。



 アシュリスと二人で帰路につく。

 簡潔に説明された仕事の概要を頭の中で反芻させる。

 言葉が話せない俺は必然的に厨房での仕事が主となるようだった。

 本格的な仕事は明日からだ。


「それにしても数とは考えたね」


 前を歩くアシュリスは、上機嫌だ足をやけに高く上げながら歩きその長い髪がそのたび左右に揺れている。


「あれは串焼き屋が釣り計算を嫌がっていたのを見て思いついただけです。まぁダメ元でしたけど」


「……あぁ……うん」


なんだか微妙な雰囲気になってしまった。


「どうかしましたか?」


 足を止め振り返った彼女にそう問いかける。すると彼女は、申し訳なさそうに目を伏せる


「……えっとね。たぶん、あれは釣り計算を嫌がったわけじゃなくて上層民に間違いられたんだと思う。銀貨なんて下層じゃほとんど見ないし半銀貨ならたまに見かけるんだけどね」


「それに、君が言ったことが的外れだったってわけじゃない。魔法の素質を見込めなくて14歳をまたず、下層に送られた人もたくさんいる」


なるほど、やはり俺はこの世界を知らなさすぎる。


「……どうして上層民がわざわざ下層に来るんです」


「……下層民をひやかしにね。まぁそういう連中はさっきみたいに擦られて泣きを見るのがオチだけど」


「……やっぱり気づいてましたか」


「……なにも取られなかったでしょ。なら何もなかったのと同じだよ。人が悪いんじゃなくて環境が悪いんだ」


 沈黙が降りてくるただこのままにしたくない。だから言葉を繋ぐ。


「まぁでも店員の件に関しては結果オーライですよ。あれのお陰で思いつくことができたんですから」


「……そうだね」


 彼女がなにかを確かめるように小さく笑う。つられて俺も笑顔になる。

 彼女には笑っていてほしいありふれた物言いのような気がするけど確かにそう思った。


「あっそうだ、私と君これからいっしょに暮らすことになるけどいいよね?」


「……アシュリスさんがそれでかまわないなら」


 あまり考えないようにしてたけどやはりそうなるのか。

 恋仲でもない男女がいっしょに暮らすなんていろいろと問題があるような気がする。

 存外この世界では普通のことなのか?

 いや大丈夫、俺が間違いを犯さなければ何の問題も発生しない。

 しかし、アシュリスはどこからどう見ても美人だ。この肉体にそういう免疫があるとは思えないが間違いが起こす可能性がゼロとは言い切れない。


「……それ、店長が知ったら俺殺されません?」


「……それはそうかも」


 そうなんだ半分冗談のつもりだったんだけど。


「……まぁ家のことはおいおいなんとかなるよ……たぶん」


その顔は真っ青でそこまで考えてなかったとでもいいたげだ。

 あくびを噛み殺す起きてから半日も経過していないと思うが疲れがひどい。

 たぶんらしくない行動をしたからだ。それは、透明なナイフを心に突き立てるようなもので、刺したところからどろりとした物質が流れ出しそれが倦怠感を生んでいる。

 二人並んで歩くアシュリスはユーリや店長の事を楽しげに語ってくれた。

 しかし、疲れで回らなくなっていた脳はなぜか1日で3枚もの皿を割ったユーリに対して怒った店長がパットを取り上げたエピソードしか記憶してくれなかった。

 家の扉をくぐり、口数少なくベッドに倒れ込む。

 アシュリスに対して申し訳なく思ったがそれでも今は自分の欲望が優先された。


「明日は私が起こしてあげるから」


 その言葉に、緊張の糸が優しく切断され代わりにベッドと背中が結びついていく。

 それは、この世界に来て始めて夢を見ない深い眠りだった。


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いつか、君を殺すメリーバッドエンド @awaoka

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